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1月のある日6年の娘がクラスの2/3はスキーに行ったことがあるので行きたいといった。 4年の息子もクラスの半分以上はスキーに行ったといった。 なんでもっと早く言わないんだ! 去年、スキーに行こうと言ったら怖いから行きたくないといったくせに。 もっとも小生はスキーなど小学生にはまだ早いと思っていた。 しかしよく考えると現実は親の世代がスキーを普通に楽しみ始めた世代だから子供を早い段階で スキー経験させるのだろう。 19歳の時には既に自分の愛車スカGにスキー板を乗っけてスキーに行ってたもんなあ。 昭和59年3月ハチ北高原スキー場にて 俺なんか高校修学旅行で初めて強制的にスキーを始めたのに・・・なんて考えは古いのだ。 お父さんはブログに熱中して子供のことを忘れていた。許しておくれ。 すぐ六甲山人工スキー場につれていった。ここは私の記憶が有るときからすでに存在する。 調べたら昭和39年オープンとのこと。なるほどね。コウベッコはナウいね。(死語) 私も7年ぶりのスキーで緊張した。190CMの板を貸してくれといったらそんなもの無いと 言われた。170CMが一番長いとのこと。そんなオコチャマスキーは嫌だったがやむなく それを借りた。どうやらカービングスキーのようで長いタイプは無いようだ。(無知) 子供は覚えるのが早い。私の教え方がいいのか、子供の運動神経がいいのか3時間でゲレンデの 上から下まで滑れるようになった。 驚き。 4時過ぎたので帰ろうと行ったらもっと滑りたいという。しかたないのでもう一度近々連れて行く とのことで説得して家路についた。 約束どおり先日2月にも六甲山人工スキー場に連れて行きました。 お金がかかること、かかること。 来年は本物のスキー場に連れて行ってやるよ。
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昭和風俗、昔話
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大学のクラスメイト4人で私の愛車スカイラインで神鍋高原へスキーに行ったときの写真だ。 現在と違って自分の車を持っている大学生は少なく、またスキーは今ほど一般的でなかったので 大学生が兵庫北部に車でスキーに行くという行為は割とかっこよかったのだ。 もちろん自分でスキーセットを持っている学生は珍しかった。 原田知世の「私をスキーに連れてって/S62年11月」が上映されていないスキーブーム前で 今見れば笑ってしまうようなダサイ(死語)スキーウエアーだ。今こんなカッコでゲレンデへいけば 回りは引くだろう。 バブルの時のようにリフト30分待ちとかはなかった、すいていた。 左端の愚生は上下ともスキーウエアーではない。防寒ズボンにジャンパーだ。また友人から中古で 買ったスキーを持っていたがスキーはひもで足にくくり付ける古いタイプを使っている。こんなんでも スキーセットを持っているだけでえらかったのだ。 この当時、ゲレンデでの女性スキーヤーの数は今ほど多くなかった。女性スキーヤーが突然増えだ したのは「私をスキーに連れてって」の直後からだ。 彼女ができたらとりあえずスキーに誘うとか、ゲレンデでナンパのブーム、おしゃれなスキーウエアー とかはこの映画の影響だろう。 急に知世ちゃんの「私をスキーに連れてって」が観たくなった。ツタヤにあるかなあ。 セリカGT4がかっこよかったなあ。写真を撮る時沖田浩之が「とりあえず」とか言うのだが これははやった。 まあ、今回は昭和末期の冬の大学生風俗ということで
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私はオタクで今でもかなりのマニヤだが女性とおしゃべりするのは好きだ。 面白い写真が見つかった。これは琵琶湖マキノへ遊び友達とキャンプに行ったとき、夜ナンパした女性連と花火を楽しんだときの写真だ。 昼間水辺で戯れるボクたちは女性4人組みを発見した。もちろん一番男前?の私が彼女たちに接近し軽くGETしたのだ。やがて夕方になり彼女たちは夕食のため旅館に帰るとの事なので夜7時にココで花火の約束をしたのだ。 現在の若者はわからないだろうが携帯が無い当時約束を信じ待つしかないのだ。この緊迫感、そしてすっぽかされたときの失望感、なにもかもみな懐かしい。 駄目なら男どおしでむなしく花火をする覚悟で花火を買いに行って待っていたら彼女達(女子大生)はのこのこやってきた。嬉しかったよ。 今から見るとホントこんな男女の大学生、浜辺にいないよなあ。まあよき時代の昭和の大学生風俗ということで。 このあと深夜ドライブに2台に分かれて走りに行ったよ。 携帯が無い当時、女性はなかなか電話番号を教えてくれない。なぜなら電話は家族の共用品だからだ。運よく必死に何とか電話番号を聞き出しても次の関門がある。個人携帯と違って夜遅く電話できない。10時ころ電話するとお父様が出てきたら最悪。お母様なら比較的OK。いやみっぽく言われても確実に取り次いでくれる。 結局この女性連の私がアタックした好みの女性は電話番号を教えてくれなかったが住所は教えてくれた。これは当時よくあったことで現在の携帯になれたヤング(死語)には理解しにくいだろう。 手紙とか書いてやり取りをして再会したりするのだ。
結論として家に帰ってから面倒になって手紙は書かなかった。チャンチャン |






