自遊人の日記(ペット、歴史・民俗、考古学、古寺巡礼)

愛犬の旅立ちと共にここでのブログも終了するのかと思うと寂しいですね。

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定年後少し経ってから以前所属していた部の懇親会の案内があった。
幹事が以前所属していた課の課長で、その後ここの部長になった人と
もう一人私と同年代の人と二人で、会長となっているのが上司が課長
だった時の部長だった人である。
6月に案内を出して出欠を取って7月に懇親会を開催していたらしい。
私としてはその懇親会のあり方そのものに賛同しかねたので返信はがき
には案内御無用と書いて返送していた。

昨年も懲りずに?同じ時期に往復はがきが来ていたので、また来たか
と思って内容を見るといつもとはちょっと違っていた。
内容は参加者がはがきを出している人数の2〜3割程度しか集まらな
いので意見を聞きたいという内容だった。
恐らく最初は懐かしく思ってそこそこの参加があったが年を重ねる毎
に参加者が減っていったのだろう。
状況はほぼ把握できるような気がした。
 
この会長に祭り上げられてる元部長が問題なのである。
部長としての力量があるとは思えなかったが、一番の理由はその性格
の陰険さである。
その部長が課長だった時に同級生が部下だったことがある。
私から見ても決して優秀な社員とは言えないが、成績の評価で5段階
ある中で最低の評価を付けられたらしい。
それを私に同級生が告白した時に付け加えてこう言った。
その評価を当時の課長から告げられて、
こんな評価をされるということは、サラリーマン失格ということだと。
 
同級生はそれを言われて腹は立ったらしいが特に反論することもなか
ったという。
他にもいろんな話はあるが決して人間的にも尊敬などとはほど遠い
人物だった。
 
だから最初から参加するつもりは一切なかった。
元部長が相変わらず部長風を吹かせるのは目に見えている。
会社を卒業して一社会人となった今はそれは耐えられない。
現在は個人対個人である。
ある意味対等でなければいけない筈である。
 
それでみんなの意見を聞きたいというので、はっきりと書いて返送
した。
 
個人的な付き合いを否定するものではありませんが、過去の柵に縛ら
れたような付き合いは御遠慮いたします・・・と。
 
今年は往復はがきが来る時期は過ぎているが、往復はがきはまだ来て
いない。
飽きもせず?ダラダラと書かせてもらっているのは自分自身の活性化
少ない知識の整理が出来ればと考えている。
 
仏教が日本に伝来した当時の上流階級である皇室や貴族の中で仏教に
帰依する人たちが増えて行き、その流れの中で天台宗や真言宗が主流
なって行く。
その後、武士の台頭があり、武士階級に支持される禅宗が普及し、
それから一般庶民にも信仰される浄土宗や浄土真宗や日蓮宗などと
なってその後もいろんな宗派が生まれ、現在でも新しい宗教が誕生
している。
階層的にピラミッドの上の部分の人たちから徐々に下の方に伝わって
行き、時間と共にピラミッド全体を覆い尽くすように仏教が浸透して
行った。
 
鎌倉時代頃までには各宗旨は階級(階層)で分類されていただろうが、
その後徐々にそのような体系も部分的に崩れて行く。
大本山の末寺などが出来た場所や条件などによって一般庶民でも
天台宗や真言宗、特に真言宗に帰依することも可能になって行く。
四国などは真言宗の信徒は多いだろう。
そのようにお寺の門戸を解放しないとお寺の経営自体が成り立たない
側面もあったことだろう。
 
私の父方の宗旨は真言宗であるが江戸時代は岡山市の新市内となって
いる干拓された寒村にいたらしいが宗旨だけは立派である。
その場所に行ってみたことがあるが、近くには確かに真言宗の寺が
多かった。
父方の家紋は剣酢漿で、これも武士階級が好んで使った家紋ではある
が恐らくこれもあやかり組だろうと想像している。
先祖の居た場所は旧備前国に属し、戦国時代にこの地域でのし上がっ
た宇喜多氏の領地であり、この宇喜多氏の家紋が剣酢漿である。
恐らくそれをちゃっかり拝借したのかもしれない。
ただ、この地域の歴史的背景や祖先の住んでいたところなどの検証
をして行くと一概にあやかり組とは言えない可能性も若干はあるよう
な気もする。
それらの検証作業は少ない点を拾い集め、その点を事実や妥当性の
ある仮説などで線で結んで、一つの形を作り上げるという作業である
が、それは恐らく気の遠くなるような時間が必要だろう。
 
ところで先ほどの宇喜多氏であるが、 元々は地名の浮田であること
は間違いないようだ。
本家が嘉字転換をして宇喜多としたのだろう。
北さんが喜多さんにしているのと同じで、家の近くにも喜多さんは
多い。
本家は宇喜多氏で一族は本来の浮田氏にしていたらしい。
武田氏の本家が武田菱(四つ菱)で一族一門が三階菱(三つ菱)とした
ように例え一族一門でも本家とは一線を画すということだろう。
 
この地名の浮田も先般平将門の中で紹介した悪田、芥、圷、阿久津、
牟田などに分類される湿地帯などに作られた田んぼで余り良田とは
言い難い場所のことである。
大阪市の北区にも浮田という地名が残っているらしい。
大阪市北区の繁華街である梅田という地名も埋め立てた田ん
ぼということで、最初は埋田であったが嘉字転換させて埋を梅とし
て梅田になったと聞いたことがある。
少しだけこのような知識があるとどこに行ってもそこの地名などを
見ているだけで飽きることがない。
念願のサイクルキャリアをルーフキャリアに取り付けて新し

クロスバイクを載せてみた。
専用のアルミ製作業台を購入してトライしてみた。
結果はちょっと難しいかなという印象だった。
載せるのは何とかなるが下すのがちょっと危ない。
載せる時は一人で出来たが、下す時は少し家内にも手伝って
貰った。
作業台が60cmくらいの高さなので高さが30cmくらいの
ステップがあれば一人でも何とかなりそうである。
自転車も新しいクロスバイクではなく、2kgほど軽いロード
バイクにした方が安心なような気がする。
でないとサイクルキャリアに自転車を載せて遠征する時には
もれなく家内が付いてくることになる・・・・・。
と言っても一緒に来るのが嫌だとは絶対に言えませんから。
 
差し当たっては今度の3連休に日帰りで県内にある佐用町の
平福に行ってみようと思っている。
近くには利神城跡があるので様子を見に行き来たいと思って
いる。
利神城周辺は朝霞がよく知られているらしく、その風景は竹田
城にも匹敵するらしい。
竹田城は山名氏の守護代の太田垣氏守っている時に織田信長勢
に攻められて滅んでいる。
一方、利神城は赤松一族の小寺氏が築城して嘉吉の乱以降を除
いて代々守っていたようだ。
NHK大河ドラマの軍師官兵衛の時に片岡鶴太郎が演じていた日
和見的な武将小寺某のうろ覚えではあるが、居城ではないかと
思う。
探索とトレーニングが同時に出来るのなら最高である。
ただ、時期的にも熱中症には気を付けなければいけないだろう。
 
真夏でも子供の頃は昼寝もせず遊び回っていたし、40歳を過
ぎていて草野球でダブルヘッダーをしてどうもなかったイメージ
が頭に残っているのでどうして無理をしてしまう。
余計に気を付けなければいけないのは分かってはいるが・・・。
 
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自転車のタイヤの空気は定期的にアサヒサイクルで補充してもらっている。
購入してから丸3年が経ったロードバイクを持って行って空気を入れて貰
ってから帰ろうとすると店の若い店員の人がタイヤの一部に割れている所が
あるので少し空気圧を低い目にしておいたので早い目にタイヤの交換をした
方が良いとアドバイスしてくれた。
タイヤを見てみると前輪に5cm以上割れているのが見てとれた。
後輪にも同じような割れもあった。
取り替えとなるとタイヤとチューブを前後で普通のレベルの物でも1万円は
かかるようだ。
いよいよ車のサイクルキャリアに乗せて遠征先で乗り始めようかと考えて
いた矢先のことである。
でも考えようによっては遠征先でトラブルになるより、事前に取り替えて
おいた方が安心ではある。
 
確かに丸3年が経っているので交換する時期には来ているのかもしれない。
店の人の話では3年だと長持ちしているような言い方だった。
確かに以前買ったクロスバイクには普通のカバーを掛けていたがその内に
カバーをしていなかったので2年もすると樹脂のチューブなどに沢山のヒビ
割れや他にも変色や劣化が見受けられた。
風雨に曝されたのと紫外線による劣化によるものと考えられるのでインター
ネットでUV対応のカバーを購入して使うようにした。
ロードバイクは3年前に購入した時からUV対応のカバー使っていたので
少し長持ちしたのかもしれない。
いずれにしろサイクルキャリアにはこのロードバイクが必須なので手入れ
だけは怠らないようにしたい。
そういう意味で購入したアサヒサイクルで定期的に空気を補充するように
している。
自分で空気入れを購入空気を補充しても良いのだが、アサヒサイクルに
持って行って空気を補充して貰った時に今回のような自分が気が付かない
ことをアドバイスしてくれたり、ちょっとした質問などをしたりするのに
便利なので利用させてもらっている。
店にとっても例えそれだけの客でも店に来ることはマイナスにはならない
だろう。
ここ5年でそこそこの自転車を3台購入しているのだから。
 
枯木も山の賑わいと思われる方はちょっと失礼ですよ。
この前の日曜日に彦根市周辺を観光に行って来た。
行程は車で朝出発し、昼前に彦根城近くに到着して昼食(近江)
天寧寺、永源寺と回って予定終了である。
天寧寺には五百羅漢がある。
ここの五百羅漢はちょっと珍しく仏殿の中に安置されている。
本尊の釈迦如来を中心に十大弟子、十六羅漢、五百羅漢があり、
計五二七体となる。
住職の話では本尊は大日如来と言っていた。
確かその通りであるが、何故かパンフレットには釈迦如来と書か
れている。
釈迦如来と大日如来はちょっと違うと思うのであるが別にそんな
ことは気にしていないのだろう。
天寧寺は江戸時代後半に当時の井伊家当主が建てた寺院と言われ、
大老となった井伊直弼の父にあたるらしい。創建の逸話を住職が
話されていたが、個人的には理解しかねるところがあった。
寺院の建物全体は当時の状況を忍ばせるような質素な印象を受け
た。
天寧寺の境内から遠く彦根城が望める場所もあり恐らくそういう
立地を選んだのだろうか。
天寧寺は臨済宗の寺院で総本山は永平寺になるらしい。
臨済宗は禅宗であり双璧として曹洞宗がある。
禅宗が広く日本に普及したのは鎌倉時代の執権である北条氏
帰依し、保護したことが大きいだろう。
同じ禅宗である臨済宗と曹洞宗の違いの一つとして、臨済宗
上級武士階級、曹洞宗は下級武士階級が信仰したとも言われて
いる。
臨済宗自体が武士階級に支持されたものと言えるだろう。
このようなことは現在に至るまで、ある程度ではあるが残っ
いるようだ。
自分のルーツを探す手掛りとして、苗字、家紋、宗旨などが有効
な手段ではある。
 
その反面各々危ういところも持ち合わせている。
苗字は明治時代になってから国民全員が付けることになったので
江戸時代以前に苗字を持っていながら江戸時代には大っぴらに
名乗れなかったが明治時代になって元々の苗字に復活させたのも
あるだろう。
司馬遼太郎氏の御先祖のように復活させようとして諸般の事情に
よって出来なかったケースもあった。
ここでも同時に多くのあやかり組が誕生することになった。
 
家紋についても極論として恐らく江戸時代以降であろうと考えるが、
ただ一つを除いて何を付けても自由という暗黙の了解のようなもの
が存在するように感じる。
神戸市内にある大きな市営墓地に墓参りをした時などお墓にある
家紋を見ていると歴史上有名な人物の家紋をよく見掛ける。
そんなに有名人の末裔が沢山いるのかと思ってしまうことがある。

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