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1938年3月24日から4月7日まで李宗仁は大運河を背にした要衝・台児荘を徐州の防衛拠点として約10万人の兵力を結集して日本軍と戦った。4月7日に小規模部隊の日本軍は一旦兵を台児荘から引いたので国民党は李宗仁を勝利の英雄に祭り上げた。 国民党だがなぜか李宗仁をたたえる記念館が台児荘にある。
もともと台児荘駅だったようだが、それにしても立派な駅だ。こんな田舎町だが本物かなあ? 大本営はこの徐州地域に有力な中国軍が存在することを認識し、本格的に徐州作戦を展開することとなる。 本格的な日本軍の攻撃が始まり連戦連敗で司令官李宗仁は5月19日には徐州を放棄して逃げ出したが日本軍の南進を阻止することを放棄したわけではなかった。 黄河の堤防を決壊させ、江蘇省北部周辺を泥沼にして日本軍の南進と漢口への進撃を阻止した。 日本軍の被害は皆無であったが、中国農民の被害は甚大で、水没部落3500、罹災民60万人、 行方不明者12万人に及んだ。まったくもってひどい話だ。でも現在ではなぜか中国で英雄だ。 台湾から中国へ帰国したことがあるからかな?中国人で無いのでそのへんの微妙さはわからない。 |
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2007年05月19日
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