自遊人の日記(ペット、歴史・民俗、考古学、古寺巡礼)

愛犬の旅立ちと共にここでのブログも終了するのかと思うと寂しいですね。

全体表示

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索
前回旧丹波国から上杉氏や太田氏が関東に下向したと書いたが、
上杉氏や太田氏と言ってもちょっとピンと来ないかも知れないので
補足させて貰う。
上杉氏は藤原北家の流れを汲む公家の出と言われている。
領地である丹波国上杉庄にいつの頃からか下向して来た。
恐らく京では十分な生活が出来なくなって仕方なく来たのだろう。
都落ちは古今東西嫌なものである。
 
そんなことは平安時代頃より京で食べられなくなった皇族や公家、
貴族が関東などを始め全国に下向することは珍しいことではなかった。
その中から源氏や平氏が勃興して来ることになる。
藤原氏も沢山の門葉を地方に分散させている。
平将門追討で功をあげて一族を栄えさせた藤原秀郷や伊予国で京の
朝廷に背いて反乱を主導したと言われる藤原純友などが有名である。
平将門も京の朝廷に背いて反乱を起こし自ら新皇と名乗った為に
朝廷から討伐を受けて滅んだと教科書の歴史に書いてたたように
記憶していた。
これも全く勝者の歴史であり余りにも一方的なものと言える。
今から40数年前に海音寺潮五郎氏の武将列伝の中で平将門という
人物を初めて身近に感じることが出来た。
その後NHKの大河ドラマで平将門を主人公にした海音寺潮五郎氏
原作の風と雲と虹とが放送された。
平将門を俳優の加藤剛が演じていた。
将門の不遇さ、純粋な生真面目さや豪傑ぶりを颯爽と演じていた
のが印象的だった。
今までの大河ドラマで好きな順としては、まずは風と雲と虹と。
次が国取り物語。そして草燃えるとなっている。
 
この頃から平将門という人物に興味を持ったが余り参考になる資料
は少ない。
たまたま仕事で茨城県のつくば市に半年ほど滞在する機会があった。
ある日曜日に何を思ったのか平将門が居住していたと言われる豊田館
を見に行こうと思い立って岩井市(現在は坂東市)行った。
岩井市内に入ってからお祭りをしているので何だろうと見ていると
何とそれは年に一度の将門まつりだという。
何という日に来たのだろうと思った。
後で調べると神田明神将門太鼓や神田ばやし等がが披露されるらしい。
一説によると神田明神の祭神は元々は平将門だったと言われている。
紆余曲折があったのだろう。その後、祭神が置き換わって平将門は
奥の方に押し込められてしまったという。
この平将門と関係が深い場所で神田明神と関わりがあるのを知って
納得である。
ちなみに平将門が坂東の地で新皇を名乗ったと言われる頃、それを
伝え聞いた朝廷は驚き怯えたことだろう。
当然何か対策を講じなければいけないとなり、その一つとして真言宗
である成田山新勝寺を建てたらしい。
当時は公然?として自分のライバルや恨みを持った相手に対して
呪詛・調伏を盛んに行った時代である。
京の朝廷も成田山新勝寺を坂東の最前線で呪詛・調伏を担わせること
になる。
勿論のこと京や奈良などの大きな寺院などでも盛んに行われことだ
ろう。
ただ、成田山新勝寺は平将門すなわち新皇に呪詛・調伏を以て打ち
勝つ寺ということで新勝寺と名付けたと本に書いてあったと記憶して
いる。
それが武将列伝だったかどうかは定かではない。
恐らく平将門が非業の死を遂げた時は呪詛・調伏のお陰と思った人
たちも多く居ただろうから各寺院には莫大な寄進がされたことだろう。
 
当時岩井市に行った時に地元の古い本屋に行くと北関東地域で平将門
を祀る神社を書いている本があった。
立派な本でそれには沢山の神社が書かれていた。
京の貴族に虐げられていた坂東の地で平将門という英雄が現れて坂東
の人たちは拍手大喝采をして後押しをしたのだろう。
ところがある時坂東の人たちは平将門を見捨ててしまったようだ。
その後、平将門が死に今度は将門の祟りに怯えることになったのだ
ろう。
申し訳なさと怖さで多くの神社や祠を作って祀ったと思われる。
神田明神も朝敵とも言われかねない平将門が祭神とは言えない時期が
長くあったのだろう。
その内、多くの神社でもあった祭神の置き換わりになってしまった
のだろう。
最近はどうだか知らないが、坂東すなわち関東の人たちの心の中には
長く英雄平将門は生きていた筈である。
 
歌舞伎界の宗家と言われる市川團十郎は代々成田山新勝寺を深く信仰
しているようである。
歌舞伎は本来一般庶民の娯楽であったと思うが体制側の一つの象徴で
あった成田山新勝寺と歌舞伎界の宗家が結び付くのか何となく違和感
を感じる。
一般庶民というより一般大衆の多くが元旦に成田山新勝寺に参拝して
いるのを見て大衆とはいかに気まぐれなものかということを実感させ
てくれる。
所詮、大衆とは気まぐれなものだろう。
最近でも小泉政権、民主党政権、安倍政権への変遷を見てもつくづく
そう思う。

ひょんなことから車を買うことになってしまった。
車と言っても現役時代でもないから高級車はとても買えない。
ただ、妻に無理を言ってルーフキャリアだけは付けるように
させて貰った。
その目的は自転車を積むためのもので、それを乗せて静かな
車の少ない所へ行って風景などを横目に見ながら走りたいと
思っていた。
テレビなどでいろんな旅番組などを見ていると、ここは自転
で走ってみたいなと思う所が多々ある。
同じ県内からちょっと足を伸ばして近県に行くのも良いだろう。
当面は県内に絞って行ってみようと考えている。
最近テレビでよく見るのが作用町の平福である。
宿場町でまだ少しその風情を残しているようだ。
上月城址もそんなに離れていないようだし一度行ってみたい。
まだ行ったことのない見たこともない所に行けば何か新しい
発見があるかもしれない。
それを行った先で見つけられればそれは楽しいことだろう。
それは自分が感じられることであれば何でも良い。
日本の中でそれが出来ればと思っている。
それを考えると海外にはほとんど興味がない。
日本のルーツを探しに韓国や中国に行くことも数十年前には
考えたこともあったが現在のそれらの国は知的好奇心を擽る
ことは少ない。
限られた時間は国内、特に近畿、中国・四国地方で手一杯で
あろうと思っている。
 
兵庫県では丹波地方もゆっくりと時間をかけて自転車で探索
してみたい。
旧丹波国は現在は兵庫県と京都府に分断されている。
現在の京都府の旧丹波国から上杉氏や太田氏が発祥し、その
後に関東に下向している。
姓氏発祥の地である京都府綾部市の上杉庄や京都府亀岡市の
太田庄にも行ってみたい。
歴史上の人物の姓氏発祥の地を訪ねる旅を以前からしてみた
いと考えていた。
兵庫県内では戦国大名の朝倉氏、室町時代から長く続いた赤松
一族とその多くの分流など姓氏発祥の地を巡ってみたいと思っ
ている。
忘れてはいけないのが、現在住んでいる近くの剣豪宮本武蔵の
姓氏発祥の地を訪ねる旅もある。
一昨年に兵庫県揖保郡太子町宮本に行ってみた。
武蔵が幼少の頃に折檻で吊られた木や産湯に使った井戸の跡?
があったように記憶しているが個人的には何となく取って付け
たような気がした。
私としては養子の伊織が地元の泊神社に奉納した棟札に書いて
いるように武蔵は播州米田村生誕の信憑性が高いと思っている。
米田村にある米田神社(泊神社の分社)が武蔵の頃からあるとす
れば、宮本の元々の意味であるお宮の近くだったのでを自説と
したい。
恐らく武蔵は播州米田村で生まれ、間もなく他所に行ったと考
ている。
 
歴史探訪の旅は車で行っても風情がないので近くまで車で行っ
から自転車に乗り換えて目的地まで行くようにしたい。
健康面にも良いので一石二鳥だろう。
勿論、ヘルメットや前後のライトを付けて交通安全にも気を付け
るようにする。
 
最近だいぶ蒸し暑くなってきたので思い切って今日はサマーカットを
しました。
最近ちょっと体重も増えていたので久しぶりにカットをするとどうな
るのだろうと思っていました。
いざカットをしてみると想像していたよりずっとスマートなのに驚き
ました。
9月で13歳になるので余り太くならないように注意しています。
日によって少し食欲がなかったりしますが長引くこともなく元気に
生活しています。
これから暑くなって行くので十分に気を付けるようにしたいと思って
います。


イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3



ちょっとした用事で5月2日から3日にかけて和歌山に行って来たが、
前回は白岩丹生神社に行った時の内容をアップした。
その後、長らくそのままにしてしまっていたので改めて続きを書くこと
にした。
海神社が和歌山県にあると知って早速行かなければと思った。
海神社は、かいじんじゃ又はわたつみ(わだつみ)じんじゃと読むのだ
ろう。
神戸市垂水区に同じく海神社がある。
JR垂水駅の南側にあり、電車に乗っていてもよく見える。
垂水にある海神社から西へ直線で約600mの所に五色塚古墳がある。
墳丘の長さが200m近い巨大な前方後円墳で兵庫県では最大と言われて
いる。
海神社を当初建立しただろうと思われるこの地方の豪族と五色塚古墳
との関係が一部で取り沙汰されているが、現在の五色塚古墳の上を歩
くとその見晴らしの良さに驚かされる。
恐らく瀬戸内海の東の抑えとして重要な場所であり、これだけ立派な
古墳を造る相当な力を持っていたのは想像出来る。
この海神社をあまじんじゃ、又はたるみじんじゃと読むという説もあ
る。

兵庫県の東の端にある尼崎市の尼は海又は海人であるとも言われてい
るので瀬戸内海沿岸には多くの海人すなわち海の民のいろんな集団が
住んでいたのだろうと想像する。
それらは地名や神社名や祭神、神社の分布と古墳などによって微かな
ヒントを与えてくれていることがある。
ただ、古墳などは破壊されたりしない限り場所的なものが変わること
少ないと言えるが、神社の所在地、神社名、祭神などは途中で変わっ
ていることはあり得る。
神戸市垂水区の海神社も当初からこの位置にあったのかどうかは分か
ないだろう。
場所的に見て今から1500年近く前には海だった可能性もある。
それについては地質学に基づいて調査をする必要もあるだろう。
紀の川の海神社と神戸市垂水区にある海神社は共に延喜式神名帳に記
戴されている神社である。

続く・・・・・。

今日は年に数回巡って来る朝礼の当番だった。
今の会社に入社してから1年も経っていないので今日で2回目
である。
この会社の朝礼はちょっと変わっていて、健康管理的な話は御
法度だという。
明文化されたものは当然ある訳ではないが上層部の意向らしい。
一般的には健康管理については朝礼時に取り上げるのは当たり
前のことでそれを制限していること自体が私から言わせれば異
常とも思える。
企業を支えるのは人であり、人の基本は健康である。
そのことを大事に考えない企業は長く続いて行くのだろうかと
いう疑問を持ってしまう。
自分自身が朝礼の訓示をしていた頃の内容の大半は安全と健康
管理である。
仕事に関わる連絡事項はあるが、それはあくまで連絡事項である。
そういう制限があろうともそんなことは余り気にしない。
 
現在の健康寿命が70歳ちょっと、寿命が80歳ちょっとであり、
その差の約10年を如何に縮めるかは40代から50代の頃か
ら考えておくのが大切ではないかと言ったが、どれだけの人が
それを理解してくれたかは気にしない。
自分が病気になったり、体調を崩したりして初めて健康のあり
がたさを痛感するのである。
自分自身がそうだったので余計に感じるのであるが、やはり経
験をしないとピンと来ないのだろう。
ただ、その時には遅いということもあるし、死ぬまでそのリス
クに怯え続けることもある。

.
大甘親父
大甘親父
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
検索 検索

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事