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境線鬼太郎列車 木次線おろち号 中年コンビ旅行 その1
中年二人で一泊旅行した。
神戸から播州赤穂行新快速にのる
相生で岡山行に乗り換える 岡山についた 新見行きに乗り換える 新見に着いた 新見駅前の食堂で昼食 コンビニとかは駅前に無い まあおいしかったよ 道中車中で酒をガンガン飲む 幸せ 米子に着いた 鬼太郎列車は0番ホーム 米子駅はネズミ男駅と言うらしい 屋根に鬼太郎と仲間のラッピングが施されている
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国内鉄道
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鉄道旅行記
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神戸電鉄 鵯越駅の事故と慰霊地蔵 その2
鵯越駅の横にお地蔵さんがある。
昭和19年の兵庫商業高校の事故慰霊地蔵だと聞いているがよくわからない。
慰霊碑の碑文画像を入手した
この地蔵は昭和21年3月14日に徳風會により建立されたことがわかった。
徳風地蔵と言う名前が正面に彫られている。 建立の理由は水害で墓石が流されたのと沿線で起きた事故遭難者を慰霊するためである。 やっとこのお地蔵さんの存在理由がわかった。 風水害については調べたが何時発生したものを指すのかわからなかった
鉄道事故については沿線と書いているので昭和19年の兵庫商業高校の事故に加えて 建立時期から4ヶ月前に起きた隣駅の丸山駅と長田駅間で発生した事故も含まれると思う。
昭和19年2月12日 北神商業(現兵庫商業高校)貸切車の鵯越駅脱線転覆事故 死者28名、重傷38名、軽傷68名
昭和20年11月18日 神戸電鉄 丸山・長田間 脱線転覆事故 死者48名・負傷者180名
残念ながら碑文には鉄道事故について詳しい記載は無かった。
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私鉄で比叡山横断日帰り旅行 その3 西塔地区 瑠璃堂 先斗町
重要文化財釈迦堂の横の山道を上がっていく
すると山頂に重要文化財延暦寺相輪 明治28年 が見えてくる 明治で大日本国指定重要文化財?はて? よく見ると明治28年改鋳 凄く古いけど明治に溶かして作り直したのかなあ??さてはて? ちょっと離れたところにある重要文化財 延暦寺瑠璃堂 室町後期 1500年代 ぽつんと離れているから織田信長の比叡山焼き討ちで唯一生き残った建物 だから重文か 坂本ケーブル延暦寺駅 国の登録有形文化財 1927年 ケーブル坂本駅に着いた 坂本ケーブル坂本駅 国の登録有形文化財 1927年 ここからバスで京阪坂本駅へ向かう 三条京阪駅で降りて先斗町へ向かう バブルのころは敷居が高くてなかなか入れなかったが今は観光地だ 夕食を予約して飲んで食べて帰ったよ 京阪で淀屋橋まで行って御堂筋で梅田まで行って阪神で帰った この絵の中に今日一日の行程が詰まっている 左八瀬から右坂本へ横断したよ 国宝、重要文化財、県市指定文化財をたくさん見ておなかいっぱいだ
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私鉄で比叡山横断日帰り旅行 その2
また比叡山延暦寺に行った 「比叡山横断チケット(比叡山延暦寺巡拝券付:700円相当)を使用した 3300円 バス乗り放題を利用して横川へ向かう途中のドライブインで降りて昼食を取る
昼食後またバスに乗り横川で降りた 横川中堂 昭和46年 趣のある山道を歩いて進んでいく 滋賀県指定文化財 延暦寺四季講堂 承応元年 1652 元三大師堂とも言う ここはおみくじ発祥の寺といわれている 横川根本如法塔 大正14年 無指定 誰も訪れない分かりにくい所にある 仏塔マニヤのオイラはこの多宝塔を見れて幸せだよ 前回時間調整ミスで訪れられなかったので嬉しい 今回比叡山にまた来た最大の理由はこの多宝塔巡礼である またバスに乗り西塔地区で降りた 重要文化財 延暦寺常行堂、 重要文化財 延暦寺法華堂 文禄4年 1595
手前法華堂、奥常行堂 二つが渡り廊下で繋がっており両堂を合わせて通称「にない堂」と呼ばれている
重要文化財 延暦寺転法輪堂(釈迦堂) 室町時代 貞和3年 1347 続く
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私鉄で比叡山横断日帰り旅行 その1
また比叡山延暦寺に行った 「比叡山横断チケット(比叡山延暦寺巡拝券付:700円相当)を使用した 3300円 阪神に乗って梅田駅で御堂筋線に乗り淀屋橋駅で降りて京阪に乗った
出町柳駅で叡山鉄道に乗り換えた 八瀬比叡山口でケーブルカーに乗り換え 途中駅でロープウェーに乗り換え 山頂駅で路線バスに乗り換えてやっと東塔地区に着いた 重要文化財 延暦寺大講堂(旧東照宮本地堂) 寛永11年 1634 大津市指定文化財 延暦寺文殊楼 寛文8年 1668 文殊楼から国宝 延暦寺根本中堂を望む 国宝 延暦寺根本中堂 寛永19年 1642 重要文化財 延暦寺根本中堂廻廊 寛永19年(1642) 回廊はおまけだからか国宝ではない 重要文化財 延暦寺戒壇院 延宝6年 1678 滋賀県指定文化財 延暦寺阿弥陀堂鐘楼 1634年ころ 右:阿弥陀堂 昭和12年、左:東塔 昭和52年 横川、西塔地区へ続く
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