|
新年明けまして、おめでとうございます。
本年も宜しくお願い致します! 実家の馬です |
顧問関連
[ リスト | 詳細 ]
|
先週末に、相撲を通じて絆が生まれた仲間たちの集い、食事会が開催されました。
その名も
「 東 西 会 」。
普段から顔を合わせている者、久々に会う者、初めて会う者など、様々なメンツが今回集いました。
集いの場は、東京・両国にある「雪だるま☃」にて行われました。ご存知の方もいらっしゃると思いますが、元十両・若孜の中尾浩規さんのお店です
「雪だるま」は、中尾さん自身から「機会があればご利用下さい」とお声がけされていたので、いつかは行ってみたいと思ってはいましたが、まさかのこういった機会で伺う形になるとは・・・
さて、今回の参加メンバーですが、写真左から東郷隆宏(近大付属→近大)、園山智之(金沢市立工業→中央大)、平真一(埼玉栄→日大)
写真真ん中から野村茂(明大中野→明大※大学では相撲はやっていません
約4時間、各大学の伝説や戦歴など、相撲談義以外は一切語られず・・・美味しいジンギスカンも食べられ、本当に充実した時間を過ごすことができました
また、「雪だるま」の従業員にも相撲仲間がいました。1学年後輩で、中尾さんの実弟である中尾展也(明大中野→中央大)です。彼とは社会人になって対戦経験がありますが・・・完敗
そしてもうひとり。写真右は元十両・玉の国の岡部光国(目黒→東洋大)。彼も1学年下ですが、スケールが大きく、試合では当たりたくない選手でした
楽しい時間があっという間に過ぎ、お開きの時間となりました。
東の会、また近いうちにやりましょう!楽しい時間を久しぶりに過ごすことができました。最終目標は東西会ですね!開催が実現できるよう頑張りましょう!神崎くん!!
ちゃした!!
|
|
ご無沙汰しております。本日より、連続投稿していきます!!
来年のインターハイ相撲競技が東京都にて開催されるということで、視察のため長崎県平戸市へ行ってまいりました。
なんと、入口には長崎県出身(諫早農業高校出身)の境川親方、時津風親方の歓迎看板が設置されておりました。
・・・てことは、来年は貴乃花親方や玉ノ井親方の・・・と勝手に想像してしまいました(^^:
長崎県には、唯一の後輩である田中栄造(100期:諫早農業高校出身)がおり、本体会では招集係を行っておりました。
また、私が長崎へ来ることを聞きつけて、福岡から4時間かけてはるばる平戸まで九州情報大学2年の眞田康平(8期生)が足を運んでくれました。相変わらず服装は・・・高校時代からよく見かけていた、馴染みのあるTシャツで来てくれました。関東にいても、福岡にいてもマイペースな彼の姿が見れて何故かホッとしました(*^0^*)康平、ありがとう!
そして視察の合間を見ながら、選手たちへ胸出しも行いました。東京都の選手にもそうでしたが、特に今回は個人戦のみに出場した、拓大紅陵高校の石井大貴選手へは予選から決勝トーナメント全てで胸出しをしました。
その甲斐あって(?笑)3位入賞を果たしてくれました。3位入賞といえば、3年前を思い出します・・・。当時、高校3年生だった金子尚平を引率し沖縄インターハイへ出場しましたが、金子は予選で3連敗し予選通過ならず。その時も個人戦のみで出場していた拓大紅陵高校の後藤鷹輔(現拓大3年)にも胸を出し、3位入賞へ。紅陵の生徒にとってはゲンがいいのでしょうか・・・?いかんいかん!自分の選手たちにとっていい結果をもたらせられる胸出しができるようにならないと(`Δ´)!頑張ります!!何はともあれ、角田先生、石井選手、おめでとうございます!!
さて、先程も紹介しましたが、田中栄造とは宿舎も一緒だったということで記念撮影を
そして、滞在中お世話になったもうひとり。昨年度東京農業大学を卒業した、馬渡太治さん。農大在学中はほとんど会話することはありませんでしたが、今回接してみたら、温厚で非常に人柄もよくまさに「好青年!」そのものでした。よほどの理由がない限り、長崎ヘ足を運ぶことはないとは思いますが、今後ともよろしくお願い致します!!
|
|
昨日は栗本剛先生の御通夜、本日が告別式でした。今回は、栗本先生との思い出を追悼の意も含めまして振り返りたいと思います。
栗本先生との出会いについては、過去に触れておりますので、こちらをご覧いただければと思います。
合宿は何度も受け入れていただきました。近い・遠い限らず、多くの学校にもお声掛けをし盛大に行われました。
時には、師である報徳学園高校の福田先生もお越しになっておりました。
他校の生徒たちへの心遣いもされていて、本校の生徒たちは稽古場でもちゃんこ場でも本当にお世話になりました。
合宿中の食事も普段顔を会わせられない先生方との貴重な交流の場でした。
時には外食をしながらコミュニケーションを図る場をも設けていただきました。
教習所での合同稽古の提案も栗本先生より出され、今では定番になりました。
熱望されていた本校での合同稽古も、平成22年に実現されました。
「綺麗でええ道場やん
当時2歳の娘を抱いて「1枚撮ってえや
そして・・・今年もGWにお邪魔させていただきました。
そして、今回初めて寮にお邪魔させていただきました・・・。まさか、これが先生と最後の寮での食事になろうとは・・・。
それから・・・最後の接触となった今年の関東大会・・・。何より、栗本先生と話せているこの瞬間がとても幸せでした・・。
実は、栗本先生とは教員となったのがほぼ同時期だったんですが、牛久高校は相撲部創設当初から相撲場も合宿所も設けられており、環境は雲泥の差がありました。
平成13年に本校相撲部から初めてインターハイへ出場(1期生:市川拓真、現コーチ)をした翌年のインターハイで団体3位(もちろん創部1年目からインターハイへ出場)、平成20年に本校では途切れそうになった部員がようやく一人(7期生:金子尚平)確保できた時には牛久がインターハイ団体初優勝など、追いかけても手が届かない対照的なチーム状況が続きました。
卒業生のことに関しても、平成19年に3期生の阿部皓世(現コーチ)が全日本学生相撲選手権75kg未満級で優勝したと思ったら、当時東洋大学4年の榎本翔太(現日本通運)が学生横綱になるなど、目指すことすら諦めたくなるほどでした。
しかし、唯一恩返しできたのは平成22年の関東選抜大会の団体予選で3−0で完封がちできたことでしょうか。栗本先生の話題はもちろん、教わったことや影響を受けたことは本当に尽きないほどです。
栗本先生には、感謝の気持ち以外には何もありません。
たくさんの思い出を、本当に、本当にありがとうございました。
最後になりますが、私は昨日行われた御通夜のみに参列させていただきました。正直、ご本人を目の当たりにした時は・・・涙しか出ませんでした。対面するまでは、その瞬間まで「嘘であってくれ!!」という思いしかありませんでした。
ブッダのお話に、こんなものがあります。
ある母子がブッダを訪ねてやってきました。話を聞くと、母親が抱いていた子は既に亡くなっていたそうです。しかし、その子の死を受け入れられなかった母親はブッダに何とかならないかと懇願します。そこで、ブッダはこう言います。「死人の出たことのない家庭を3軒見つけて、その3軒からケシの実をもらい、それを煎じて飲ませれば子供は助かると。その日から母親は必死に1軒1軒回って死人の出たことのない家を探します。何日も何日も・・・。しかし、最後に母親は悟るわけです。死人の出たことのない家庭なんてないことを・・・。そして我が子の死を受け入れなければならないと覚悟を決めるわけです。
私も、本当に栗本先生の死を受け入れることは苦しいことです。しかし、それでは何も前には進めません。この辛い現実を受け止めて、栗本先生に教えられ、気づかされたことをこれからの人生に活かしていきたいと思います。
栗本先生、42年間の充実した人生本当にお疲れ様でした。これまでのお導きに感謝し、安らかに眠られることをお祈りいたします。
栗本先生との思い出は、いつまでも忘れません・・・
|

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用
|
私の相撲仲間であり、教師としての模範でもあり、人生の大先輩であった、東洋大学附属牛久高等学校相撲部顧問の栗本剛先生が昨日早朝にご逝去されました。
昨日、この一報を耳に、目にした時は「冗談はよして下さいよ・・・。」と、疑うことしかできませんでした。
つい1ヶ月前の関東大会では今までと何も変わらない、パワフルでユニークで熱心な姿の栗本先生がそこにはいました。
今年の関東大会にて。いつもと変わらない元気なお姿でしたが・・・
自分の身内や知人の死には多く直面してまいりましたが・・・栗本先生の死だけはどうしても受け入れることができませんでした・・・。今電話をかけたら「勝手に人を殺すなよ〜」って笑って言ってくれるんじゃないかと、そう信じていました・・・。
しかし、今日になってYahoo!ニュースなどでも取り上げられていて、記事を見てやっと栗本先生の「死」が現実であることを受け入れざるを得ないことを悟りました・・・。残念で仕方ありません・・・。
栗本先生からは、本当に様々なことを学び、得るものがたくさんありました。今後、相撲の指導をしていく上でこの経験をこれからも無駄にせず活かし続けていきたいと思います。
また、インターハイを目前とした選手諸君らは、山本先生とともに「栗本スピリッツ」を胸に焼付け、精一杯頑張ってきて欲しいと思います。
最後になりますが、栗本先生の相撲道は色んな人々へ多大なる影響を与えたことは間違いありません。そういった、栄誉ある功績は誰にも真似できることではありません。本当に素敵で素晴らしい人生だったと思います。42年の人生、お疲れ様でした。心よりご冥福をお祈り致します。
|





