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セッティングを終えて、ロビーで煙草を吹かしていると、会場から吉田が出てきた。 「ふう、セット終了。本番までまだ、1時間もあるね。」 「ああ・・まあ、のんびりしようぜ。」 吉田は、ソファに座っている俺の前に立つと、意味ありげな笑みを見せながら俺を見下ろしている。 「何だよ・・?座れよ。」 「うん、座るけどさ、TAKUちゃん、デーヒャク、持ってない?」 「デーヒャク・・?」 俺はズボンのポケットを弄り、指先で小銭を探す。 「ほら・・。」 吉田に100円玉を二つ渡した。 「サンキュー、コーヒー買ってくるよ、TAKUちゃんも飲むでしょ?」 吉田はそう言いながら、ロビーの隅に設置されている自動販売機に走っていった。 可笑しな奴だった。吉田にバンドマンの「数の数え方」を教えたのは、他でもないこの俺だが、吉田はそれがえらく気に入ったようで、事あるごとにそれを使用する。「デーヒャク」とは「D−百」のことだ。この「D」というのは西洋音階「ドレミファソラシド」を「CDEFGAB」で表現した時の二番目の音、つまり「レ」である。「CDEFGAB」は、アメリカでは(日本でも)「シー・ディー・イー・エフ・ジー」と発音するがヨーロッパでは「ツェー・デー・イー・エフ・ゲー・アー」と発音する(らしい・・笑) であるから「ツェーマン」と言えば「C−万」のことであり「一万円」を意味する。 「デーマン」は二万円。「ゲーセン」は五千円。「ツェーマン・ゲーセン」は一万五千円だ。 (「ツェーマン・ゲーセン」は「ツェー・ゲー」と省略されることもある) 吉田は缶コーヒーのプルトップを引っ張りながら、俺の横に腰を下ろした。 「ねえ、TAKUちゃん。今日はどうかなあ。うまくいくかなあ?」 うまくいくかなあ・・とは、新人歌手のパフォーマンスを指して言っているわけではない。俺と吉田は、このテの仕事では、すでに3年近くも「組んで」いる。長い間いっしょに仕事をしているので、俺は吉田の美意識、物事の捉え方が手に取るように理解できた。 素人カメラマンから、独学で勉強し、撮影するチャンスさえあればどこへでも出かけて「小銭」を稼ぎながら生きている俺と違い、吉田は生粋の「映像マン」だった。電気関係の専門学校を卒業し、地方のテレビ局に就職。スタジオとロケを同時にこなしながらカメラワークを覚えたというタイプだ。 地方局を退社した理由は定かではないが、現在はこうして「野良犬カメラマン」の俺と同様、フリーというスタンスでファインダーを覗き込んでいるというわけだ。 「あのディレクター、ちょっとトロいんだよね。前に一度、いっしょに仕事したことあるんだけどさあ。」 吉田は、今日のディレクターの事を心配していた。3台のカメラから送られてくる映像を最終的にさばくのが映像ディレクターの仕事である。つまり「ここが駄目なら全部駄目」というポジションなのだ。だが、俺にとってディレクターのセンスや力量など、何の問題にもならない事柄だった。最終的に仕上がった映像の質(品質)など、俺の興味の範疇にはない。 (どーでもいーじゃねーか) 俺は、心の中でそう呟いた。もちろん、それを口に出す気はない。吉田には吉田の「価値観」と「美意識」があるのだ。 俺たちは目の前で起きている「出来事」にカメラを向けるだけだ。被写体を捕らえピントを合わせりゃ、それで仕事は終了だ。だが、吉田にとっては「自分の映像」が、三流ディレクターによって、くだらない三流作品として残されてしまうような事は、どうやら耐え難いことのようだった。そんな彼の「美意識」を理解できないわけではない俺は、こんな時は黙って吉田の「映像論」を聞いていた。 「俺さあ、時々思うんだけどね、カメラって、被写体を撮ってるじゃない?これって、俺が撮影してるのかな?それともカメラが撮影している映像を、俺はただ見てるだけなのかなあ?」 (どーでもいーじゃねーか) 「俺たちって、カメラを通して現実を見てるじゃない?この現実って、カメラの中に起きた非現実である可能性も否定できないよね?」 (そんなわけねーだろ) 「だってさ、遠くの国で戦争が始まりましたなんてニュースは、映像がなければニュースとして成立しないわけじゃん?」 (だからなんだっつーの) 「逆に言えばさあ、映像さえあれば、始まってない戦争だって報道できるって事だよね?TAKUちゃん?」 ああ・・ついに「TAKUちゃん」と呼びかけられたか・・。呼びかけは「黙って聞いている」とポジションから引き摺り下ろされることを意味する。 「吉田、因果律って言葉、知ってるよな?」 「うん、知ってるよ。」 「出来事がある。それにカメラが向けられる。映像が記録される。そして報道される。これが因果関係だろ?」 「うん。そうなんだけどさあ・・・。」 吉田は俺の言葉に納得していない様子だった。こんなことはいつもの事なので、俺はまったく気にならなかった。 「撮影するのはな、吉田。俺たちの意思だよ。カメラマンが写すから、そこに映像があるんだ。」 「そ・・そうだよね。やっぱTAKUちゃん、わかってるよー!」 吉田は、俺の「計算されたセリフ」に感激した様子だった。こうでも言わないと、こいつの「映像論」は終わらないのだ。
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ダブヨンの伝言
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