|
戦後日本軍が建てた戦勝記念碑から日本軍陣地側を望む 今は植林されてよく見えないがはげ山だった100年前日本軍陣地がよく見えたであろう。 要塞の連絡通路をくぐって司令部へ向かう おそらく緑で囲んだあたりだ。 このあたりにも立派な要塞設備がある。窓は飾窓になっている。戦争だがおしゃれ。でも爆発で破壊された跡がある。凄まじい戦闘があったことを物語っている。 要塞の内部だ。真ん中の溝に板を敷いて二階にしたのだろう。 明治37年12月15日ロシア軍旅順守備隊の要、コンドラチェンコ少将が28サンチ砲の直撃で戦死した場所。 28サンチ砲の威力を示すがごとく大きなコンクリートの塊が多数転がっている。 このあとロシア側は士気が落ち17日後旅順要塞は降伏した。 旅順港側の兵舎要塞、窓飾がありタイルのような石積みである。要塞にもロシア兵はおしゃれに建築したのか?明治のよき時代か。旅順港側なのにいたるところに爆破破壊の跡がある。ロシア側が抵抗し要塞内部で戦闘があったようだが文献では分からない。遺構のみがそれを物語る。青で囲んだ部分だ。 内部は二階建である。兵士が寝泊まりした。 東鶏冠山永久堡塁の見学の間、数人の中国人観光客しか会わず貸切状態であったのでゆっくり調査できた。愚生は5年ちょっと前に訪問したので外国人見学規制が厳しかった最近は許可がなくとも外国人でも見学できるらしいので是非訪れてください。
|
旅順 大連
[ リスト | 詳細 ]
日露戦争 旅順攻略に関する戦跡などのレポート
|
初期のころ掲載した旅順攻略作戦記を一部改定した。 いよいよ今回の侵攻作戦のハイライトで一番行きたかった場所だ。大勢の日本兵が何度も何度も攻撃してもマキシム機銃の前に失敗を重ねいたずらに死者を積み重ねただけの日本人としては痛恨の極みな場所だ。一番多くの日本人が死んでいった場所、ああ悲しみの東鶏冠山永久堡塁。結局203高地攻略後、地下坑道で爆破され攻略された。 日本軍の砲撃で爆破された穴や銃撃の跡が多数残っており百年たっても生生しいぞ。 右から日本軍が攻撃した。左も壁になっておりちょうど空濠のようになっている。右から飛び降りた日本兵は濠の中でどうすることもできずもがき苦しんだと思われる。 そして写真の濠の右側の窓から容赦なくマキシム機銃で射撃され殲滅されたと推定される。この濠の中に何百もの日本兵の死体が百年前横たわっていたと思うと日本人にとっては辛い場所だ。映画二百三高地で実によくできたそのシーンがあるが実際に現地で検証でき涙が出た。 要塞内部に突入した!中国はほんとこういうことが許されてありがたい。 西郷輝彦とロシア兵との白兵戦があったシーンの場所によく似ている、というかこっちが本物だ。 破壊された開口あたりの要塞内部。夜になればロシア兵や日本兵の霊が漂うと思う。霊感の無いおいらでも白昼重苦しい空気を感じる。時々背筋がぞくぞくするので引き込まれたくなかったので外に出た。日本に帰りたかったのだろうが、おいらにはどうすることもできない。 旅順港側でなく日本が攻撃した側にある大きく破壊された開口部。明治37年10月26日と特定してくれているので第二次総攻撃のさい日本軍の28サンチ砲で破壊された開口部と思われる。 東鶏冠山永久堡塁の概要看板、これら一連の写真は右側「俄暗堡」と書かれている部分である。 戦後日本軍が建てた戦勝記念碑の前で 今回見学した堡塁の場所は黄色い丸で囲んだあたりである。 戦勝記念碑は赤丸あたりだと思う 見学の間映画二百三高地さだまさしの「防人の詩」がずっと頭をよぎる。 これでもかこれでもかと泣かせる歌であった。ちょっとしらじらしいが映画の内容にはぴったしであった。 おまけ 作詞/作曲 さだまさし おしえてください この世に生きとし生けるものの すべての生命に限りがあるのならば 海は死にますか 山は死にますか 風はどうですか 空もそうですか おしえてください 私は時折苦しみについて考えます 誰もが等しく抱いた悲しみについて 生きる苦しみと 老いてゆく悲しみと 病いの苦しみと 死にゆく悲しみと 現在の自分と 答えてください この世のありとあらゆるものの すべての生命に約束があるのなら 春は死にますか 秋は死にますか 夏が去る様に 冬が来る様に みんな逝くのですか わずかな生命の きらめきを信じていいですか 言葉で見えない望みといったものを 去る人があれば 来る人もあって 欠けてゆく月も やがて満ちて来る なりわいの中で おしえてください この世に生きとし生けるものの すべての生命に限りがあるのならば 海は死にますか 山は死にますか 春は死にますか 秋は死にますか 愛は死にますか 心は死にますか 私の大切な故郷もみんな 逝ってしまいますか 海は死にますか 山は死にますか
春は死にますか 秋は死にますか 愛は死にますか 心は死にますか 私の大切な故郷もみんな 逝ってしまいますか 1980年(昭和55年) |
|
突撃!203高地からの続き 旅順軍港:ここからたぶん当局の許可の要るところだと思う。我々は許可証(人間)を持っているので堂々と旅順港へ突入した。 写真のようなしょーもない軍艦(これが一番大きい)がいるだけで隠す必要があるのだろうか?? 小さな軍艦(漁船を灰色に塗って機銃を搭載のイメージ)ばっかしで、さしずめ漁港のようなイメージだったぞ。恥ずかしいから隠すのかもしれない??? 旅順軍港からみた旅順口:あそこを閉塞したかったのだ・・・ 旅順港占領に成功したあと我々は許可証(人間)を引きつれ黄金山要塞へ突入した。 旅順港の旅順口を閉塞する為、有名な広瀬中佐隊を含め海軍は何度も閉塞船隊を繰り出したがこの黄金山要塞からの砲撃ですべて撃沈されてしまった。日本人、無念の要塞だ。 ガイドによると黄金山要塞を訪れる日本人は少ないそうだ。知られていないのかな?私はどうしても旅順口閉塞作戦を支援するため黄金山要塞に突入したかった。 内部はしっかりべトンで覆われている。海上からの戦艦の砲撃に耐えられたのもうなずける。いつものことながら中国は内部観光が出来る場合が多いので色々調査できて楽しかった。 これが有名な旅順口:ああこれが旅順口か・・・感慨に浸る。この手前には何十隻もの日本輸送船が今も沈んでいるのだろうか? 広瀬中尉!黄金山要塞を占領しましたよ〜
|
|
時間があったので203高地の周辺を色々調査した。 203高地調査中、ロシア軍の塹壕跡を発見! 日本軍は左側から攻撃。この辺りにマキシム機銃が据え置かれ日本人の生き血を吸い続けたと思うと胸が締め付けられる思いだった。 ロシア軍塹壕跡下方約100−120mに乃木将軍息子保典の戦死場所を示す記念碑を発見!マキシム機銃で撃たれたのであろうか? 記念碑は最近中国人によって観光用に作られたらしいが詳細は不明。 203高地隣の老虎溝山山頂。その1の203高地写真はここから撮ったものだ。203高地が攻略できなかったときはここを攻略するバックアップ目標だったらしい。幸いにも203高地が攻略された翌日ロシア兵はココから逃げだし簡単に奪取できたようだ。少し203高地より低いがココからも旅順港が見えることを確認したぞ。目を閉じ耳を澄ますと機銃掃射音が聞こえ、ひるまず突撃する日本兵が見えるような錯覚に陥った。私一人で周囲に人がいなかったので叫びました。「見えます!旅順が・・・旅順港がはっきり見えま〜す!」旅順港を見ることなく旅順攻略戦で無念にも死んでいった15400人の日本人へのせめてもの供養になったであろうか。 水師営会見場所。場所はここでたぶんあっているのだが最近まで資材置き場?だったらしい。日本人がこの場所をよく尋ねてくるので金儲けの為、日本人観光客のために再建したイミテ営である。絶対に本物と思わないように。中国人は金儲けがうまい。 外部もそれらしくよくできているが内部も本当によくできている。中にいる老人が本物の水師営だというが絶対に信じてはならない。場所だけが正しいのだ。 注記:203高地、水師営は観光地として解放されているので日本からでも旅順攻略ツアー(結構人気あるらしい)で参加できますし許可も要りません。但し写真のロシア軍塹壕跡、乃木保典戦死場所、老虎溝山は観光コース道から外れているので事前にガイドさんに見学したい旨相談すればよいでしょう。203高地駐車場から歩いてすぐなのでツアーでも見学可能です。私は3箇所とも、うろうろ捜索中たまたま見つけたのです。ラッキー!
|
|
攻略出撃前に203高地周辺以外は中国当局の許可が必要であることが判明したので大連の旅行会社に許可証入手を依頼した。パスポートのコピーと??元の軍資金提供の結果、許可証ではなく、中国旅行会社社員が同行することが条件でめでたく許可を得た。生きた許可証という事か?? まったく中国らしい。中国人いわく中国には決まったルールは存在しないとのこと。 尚、大連の取引先の人から以前許可無しで日本人客を旅順港見学に連れて行った時、ばれて中国人通訳社員が公安に半日拘束されたと聞いたので本当に許可が要るのは間違いない。うそではないので気をつけましょう。(最近だいぶ緩和されたと聞いたが自分で確認したわけでないので詳細不明) 203高地山頂に建てられた攻略記念碑、日露戦争後日本軍が建てた。1904年に攻略成功したのでもう丸百年以上になる。 203高地から見た旅順港: 確かにはっきり軍港が見渡せられることを確認した。 戦艦砲撃砲弾観測の為にこの平凡な景色が必要だったのだがその代償として15400人の 日本人がここで死んだのだ。 ちゃんとココで言いましたよ「そこから旅順港が見えるか?」 「見えます!旅順が・・・旅順港がはっきり見えま〜す!」日本人ならココでみんな?これを 叫びたいはず。 203高地全景。これが夢に見た203高地だった。小さな小山だ。日本軍は右側からこの機銃だらけの小山を駆け上がった。当時ははげ山だった。今は何故か草木が茂る小山になっているので、当時の写真とイメージが違うのだ。
|


