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「あなたは今、どこにいますか?」 「研究室の出口です。」 「では、外に出てください。」 「はい・・廊下に出ました。」 「中庭に行ってみましょうか。」 「はい・・中庭に行きます。」 「あなたは今、どこにいますか?」 「はい、大学の中庭にいます。」 「何が見えますか?」 「はい・・花壇が見えます。」 「花が咲いているのですか?」 「はい・・咲いてます。」 「何色の花が咲いてますか?」 「赤い花が咲いてます。」 「では、それを一輪、取ってください。」 「はい・・取りました。」 あの日以降、片桐友里は、その「仮想世界」で人間に出会うことはなかった。何度実験を重ねても、彼女がそこに見るのは「花壇と赤い花」である。そして、「もう一人」の彼女が研究室に戻ってきてからも、やはり同じような結末しか見られなかった。 「そろそろ部屋に戻りましょうか?」 「はい・・戻ります。」 「あなたは今、どこにいますか?」 「研究室のドアの前です。」 「では、ドアを開いて中に入ってください。」 「はい・・入りました。」 実験は暗礁に乗り上げていた。このまま、これを続けていても新たな発見は得られそうになかった。 立花は友里の催眠を解いた後、彼女を早々に帰宅させると、これまでの実験を記録したビデオテープを取り出し、デスクの上に並べた。研究室には記録用のカメラが設置されていて、すべての実験が映像記録として残されている。そして、またそのテープの記録には、それが第三者に見られる前に、確実に消去しなければならない「映像」も含まれていたのだ。 テープをリプレイしながら、立花は、「その部分の映像」の消去を繰り返す。 友里の、白く艶かしい姿態・・・乳房・・あえぎ声・・・。 それは、この部屋で幾度となく繰り返された「男と女の儀式」の記録だった。 すべての作業を終えて自宅に戻った時、時計はすでに午後9時を回っていた。 「お帰りなさい。今日は遅かったのね。」 玄関先で妻は、立花のコートを受け取りながらそう言った。 「ああ、仕上げなければいけないレポートがあってね・・・。」 「ご苦労様です。教授!」 妻・真美子は、屈託のない笑顔を「教授」に向けた。 「あ・そうそう。今日の夕方、貴方の助手をやってる学生さんがお見えになったわよ。」 「え・・・!!」 (ゆ・・友里か!?) 立花は、顔が蒼ざめるのを感じた。なんてことだ!自宅にやって来るとは・・・! 「な・・何の用事だろうなあ・・?」 精一杯、平静を装いながら、立花は妻に応答する。 「ええ・・何でもね、数日前に旅行に行った時のお土産を渡し忘れていたそうで、届けてくれたみたい。」 「お・・お土産・・?」 3日前の週末、友里は確かに旅行に出かけていた。友人と二人で温泉に行ってくると、立花はそう聞いていた。 「何だった?お土産って?」 「ええ、オルゴールでした。何でも地元の職人さんの手作りだそうよ。」 妻はそう言いながら、重厚な木製を小箱を立花に見せた。 「ね、立派でしょう?音も凄く綺麗なのよ。」 小箱の上蓋を開くと、オルゴール独特の音色が流れ始めた。 「ふむ・・綺麗だな・・G線上のアリア・・か。」 そんなことを呟きながら、立花は脳裏ではまったく別のことを心配していた。 (あの箱の中に、余計なモノは入っていないだろうか・・・?) 「小物入れにするにはもったいないし・・ベッドにでも飾っておきましょうか?」 「そうだな・・それがいい・・・。」 妻がシャワーを浴びてる隙に、立花はオルゴールを調べてみた。箱の中は空っぽであり、どこかに細工がしてある様子もない。 (お土産というのは本当らしいな・・。) しかし、ただのお土産なら、大学でも渡せるはずである。自宅に届けに来るというのは、どこか脅迫じみている。 (何か別の目的があるに違いない・・・。) それが何なのか、立花にはわからなかった。 その夜、立花は2週間ぶりに妻を抱いた。研究室での「作業」が、潜在的な発情を促していたのかも知れない。あるいは、友里との情事を自粛していたからだろうか?シャワーを浴びて、バスローブ一枚の姿でベッドルームに入ってきた妻を見たとたん、立花は込み上げてくる欲情を抑えることができなくなっていた。 「ねえ・・貴方・・。」 立花の腕枕の中で、真美子は彼を見上げた。 「あの、助手の学生さん、凄く綺麗な人ね。モデルさんみたい。」 「そうかなあ・・。」 「貴方が、変な気、起こさなきゃいいけど・・。」 「まさか・・彼女は単なる助手だよ。それに、助手でいるのも今月一杯だ。」 「あら、そうなの?」 「ああ・・彼女、深層心理学には向いていないタイプだ。」 「ふ〜ん・・そうなんだ。」 「心理学というのは直感の学問だからね。お勉強の成績が優秀でも、あまり意味がないんだよ。」 ベッドサイドには「オルゴール」があった。二人とも、このオルゴールに小型発信機が内臓されている ことを知る由もなかった。また、発信された信号は、マンションの下の大通りに駐車してある車の中で 受信されていることも・・・。 夫婦二人の、この夜の音声はすべて「盗聴」されていた。会話だけではなく、あらゆる音声が・・。
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もう一人・いる!
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