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筆者が写っている写真の95%は小型3脚か自撮棒で自動シャッターで撮りました。

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トヨタテクノミュージアム産業技術記念館


名古屋市での親戚の結婚式のため、名古屋駅前に泊まった。
駅から歩いて20分くらいのところに旧豊田紡織本社工場後に建てられた企業博物館である。
まあよくできた立派な企業館でした。500円で相当楽しめました。名古屋駅出張宿泊の際はどうぞ。

産業技術記念館外観
豊田紡織の大正時代の赤レンガ造りの工場建屋を流用している。レンガの建物はいい。近代建築の撮影が趣味なおいらは興奮した。
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中は繊維機械館と自動車館に分かれている。
繊維機械は面白かったのだが時間が足りなかったので簡単に見ただけ。
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トヨダAA型乗用車(1936年)
本物ではなく複製とのこと。1,404台生産。
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試作工場らしい。トヨタ初の試作車「A1型」のボデー試作(手叩き板金工程)の様子を紹介。原寸木型に合わせて鉄板を手叩きによりパネルに仕上げて、ボデーを組み立てる。
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自動車館内部は広い
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古い鍛造プレス。実演してくれた。
鋳物や鍛造や溶接やプレスがよくわかっておもしろかったぞ。
ぜんぜん飽きない。
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これは自動車のステアリングの部品と思うが鍛造の順番がわかって面白い。
左から丸棒素材を叩いて部品に成型する。実に分かりやすい。
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これはクランクシャフトだが丸棒が複雑な形状のクランクシャフトに変身してゆくのだ。
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最後にバリを取るのだが、複雑なバリ取り型である。
2時間いたが物足りなかった。ああ面白かった。名古屋駅に近いのでまた行くと思う。
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ヤマハ ビーノ 2スト


神戸市営の駐輪場に置いていた長年の愛車XL125Rがパクられてしまった。
今住んでいるマンションの駐輪場がスペースの関係で自転車のみとなりやむなく近所の神戸市営駐輪場に
置いていたのだが、2年後に恐れていたことが起きた。

ホンダ XL125R
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こいつはいいバイクだった。残念だ。
盗難届を出した警察も、廃車届をだした区役所も、たぶん窃盗団の仕業だから出てこないだろうという。


やむなく以前から気になっていた弟の家内のバイクに目をつけた。
8年間庭の隅にカバーを掛けて放置しているのを私はしっていた。
くれと言ったらあっさりOKだった。

下見に弟邸にいった。ヤマハ VINO だった。
パフィーの宣伝していたやつだ。レトロっぽいいいバイクだ。価格も高かった。
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現在は購入できない排気ガス規制前の2ストエンジンタイプのVINO 5AUだ。やったー!
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もちろんエンジンはかからない。
近所のバイク屋で直してもらった。
バッテリー交換、キャブ洗浄、インマニ、吸気フィルター交換等 諸々で38000円だった。

このビーノは発売直後に購入したので1997年式は分かっている。でも走行距離はたったの1500km。
それでかよく走る。 平坦道路でメーターを振り切って75Km/Hrくらいの位置で速度計の針が停まっていた。
まだ加速していた。メーター誤差を考慮しても70Km/Hr以上は出るのは間違いない。
急な坂道も50Km/Hrは出るので車の流れについて行ける。ありがたい。
今の4ストスクーターは加速が悪く坂に弱いらしい。2スト万歳!!
制限速度は30km/hrだが自分のマシンの限界性能を知っておくことは重要だ。

愚生のような豚体形の男が乗るとビーノがしんどそうに見える。パフィーが乗るとかわいいが。
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豚ビーノだな。かわいそうなビーノちゃん。
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パフィーが乗ると80Km/Hr以上でるのではないか???

ランサーターボインタークーラーGSR


私はランサーターボインタークーラーを2年ちょっと愛車にしていた。結局会社のマニヤな社員にどうしても売ってほしいと頼まれて安く売ってやった。それぐらいマニヤ受けする車だった。マニヤ受けするわりに販売台数が極端に少なかったのだ。
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時々このランサーで六甲を走っていたが前のサバンナに比べてなんかスピンしそうな感じでグリップが悪く感じた。でもFR車で心地よく走れるので気にはいっていた。
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私はケンメリGTX、レビンTE71、サバンナRX7 SA22Cとか愛車にしていたがこのランタボを含めていまや雑誌の昭和の心に残る名車の常連になっている。いいくるまのオーナーになれて幸せと思っている。今の車が悪いというわけでないが走りを前面に押し出した車が現在何台あるだろうか? 良きいい時代だった。

昭和60年ころこのランタボが欲しかったが大学生で買えなかったのでカタログだけディーラーにもらいに行ったのがコレ。大事に今でも保管している。その後どうしても夢をかなえたく中古で購入した。
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今の車はエアーバックが標準なのでハンドル交換なんか夢みたいな話だが当時はパワステ無しの小径ハンドルがカッコよかった。(今の人にはびっくりするほど重いハンドリング) このハンドルはケンメリGTX、71レビン、RX7と4代愛用してきた愛着のある小径ハンドルだ。昔は車を換えてもハンドルは継承する人が多かった。
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GX250SP 阿蘇単車ツーリング

最近の若者達の間ではあまりはやらないが愚生が若かったころは単車で大勢でツーリングに
行くことが多かった。
昭和62年3月、大学の友人達と単車で九州旅行へでかけた。
これも今ではあまりはやらないがユースホステルに泊まりながら旅をした。
最近の若者でユースに泊まったことがある人は僕のまわりにはいない。
会員になるのは面倒だし、相部屋は嫌なのだろう。

阿蘇にて GX250SPと
昭和の匂いがする写真だ 足には寒かったので当時はやった
スキー用のスパッツをつけている。これは温いのでいい。
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全員と全員の単車で記念撮影。後は阿蘇山
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肥薩線瀬戸石駅の思い出

先月八代駅から肥薩線に乗り換え鹿児島へ向かった。
途中瀬戸石駅で列車のすれ違いのため、5分以上停車とのことなので降りて
駅を観察することにした。
そのとき初めてのはずなのに初めてでない衝撃にかられた。
「大昔来たはずだ。この駅に」しかし肥薩線に乗るのは絶対初めてだ。
背筋がぞっとした。
とりあえず脳裏に焼きついている光景のアングルで写真を撮った。
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「いさぶろう、しんぺい」という名の列車が走り始めた。
列車の中でずっと考えた。大昔熊本の山奥に行ったのはいつだったのだろうか?
大学3年の車宿泊貧乏旅行か大学4年のときの単車ツーリングしか考えられない。
しかしあの時はどっちも桜島から阿蘇に抜けたはずだから八代寄りを走ったとは思えないが・・・
まあ家に帰ったあと写真を確認してみようと思った。写真は別荘の倉庫にあるはずだ。

別荘に行く機会があったとき倉庫を必死に探して古ぼけたアルバムを見つけた。
「あった!」たしかに駅の前で写真を撮っていた。
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アルバムには「山奥で道に迷って突然この駅に出たので休憩した」と書いてあった。
日付は昭和62年3月11日となっている。ローマ字が白黒逆だが駅名看板の字体はおおむね同じだ。
でも詳細は思い出せない。

私は昔からまめに写真に日付とコメントを書くほうだ。20年後に役に立った。

人間というのはなにかの拍子に特別に印象の無い消去されたはずの記憶が引き出されるのであろうか。

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