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6月23日 沖縄 6月23日は沖縄戦で牛島司令官が自決し日本軍の組織的戦闘が終結した日である。 狭い沖縄南部で30倍、50倍の戦力、財力の米軍に対し驚異的に3月末から3か月踏ん張った。 機関銃や各種砲が十分装備されていたら米軍と対等以上に戦えることが証明された戦いであった。 最後の1か月は弾切れで負けてしまった。ほとんどの軍人民間人の死亡は最後の1か月。 1か月半、つまり5月中旬にもし降伏していたら米軍のほうが死傷者が多かっただろう。 大戦末期 沖縄戦の地上での踏ん張りと硫黄島での踏ん張り、特攻作戦での戦果、 この三つのおかげで大国アメリカから一目置いてもらえるようになった。 もう欧州では冷戦が始まっていた。 こんな手ごわい日本は絶対西側に囲って味方にしておかなければならないと。 火事場泥棒のソ連に北海道などくれてやるわけにはいかない。中国にもやらない。日本はドイツ朝鮮ベトナムのように分割されなかった。 沖縄ではこの日は休日とのこと。 3か月間多大な犠牲を払いながらも戦い我慢してくれた沖縄県民に対し感謝のためにも日本全国休日でもいい。 |
軍事、戦車
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戦車、銃など本物をレポートします。
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潜入!! 英国海軍軽巡洋艦ベルファスト ロンドンに行った。尼崎のキャバレーロンドンではない。 テムズ川タワーブリッジ近くに第二次大戦で活躍した英国海軍軽巡洋艦ベルファストが係留されている。 さっそく見に行くことにした。 第二次大戦ではベルファストは大西洋でドイツと戦った。太平洋の日本とは戦っていない。 本物の軽巡洋艦の中に入れるとのことでシッポを振って見に行きました。 いきなり15.2cm(50口径)三連装砲塔の中に入れるとのことで鼻血がブーだ!本物だー 室内を有効に使うため真ん中の砲をずらしてうまく工夫している。写真のように真ん中の砲身が短く見えるが本当は全く同じ15.2cm砲である。 機関室に入れた。感激!! ここは隣のボイラー室だ、アーまたもや感激。初めて軍艦のボイラーを見たぞ。 蒸気圧あげろ アイアイサー! 最大戦速!よしっ 総員配置につけー 主砲発射急げー! 左舷魚雷命中! 第三砲塔火薬庫注水! 進め大英帝国!
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海軍九六式25mm連装機関銃 その2 今年2010年7月に北京軍事博物館へ行った。ここは旧日本軍兵器の宝庫である。 別の場所にも九六式25mm連装機関銃が展示されている
四輪の台車に載せられているので艦船でなく地上で使われたに違いない。 この台車はもともと日本で作られたものか、中国人が作ったものかは不明である。 この九六君も日本で作られ中国戦線に送られ、日本敗戦後中国国民党か共産党に接収され使われたようだ。なんとこの連装機関銃には15発弾倉が装着している。しかしレバーは弾倉を外す位置で立っているが本当は弾倉をつけたらレバーは前側に90度倒す。りっぱな弾倉である。弾15発重量込みで17kg以上あるらしい。 左操作手の足元にはペダル状の引き金がある。右が右機銃、左が左機銃で両方押すと左右同時発車となる。左ペダルは押したまま、引き金引いたまま止まっている。錆びて固着しているようだ。 ガス導入管前方のガス圧調整弁が赤く塗っている。銃身周りの放熱フィンは少々物足りない気がする。もう少し薄くて大きいほうがいいのではないか。環型照準器は欠損している。 |
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米軍によるとB29は714機喪失したとのこと。そのうち本土爆撃を実行した第20空軍所属の485機が作戦行動中に喪失、そのうち約150機が本土で直接撃墜されたそうだ。150機が撃墜された機数ならのこり550機はなんなんだと思うが。勝手に消えて無くなった?のか。すごい品質の悪い兵器となるが??? B29乗員は戦死または行方不明は3041名、戦傷者は332名であった。 腑に落ちないので色々しらべてみたらB29喪失に関する面白い資料を見つけた。 サイパン、グアム、テニアンの第20空軍第20爆撃機隊、第21爆撃機隊の日本爆撃に出撃後墜落した301機の運命である。 301機の内訳 戦闘機による撃墜 88機 対空砲火による撃墜 65機 戦闘中などの空中接触 9機 飛行中の故障 32機 操縦あるいは航法ミス 14機 燃料切れ 20機 離陸着陸失敗 8機 胴体着陸など修理不能 5機 不明 58機 その他 2機 不明の58機はほとんどが日本か日本近海、マリアナ諸島へ帰るときに不明となっており乗員もほとんどが死亡している。日本軍による撃墜と判断してよさそうだ。空中接触や故障、燃料切れ、修理不能は日本軍による撃墜とカウントしたくないようで適当に理由をつけているが日本軍の攻撃による損傷によるものと思う。 結局301機中250機前後が日本軍に撃墜されたのではないか? 485機中、喪失理由のわからない485-301=184機は日本軍による爆撃銃撃、訓練事故、品質不良炎上などで喪失かなあ。米軍は戦わずして714-250=464機を勝手に失ったようだ。戦闘喪失の2倍である。 B29はすべて対日戦に使用されたのでB29の喪失はすべて直接間接的に日本の成果である。B29は現在でいうと4発のジェット旅客機の価値がある。1年で700機以上失っても平気な米国の国力は凄かったといえる。 日本本土の田舎に落下傘降下した米兵は殺されなくてもひどい扱いを受けている。爆弾を落として大量の市民を殺しているのだから当然だが。 一例 B29 シリアル番号42-65305 墜落日時 1945年5月5日 墜落位置 大分県竹田市平田折立 墜落原因 紫電改の体当たり 乗員11名の運命 長崎大村基地の第343海軍航空隊粕谷欣三二等飛行兵曹操縦の紫電改(竹田市宮城に墜死)に体当たりされ、大分県竹田市平田折立に墜落した。 熊本県阿蘇郡小国町薊原にパラシュート降下したOENICK伍長は、地元民に猟銃で撃たれた、鎌でめったざしにされた。 同小国町小原から一旦逃走したCOLEHOWER伍長は、住民に殺されたのか後に死体となって発見された。 南小国町満願寺白川に着地後逃走を続けていたJOHNSON伍長は、住民に取り囲まれピストル自殺。 KEARNS少尉は阿蘇郡産山村大利で住民に猟銃で射殺され死体は竹槍の的にされた。大利で墜死体として発見されたSHINGLEDECKER少尉の死体と共に、KEARNS少尉は宮地警察署前で住民に晒された。 南小国町満願寺星和で捕まったWILLIAMS伍長は星和国民学校で生きたまま晒された後、阿蘇市一の宮町荻の草で拘束されたPLAMBECK少尉とともに宮地警察署へ連行された。両名は熊本地区憲兵隊に引き渡され、上熊本駅前の電柱に背中合わせにして市民に晒された後、福岡の西部軍管区司令部に送致された。 一方、大分県側で拘束されたWETKINS大尉、FREDRICKS少尉、PONCZKA二等軍曹、CZARNECKI伍長は西部軍管区司令部送りとなり、このころ、参謀本部第二部(情報部)から発信されたとされる「情報価値ある搭乗員のみを参謀本部送致とし、後は適当に処置せよ」という趣旨の指示に従って、WETKINS大尉だけが参謀本部送致となり、戦後帰国した。 残った5人は5月17日から6月2日にかけて九州帝国大学医学部での解剖実験で殺害されたとされる。 街中に落下傘降下した場合は憲兵、警察、軍隊がやってきてすぐ拘束され助かるが田舎に降下すると住民に殺される場合がかなりあった。当時は猟銃とかの保有数が多かったようで武装住民に攻撃されるようだ。
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おもろまち駅を挟んで西にシュガーローフヒル(安里52高地)、東にハーフムーンヒルがある。ハーフムーンは米軍のニックネームで本当は大道森という。だいどうむいと発音するらしい。 シュガーローフヒル(安里52高地)からハーフムーンヒルを見る。お互い丁度いい感じの距離で相互に守備を補完しあった。実際何度も海兵隊が攻撃したが日本軍が放棄撤退するまで陥落しなかった。最強の要塞山であった。 現在はモノレールや立派なビル群に埋もれるがかつてはこんな森の丘であった。 また性懲りもなく強姦魔海兵が攻めてきたぞ。総員配置につけ!
後方のシュガーローフヒルと連携をとって鬼畜マリンコ(海兵隊)を皆殺しにしろ! おまえらマリンコに凌辱されたご婦人のかたきだ! 喰らえ!! |





