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筆者が写っている写真の95%は小型3脚か自撮棒で自動シャッターで撮りました。

日米海軍、特攻隊

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「轟沈」という映画がある。
本物の日本海軍の潜水艦をつかった従軍記録映画である。

映画に出てくる潜水艦は伊号第10潜水艦で日本海軍の巡潜甲型と呼ばれる大型の当時最高性能の潜水艦であった。なお伊10潜の撃沈数15隻は、日本海軍潜水艦のトップ・スコアーである。

中学生の時テレビでみた「轟沈」の一部シーンだが連合軍の商船が魚雷を受けて真っ二つに折れて沈むシーンを見てショックを受けたがこのたびそのシーンを発見した。興奮した。

冒頭、伊10潜の16/12/10から18/9/14までの撃沈11隻、大破1隻の戦果を示す撃沈札がずらっと出てくる。記録を小生所蔵の本とインターネットで調べたがどちらも一致せず日にちのずれはあるがおおむねあっている、というかこっちの本物の伊10潜の撃沈札のほうが正しいに決まっている。
艦内神棚の下にぶら下がっているのが興味深い。

この映画の時系列が正しければ18/9/14のノルウェー、タンカー、ブラモラを撃沈は砲撃で夜間撃沈したことになる。
そして真っ二つに折れて沈む商船は18/9/24のアメリカ貨物船エリアス・ハウとなる。そして米軍から爆雷攻撃をうけたことになる。

軽巡バーミンガムの悲劇と空母プリンストン撃沈 その2

軽巡バーミンガムの悲劇はあまり知られていない。空母プリンストンの救援状況は一体どんな感じで進められたのか大昔から興味があったが日本語の本、サイトでは発見できなかった。 が英語のサイトでたまたま発見したので下手な訳を下記におまけで付ける。

軽巡バーミンガムの悲劇 1944年10月24日


日本軍部隊は第38機動部隊の第3グループを発見、日本海軍はクラーク、ニコルス飛行場から集中的な反撃を行う。当日の低くたれこめた雲は日本軍の攻撃を分かりにくくした。
09:30、その朝、単機の急降下爆撃機彗星は空母プリンストン(CV-23)にめがけて急降下爆撃した。
一個の爆弾は、空母の両エレベーター間のど真ん中に命中し格納庫の中で爆発しました。 厳しい炎によって、誘発爆発を引き起こして、プリンストンはやむを得ず艦隊を脱落しました。 バーミンガム(CL-62)、リノ(CL-96)、および3隻の駆逐艦が救援のため残された。

爆弾を食らった本当に直後の空母プリンストンとその横を見守る防空軽巡リノ 
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火災を消すため3隻の駆逐艦、モリソン(DD-560)、ガトリング(DD-671)、アーウィン(DD-794)が接近するが波浪が高くプリンストンと衝突してしまうので断念しました。

小型の250キロ爆弾でも飛行甲板は盛り上がり大穴があいている。必死の消火活動 
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やむなく衝突に耐えうる大型の軽巡バーミンガムがプリンストンに横付けし短時間に14セットの消火ホースと38人の消火チームを送りました。 この支援は、プリンストンの2か所の大火災のうち1つを消すことに貢献しました。

その状況を表す写真を別で発見した。消火ホースが主砲塔の上にある。砲塔はプリンストンに接触しているのが確認できる。
イメージ 3

どうやらほぼ火災は鎮火できたようだ。消火パーティーにもなんとなく余裕が感じられる。
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しかしながら、その午後に、バーミンガムは、数機の日本の飛行機が警戒線を突破したという言葉を受け取りました。そして、ほとんど同時に、駆逐艦は、軽巡洋艦からわずか2,000ヤードで潜水艦の接触を報告しました。 バーミンガムは、すばやくほとんどすべての消火ホースを引き寄せ、対応のためにプリンストンから離れました。 その後まもなく、1機の日本の飛行機が見つけられましたが、プリンストンに近づいて攻撃できませんでした。
さらに、警報がありましたが間違いとのことでプリンストンの火災と戦うためバーミンガムは、まだ燃えているプリンストンに再び接近しました。

どうやら一旦バーミンガムはプリンストンから離れてまた再度救援のため接舷したらしい


15:22に、ちょうど軽巡バーミンガムが空母プリンストンと並んだとき、炎は、プリンストンの魚雷弾薬庫を誘発させました。大爆発は船尾大部分を吹き飛ばしました。 バーミンガムの右舷全体に爆風と鋼板断片が降り注ぎました。右舷にいたほぼ全員が死傷しました。これはバーミンガムの乗組員の半分以上になりました。 爆発で233人が死に重傷負傷211人、軽傷者215人の大損害でした。

後日撮影された軽巡バーミンガム、一見なんともなさそうだが右舷側に大穴が3か所開いているように見えるが??? プリンストンの破片が貫通したのだろうか。巡洋艦の舷側に大穴をあけるくらい強烈な爆風だったという証拠。
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多くの血がバーミンガムの甲板に流れ文字通り血の海になり生き残っている乗組員は大虐殺の現場に滑り止めのために甲板に砂を撒きました。 そしてなんとか甲板上部の消火に成功しました。

後日撮影された軽巡バーミンガムの後部と思う。無数の破片が上部構造物に突き刺さり貫通している。おそらく消火隊や救助隊が鈴なりだたと思われるが人体はバラバラになって海に吹き飛ばされたのであろう。12,7CM対空砲塔にも大穴が開いているが誘爆しなかったのはラッキーだった。
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結局プリンストンを救うための努力を続けるのは失敗しました、そして、リノとアーウィンは、魚雷を発射して燃えている空母プリンストンを沈めました。大爆発して17:50に二つに折れて沈みました。
119名が攻撃と消火活動で死亡した。約1350名が救助された。

夕方魚雷で処分されたプリンストン。
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憎き米軍ではあるがこの軽巡バーミンガムについては気の毒に感じる。
軽巡バーミンガムの悲劇と空母プリンストン撃沈 その1

1944年10月24日、米軍の正規空母プリンストン(艦籍番号CVL-23)は日本海軍の急降下爆撃でたった一発で撃沈された。

在りし日のプリンストン  4本の煙突が邪魔な設計
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一般的に米空母はダメージコントロールが優れていると言われているが特攻機に対してであり徹甲爆弾を普通にくらうと日本空母のように飛行甲板がまくれ火災が生じるのである。爆弾は250キロ爆弾だったようだ

爆弾を船体真ん中に食らい爆発炎上するプリンストン
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米空母は解放式格納庫でダメージコントロールに優れると世間一般に言われるが小型の250キロ爆弾でも飛行甲板は盛り上がり後部エレベータは吹っ飛びひしゃげ飛行甲板に乗り上げている。日本の空母と似たような被害状況である。南太平洋海戦で大破した空母翔鶴も似たような写真があるが翔鶴は450キロ爆弾4発受けても機関は停止せず脱出できたのがプリンストンと異なる。
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真ん中の甲板がめくれ上がったところに爆弾が命中したのであろう。お見事!ど真ん中。前部エレベータも吹っ飛び陥没している。右端のめくれ上がった部分は後部エレベーター。
特に大きな火災は発生せず初期消火は成功している。爆弾が爆発した場所は船体の真ん中なので機関シフト配置といえども大きなダメージを受けているようで機関は停止している。
イメージ 4


レイテ海戦中にプリンストンは撃沈されたが、日本がすでに弱っていた状態だったので8時間にわたって戦場で止まったプリンストンの救出活動を米軍は続けたが結局友軍の魚雷で処分撃沈された。いくら日本軍が弱っていたからといってもこの粘りは日本軍にはない米軍の良いところでもある。日本海軍ならさっさと魚雷で処分して戦場から脱出するであろう。

消火救援のため接近する防空軽巡リノ、 ほとんど艦首はプリンストンに当たっているようだ。
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逆に防空軽巡リノから見たプリンストン、後部エレベータが吹っ飛び飛行甲板に乗り上げている
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プリンストンに接近しつつあるバーミンガム
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バーミンガムは船体をプリンストンに当たるくらい近く接近し横付けしているのがわかる。波で船体が揺れて衝突しようがお構いなしの献身的は救援活動だがこれが裏目に出た。
救出活動中に魚雷格納庫が誘爆し消火と人員救出のためプリンストンに横付けしていた軽巡バーミンガムを爆風が襲い大勢の救出活動中の乗組員が死傷した。
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結果として空母プリンストンは119人の乗員と共に沈んだ。哀れなのは軽巡バーミンガムで献身的な救出活動の結果、接近しすぎたためか233人が爆発の巻き添えを食い死亡、重傷211人、軽傷215人であったそうだ。

空母プリンストンの爆発に巻き込まれた軽巡バーミンガムの衝撃の瞬間
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プリンストンから離れるバーミンガム(左) プリンストンの後部は爆発で吹っ飛んでなくなっている壮烈な写真
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結局のところ、救援活動で爆発に巻き込まれたバーミンガムの死者がプリンストンの倍であった悲劇である。資料によってバーミンガムの死者は85人となっているがこれは直後の死者であろう。重傷者の多くがその後死んだと思う。バーミンガムの状況はかなり凄惨であったと思われる。

在りし日の軽巡バーミンガム 重巡洋艦よりやや大きい軽巡洋艦で立派な容姿である。
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アメリカ護衛空母 喪失リストと護衛空母セントローの戦死者考察


第二次大戦中アメリカは小型の航空母艦を115隻も生産した。これは商船を護衛することから護衛空母とよばれた。防御力が弱く速度が遅いので日本軍相手では問題があり主に大西洋のドイツ潜水艦狩りに使われた。しかし太平洋戦線で米軍は日本海軍が弱くなったので正規空母の補助として護衛空母を戦争後半対日戦に使用しだしたが結果として5隻日本軍に撃沈された。

米護衛空母例 セントロー
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アメリカは生産した護衛空母115隻中38隻を体力の乏しい英国へ気前よく半分あげた感じで貸して77隻を自国で使った。英国は借りた38隻を含め護衛空母を63隻は持っていたようで米軍と共同で100隻以上の護衛空母が大西洋で商船護衛に従事した。

ユーボート(独潜水艦) はドイツでなんと1131隻が建造され大西洋で使われたが、たとえチャチな護衛空母といえども潜水艦で空母を沈めるのは難しく5年間の戦果は強い米護衛空母1隻、弱い英護衛空母1隻の2隻だけなようである。U-ボートと言えば高性能で強力なイメージであるが強いのはか弱い輸送船に対してで護衛空母の前では逃げ惑っていたようで意外ではある。


==== 撃沈された米護衛空母リスト ====

護衛空母名称 沈没日 沈没場所 沈没原因 死者 備考
CVE-56 Liscom Bay 1943.11.24 マキン島沖 日潜水艦伊175 644人
CVE-21 Block Island 1944.5.29 大西洋カナリア諸島 独潜水艦U-549 6人
CVE-73 Gambier Bay 1944.10.25 フィリピン 日軍砲撃/サマール沖海戦 133人
CVE-63 St. Lo 1944.10.25 フィリピン 特攻 143人 143(113+30) 30人は後日死亡
CVE-79 Ommaney Bay 1945.1.4 フィリピン 特攻 93人 爆発に巻き込まれた近隣の駆逐艦乗員2名死亡
CVE-95 Bismarck Sea 1945.2.21 硫黄島沖 特攻 318人

愚生が興味を持ったのは米護衛空母セントロー(CVE-63)である。米軍は陸海空海兵関係なく戦死者は日本と比べて少なめに発表する。どうやら戦闘後24時間以内に死亡した兵士のみ戦死とするようだ。だから実際の戦死者はだいたい愚生の研究から15-20%増しなようである。このセントローについては珍しく戦死113人、その後負傷者から30人の死者がでたと発表している。実際の戦死者は143人で27%増しであった。

在りし日のセントロー 護衛空母といえども見た目は立派な空母である。
イメージ 2


特攻を受け弾火薬庫が爆発し沈んだセントロー
特攻は正規空母には効果が薄かったが防御力の弱い護衛空母には効果は十分あった。
巨大な破片が数百メートル上空に飛んでいる壮烈な写真だ。アニメみたいな写真、撮影者おみごと。
乗組員約900人のうち16%の死者が出たのも納得できる。助かった兵士も重傷者が多かったのであろう、傷が原因で後日30人も死亡した。
イメージ 3

以前特別攻撃隊の戦果調査中に同じ日にたくさんの米揚陸艦が沈没しているのを発見し不思議に思った。調べてみると真珠湾で爆発事故があったようだ。その時はそれ以上の情報がつかめなかったのでそのまま日が過ぎたが、やっぱし気になるのでアメリカのサイトを調べてみたら詳しい状況がわかった。下記に要約する。

真珠湾 (WEST LOCH)西入江の大事故

真珠湾のウエストロッホはサイパン攻略のための上陸艦の集結地であった。
1944年5月21日日曜日、サイパンの攻略のために29隻の大型戦車揚陸艦LSTをはじめ多数の揚陸艦が6箇所のバースで準備を進めていた。各艦すべて大量の武器弾薬、燃料、軍用車が艦内、艦上に満載であった。

LST(戦車揚陸艦):基準排水量:1780t 満載排水量:3880t 全長:100m 幅:15.2m 駆逐艦程度の軍艦

1944年5月21日に、午後3時08分に大爆発事故が始まった。戦車揚陸艇LCT-963の艦首あたりで兵士が迫撃砲弾を抜き取り作業を していたがそこで事故の発端が起きたようである。 爆発の破片がLST-353の甲板に満載されたガソリンドラム缶を破壊引火させ大爆発 が発生した。

LCT(戦車揚陸艇):基準排水量:143t〜160t 満載排水量:309t〜320t 全長:36.30m 幅:9.99m 小型の揚陸艦

LST-353の大爆発は凄まじいもので周囲の同じく燃料武器弾薬を満載したLST,LCTを次々と誘爆させた。爆発は海岸の20の建物にも損害を与え24時間後に鎮火した。 写真のようにどんどん爆発が飛び火し連鎖したのであろう。
イメージ 1


結局6隻のLST、3隻のLCTが沈没し、163人が死亡、396人が負傷したのである。この事故でサイパン攻略出発が1日遅れた。

沈没:LST-39,43,69,179,353,480小計6隻
沈没:LCT-961,963,983小計3隻
合計9隻沈没  

大破:LST2隻

文献ではLST 6隻沈没となっているが米軍沈没リストには5隻しか記載がなかって躊躇したがいろいろ調べて1隻は引き上げられたことがわかった。
浅い港湾なのでLST-39はその後引上げられて修理すれば使用可能だったので修理され雑役艦として使用され戦後すぐ解体された。よってLST-39は米海軍沈没リストには記載なし。沈んだのは間違いないのだが再使用したので大破扱いなのかなあ。

爆発炎上鎮火後、多数の揚陸艦の残骸が残った。
イメージ 2

この大惨事は米国内でも秘密事項だったとのこと。それであまり知られることが無かったようだ。


日本はサイパン戦の前に戦わずして物資満載の9隻の揚陸艦を撃沈していたことになる。直前に天が見かねて神風が少し吹いたようだ。この神風が吹かなかったらもっと悲惨な負け方をしていたのかもしれない。
サイパンの戦いで米軍は日本人住民を情け容赦なく8000人を殺害し小生はむかついていたのだがその直前に米軍も多少天からお仕置きを受けていたようでこの爆発事故を知って少し溜飲を下げる思いになった。
しかしこのお仕置きはあまり米軍に効かなかったようでその後米軍はマニラで10万人のフィリピン民間市民を殺害し、沖縄で10数万人の日本民間人を殺害している。ナチの親衛隊もびっくりだ。

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