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ブログのアクセスを見るとやる気が出て来る。
懲りずに妄想?の歴史観にいよいよ突入する。
話がどんどん横道に逸れている。
平将門の父良将の話に戻そう。
将門の父良将が兄弟の中でも一番の力を持ったのは恐らく良将の父である
平高望の溺愛ではないだろうか。
良将と上の兄の国香、良兼と母を同じくしているという説がある。
もしそうだとすると良将の力量が抜きん出ていたとしても父親の後ろ盾は
必須だろう。
男三人兄弟で育った者から見れば親子にも相性があることは経験上よく分
かる。
得てして下の子が可愛い傾向も何となく理解できる。
良将は恐らく兄たちも羨む羽ぶりだったのだろう。
だいぶ前になるが神奈川県の平塚市に仕事の関係で数年間、週の半分くらい
行き来していたことがある。
その時に何かの情報であるが、平氏の一族が坂東に下向する途中の現在の
平塚で、その中に居た真砂子姫がこの地で亡くなって墓を建てて埋葬された
ので平氏の姫の墓(塚)で平塚の地名になったという説があるらしい。
この真砂子姫は平高望の妹で父は高望と同じ高見王と言われている。
高見王の子である高望王は臣籍に下って平高望と名乗り官位を貰って任地
である坂東に下向したらしい。
皇族の支流では食べるのも大変な状況だったのだろう。
藤原一族が幅を利かせ来ていたので京ではなく地方に行って貴種を売り物
にするしかないのだろう。
その時に自分の子供である国香、良兼、良将らと共に妹の真砂子姫も一緒
に連れて行ったということだろうか。
真砂子姫の年齢は分からないが坂東の豪族に下げ渡して力を得ようとした
ことも十分に考えられる。
恐らくその時代にしては結構な年齢だったような気がする。
小説的には既に嫁いでいた真砂子姫を無理矢理離縁させ坂東の地へ連れて
行く途中で病死してしまったとういうのは余りにも悲劇的な話になってしまう。
それほど当時の坂東では京の貴種の女性は垂涎の的であったと言えるだろ
う。
平高望の五男と言われる平良文から後に坂東八平氏に別れて行くのである。
長男の国香からは後の清盛一門、将門からは相馬氏などが出ている。
坂東八平氏、特に三浦氏の一端については是非語りたいと思っている。
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