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初期のころ掲載した旅順攻略作戦記を一部改定した。

ワレ旅順ヲ攻略セリ その4「神よ泣け 悲しみの東鶏冠山」


いよいよ今回の侵攻作戦のハイライトで一番行きたかった場所だ。大勢の日本兵が何度も何度も攻撃してもマキシム機銃の前に失敗を重ねいたずらに死者を積み重ねただけの日本人としては痛恨の極みな場所だ。一番多くの日本人が死んでいった場所、ああ悲しみの東鶏冠山永久堡塁。結局203高地攻略後、地下坑道で爆破され攻略された。 日本軍の砲撃で爆破された穴や銃撃の跡が多数残っており百年たっても生生しいぞ。
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右から日本軍が攻撃した。左も壁になっておりちょうど空濠のようになっている。右から飛び降りた日本兵は濠の中でどうすることもできずもがき苦しんだと思われる。
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そして写真の濠の右側の窓から容赦なくマキシム機銃で射撃され殲滅されたと推定される。この濠の中に何百もの日本兵の死体が百年前横たわっていたと思うと日本人にとっては辛い場所だ。映画二百三高地で実によくできたそのシーンがあるが実際に現地で検証でき涙が出た。
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要塞内部に突入した!中国はほんとこういうことが許されてありがたい。
西郷輝彦とロシア兵との白兵戦があったシーンの場所によく似ている、というかこっちが本物だ。
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破壊された開口あたりの要塞内部。夜になればロシア兵や日本兵の霊が漂うと思う。霊感の無いおいらでも白昼重苦しい空気を感じる。時々背筋がぞくぞくするので引き込まれたくなかったので外に出た。日本に帰りたかったのだろうが、おいらにはどうすることもできない。
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旅順港側でなく日本が攻撃した側にある大きく破壊された開口部。明治37年10月26日と特定してくれているので第二次総攻撃のさい日本軍の28サンチ砲で破壊された開口部と思われる。
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東鶏冠山永久堡塁の概要看板、これら一連の写真は右側「俄暗堡」と書かれている部分である。
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戦後日本軍が建てた戦勝記念碑の前で
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今回見学した堡塁の場所は黄色い丸で囲んだあたりである。
戦勝記念碑は赤丸あたりだと思う
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見学の間映画二百三高地さだまさしの「防人の詩」がずっと頭をよぎる。
これでもかこれでもかと泣かせる歌であった。ちょっとしらじらしいが映画の内容にはぴったしであった。

おまけ

防人の詩


作詞/作曲 さだまさし

おしえてください
この世に生きとし生けるものの
すべての生命に限りがあるのならば
海は死にますか 山は死にますか
風はどうですか 空もそうですか
おしえてください

私は時折苦しみについて考えます
誰もが等しく抱いた悲しみについて
生きる苦しみと 老いてゆく悲しみと
病いの苦しみと 死にゆく悲しみと
現在の自分と

答えてください
この世のありとあらゆるものの
すべての生命に約束があるのなら
春は死にますか 秋は死にますか
夏が去る様に 冬が来る様に
みんな逝くのですか

わずかな生命の
きらめきを信じていいですか
言葉で見えない望みといったものを
去る人があれば 来る人もあって
欠けてゆく月も やがて満ちて来る
なりわいの中で

おしえてください
この世に生きとし生けるものの
すべての生命に限りがあるのならば
海は死にますか 山は死にますか
春は死にますか 秋は死にますか
愛は死にますか 心は死にますか
私の大切な故郷もみんな
逝ってしまいますか

海は死にますか 山は死にますか
春は死にますか 秋は死にますか
愛は死にますか 心は死にますか
私の大切な故郷もみんな
逝ってしまいますか
1980年(昭和55年)

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