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壊滅状態の日本軍をなめきっていた米海軍は1945年3月18日から同月21日の間、空母12隻を基幹とする第58機動部隊艦上機約1,400機が、日本近海に現れ、九州、四国、和歌山などを本土を爆撃した。 ほとんど戦力は残っていなかった日本軍だが特攻機を含め全力で迎え撃った。 その結果正規空母イントレピッド、ヨークタウン、エンタープライズ、フランクリン、ワスプを撃破することに成功した。特にフランクリンは3月19日に大損害を被った。 在りし日の大型正規空母フランクリン フランクリンは特攻機でなく急降下爆撃機による爆弾で室戸岬で大破させられた。飛行機は爆弾2発投下したとのことであるから陸爆「銀河」と思われる。特攻でないところに海軍の意地が感じられる。 大爆発炎上するフランクリン フランクリンを含むエセックス級空母はダメージコントロールが優れているとの定評だがそれは特攻機に対してだけであろう。特攻機命中は爆弾が表面かやや内部で爆発するので意外と艦船にはダメージが少ない(沖縄では特攻機命中を3-5機受けても上部が破壊されるだけで沈まない駆逐艦多数例)が、通常の急降下爆撃機をやられると小型の250キロ爆弾でも艦内部で爆発するのでフランクリンのような大損害をこうむるのだ。戦争中期以前の米軍に余裕がなくかつ日本にまだ余裕のある時期なら撃沈確実だが、時間をかけてじっくり修理復旧させて重巡洋艦ピッツバーグに曳航され、ウルシー泊地帰還に成功したのだった。 本来なら友軍の魚雷で処分するのだが戦争末期で米軍にフランクリンを守り抜く戦力、余裕があったので必死の消火活動がなされた。前日の空襲で日本に再攻撃する力がなかったのも知っていたのであろう、日本はこの時点ですでになめられていた。 すごい消火水が格納庫からあふれている。機関室あたりは大浸水であると思われる。 軽巡洋艦サンタフェが消火とフランクリンの乗員を救助するため支援を行った。 今回初めて気がついたがよく見ると前部エレベーターが陥没している。艦中央部より後半に大打撃を受けたのは写真からわかるが、前部格納庫内にも何らかの損傷が発生しているのは確実である。 消火放水で火はだいぶ鎮火してきたようだ。 あともう一発爆弾をぶつけれれば撃沈できたが日本軍にそんな余裕はなかった。 軽巡洋艦サンタフェが乗員を救う。日本の再攻撃は上空のグラマンが阻止してくれるので余裕のよっちゃんだ。写真からは緊迫感が感じられない。 13度まで浸水傾斜したフランクリン。機関は停止している。しかし隣のサンタフェの乗員も眺めるだけの余裕だ。 ここまで傾斜させておいて機関停止させておいてとどめを刺せず逃したのは惜しまれる。 フランクリン米軍死者 フランクリンの米軍死者は724人とか伝えられるがほんとうはもっと多い。いつもながら米軍発表の死者数は少なめである。実際は803人である。負傷して病院でその後死亡した人が含まれるのであろう。 戦死者全員の名前がフランクリン乗員のウエブサイトに記されているので803人は100%確実な死者数であろう。調べきれなかった人もいるかもしれないので実際はもっと多いのかもしれない。 しかし800人以上の戦死者が出た場合は普通は沈没だが・・・ 1945年3月19日フランクリン死者 合計803人 死者内訳 乗員631人 海兵隊艦隊派遣隊22人 司令部25人 第5航空隊58人 VMF-214 海兵隊戦闘機隊(特攻対策として臨時搭載)33人 VMF-452 海兵隊戦闘機隊(特攻対策として臨時搭載)34人 意外なことに海兵隊の死者が多い。海軍と海兵隊はやはり仲良しだった。それと艦載機担当の死者が多いが(125人)かなりのパイロットが爆発に巻き込まれたのだろうか。 被害状況 大穴が甲板上いたるところに開いている。鋼鉄のビームは熱で曲がっている。熱で強度が落ちているのですべて強度部材は交換が必要である。 フランクリンその後 フランクリンは辛うじて沈没だけは免れたが、甚大な被害のため米本土に曳航され、終戦まで復帰できなかった。他のエセックス級空母と違って被害が大きかったためおそらく火災や爆発による強度的な問題があったのだろう近代改装を受けず、朝鮮戦争やベトナム戦争に参加することなく後方勤務ののち、そのまま動くことなく係留され1966年ころスクラップ処理された。 1945年3月19日以来なんの活躍もせずスクラップ処理されたので事実上撃沈であった。それなら特攻隊隊員へのたむけのため室戸岬沖に沈んでほしかった・・・
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2009年07月25日
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