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筆者が写っている写真の95%は小型3脚か自撮棒で自動シャッターで撮りました。

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ワレ旅順ヲ攻略セリ その4 続「神よ泣け 悲しみの東鶏冠山」


戦後日本軍が建てた戦勝記念碑から日本軍陣地側を望む
今は植林されてよく見えないがはげ山だった100年前日本軍陣地がよく見えたであろう。
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要塞の連絡通路をくぐって司令部へ向かう
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おそらく緑で囲んだあたりだ。
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このあたりにも立派な要塞設備がある。窓は飾窓になっている。戦争だがおしゃれ。でも爆発で破壊された跡がある。凄まじい戦闘があったことを物語っている。
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要塞の内部だ。真ん中の溝に板を敷いて二階にしたのだろう。
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明治37年12月15日ロシア軍旅順守備隊の要、コンドラチェンコ少将が28サンチ砲の直撃で戦死した場所。
28サンチ砲の威力を示すがごとく大きなコンクリートの塊が多数転がっている。
このあとロシア側は士気が落ち17日後旅順要塞は降伏した。
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旅順港側の兵舎要塞、窓飾がありタイルのような石積みである。要塞にもロシア兵はおしゃれに建築したのか?明治のよき時代か。旅順港側なのにいたるところに爆破破壊の跡がある。ロシア側が抵抗し要塞内部で戦闘があったようだが文献では分からない。遺構のみがそれを物語る。青で囲んだ部分だ。
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内部は二階建である。兵士が寝泊まりした。
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東鶏冠山永久堡塁の見学の間、数人の中国人観光客しか会わず貸切状態であったのでゆっくり調査できた。愚生は5年ちょっと前に訪問したので外国人見学規制が厳しかった最近は許可がなくとも外国人でも見学できるらしいので是非訪れてください。

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