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飽きもせず?ダラダラと書かせてもらっているのは自分自身の活性化
と少ない知識の整理が出来ればと考えている。
仏教が日本に伝来した当時の上流階級である皇室や貴族の中で仏教に
帰依する人たちが増えて行き、その流れの中で天台宗や真言宗が主流
となって行く。
その後、武士の台頭があり、武士階級に支持される禅宗が普及し、
それから一般庶民にも信仰される浄土宗や浄土真宗や日蓮宗などと
なってその後もいろんな宗派が生まれ、現在でも新しい宗教が誕生
している。
階層的にピラミッドの上の部分の人たちから徐々に下の方に伝わって
行き、時間と共にピラミッド全体を覆い尽くすように仏教が浸透して
行った。
鎌倉時代頃までには各宗旨は階級(階層)で分類されていただろうが、
その後徐々にそのような体系も部分的に崩れて行く。
大本山の末寺などが出来た場所や条件などによって一般庶民でも
天台宗や真言宗、特に真言宗に帰依することも可能になって行く。
四国などは真言宗の信徒は多いだろう。
そのようにお寺の門戸を解放しないとお寺の経営自体が成り立たない
側面もあったことだろう。
私の父方の宗旨は真言宗であるが江戸時代は岡山市の新市内となって
いる干拓された寒村にいたらしいが宗旨だけは立派である。
その場所に行ってみたことがあるが、近くには確かに真言宗の寺が
多かった。
父方の家紋は剣酢漿で、これも武士階級が好んで使った家紋ではある
が恐らくこれもあやかり組だろうと想像している。
先祖の居た場所は旧備前国に属し、戦国時代にこの地域でのし上がっ
た宇喜多氏の領地であり、この宇喜多氏の家紋が剣酢漿である。
恐らくそれをちゃっかり拝借したのかもしれない。
ただ、この地域の歴史的背景や祖先の住んでいたところなどの検証
をして行くと一概にあやかり組とは言えない可能性も若干はあるよう
な気もする。
それらの検証作業は少ない点を拾い集め、その点を事実や妥当性の
ある仮説などで線で結んで、一つの形を作り上げるという作業である
が、それは恐らく気の遠くなるような時間が必要だろう。
ところで先ほどの宇喜多氏であるが、 元々は地名の浮田であること
は間違いないようだ。
本家が嘉字転換をして宇喜多としたのだろう。
北さんが喜多さんにしているのと同じで、家の近くにも喜多さんは
多い。
本家は宇喜多氏で一族は本来の浮田氏にしていたらしい。
武田氏の本家が武田菱(四つ菱)で一族一門が三階菱(三つ菱)とした
ように例え一族一門でも本家とは一線を画すということだろう。
この地名の浮田も先般平将門の中で紹介した悪田、芥、圷、阿久津、
牟田などに分類される湿地帯などに作られた田んぼで余り良田とは
言い難い場所のことである。
大阪市の北区にも浮田という地名が残っているらしい。
大阪市北区の繁華街である梅田という地名も埋め立てた田ん
ぼということで、最初は埋田であったが嘉字転換させて埋を梅とし
て梅田になったと聞いたことがある。
少しだけこのような知識があるとどこに行ってもそこの地名などを
見ているだけで飽きることがない。
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2016年07月15日
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