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客席は、音楽関係の雑誌の出版社やメディアの連中で埋め尽くされていた。客電が落ち場内が闇に包み込まれる。シンセサイザーの低く、うねるような音が会場に響き始めた。うっすらと灯り始めたスポットライトの中に、今日の主役が立っている。彼女の右手は天井を指し、その顔はうつむいたままで表情は見えない。 (吉田・・右手を狙え・・) 俺は、吉田が必ず右手をアップで撮ってることを確信していたので、リターンは使わずに、レンズを彼女のうつむいた顔に向ける。始まりを予感させるシチュエーションだ。センスのあるディレクターなら、この二つの映像を「ディゾルブ」させながら、楽曲の開始を待つはずだ。 ドラムのカウント、その直後、爆発するようなリズムが会場を駆け巡る。 「よっしゃ、TAKUちゃん。アップがいいねー!これ、もらってるよ!」 左の耳に突っ込んだイヤホンから、ディレクターの声が聞こえる。「もらってる」とは、現在この映像を使用中、という意味だ。俺がアップを狙えば、吉田は全体へと引く。俺が引けば吉田が寄る。もう何年も繰り返してきたチームプレイだった。 1コーラスが終わり、ステージではギタリストがヒステリックなソロを奏でている。ギターの手元は吉田に任せ、俺はステージ上を左右に走り回るボーカルを、ドリーを使ってフォローする。 「実力派」という触れ込み通り、このシンガーは、これがプレビューとは思えないようなステージパフォーマンスを見せてくれていた。なんだかんだ言っても、ステージパフォーマンスが良ければ、俺たちのテンションもそれに引き摺られるものだ。つい、柄にもなく「映像にクリエイティブ」を追求してしまう。今日のシンガーは、それほど「上出来」であり、俺は俺なりに十分に楽しい時間を過ごしていた。 約1時間ほどのステージが、最後の曲を残すだけとなった。再び客電が落ち、シンガーが「アカペラ」」で歌いだした。俺は、どのようにも使える「安全な画角」までズームを引いて、軽く「リターン」を押し、吉田の映像を確認する。吉田もまた、十分に引いた映像だった。俺は思わず苦笑した。 (珍しく俺を確認しているな・・・) ドラムのフィルインを合図に、バックバンドが演奏を始める。さあ、これがラストだ。カッコイイ映像を残してやるぜ! 間奏はピアノのソロだった。ピアニストはステージの上手にいる。つまり吉田の側だ。俺はビューファーから目を離し、直接、吉田の方を見た。ステージの「1mの高さ」が邪魔になるような気がした。彼の位置からでは近すぎて、ピアニストは狙えないのではないか? 俺の位置からは、ピアノ越しに、それを奏でる男性の正面映像を捕らえることができた。俺はその映像をフィックスさせながら、再び「リターン・ボタン」を押した。 その時・・・・。 ビューファインダーの中が真っ白になっている・・・! こ・・故障か!?有り得ないことではない。このような故障を、俺は過去に一度経験している。 俺はファインダーから目を離そうとした。しかし・・・。 両耳には「キーン」という金属音が響き、体は身じろぎもできぬほどに固まっているではないか! もう、ステージを見ることは出来なかった。俺の右目は、真っ白く輝くファインダーの内部に吸い込まれているようだ。 ホワイトアウトしたファインダーの、その小さなモニターに、やがてゆっくりとシルエットが浮かび上がってきた。 映像が見える。動いている・・・。 道路・・・車の中からの撮影だろうか・・? 走行中の車から見える、「前方」の映像だった。 画面の下には、ハンドルを握った両手が見えていた。 カメラは運転手の位置にある・・・。 いや、その映像は、まるで運転手の視線を記録しているようにも思えた。 フロントガラスには、小さな水滴が踊っている。雨が降っているのか? ワイパーが、一定に間隔でその水滴を拭ってゆく。 車は山道を走行しているようだ。 深い森林が、道路の左右に流れている。 カーブが連続している・・・。 下り坂のようだった。 何度目かのカーブに差し掛かった時、前方を写していた映像が左右に大きく振れた。 ルームミラーからぶら下がった小さな「熊のマスコット」がクルクルと回っているのが見える。 ガードレールが接近していた。 ぶつかる・・このままでは・・・! ふいに、全身に「自分の感覚」が蘇った。両耳にピアニストの奏でる音階の羅列が飛び込んできた。 俺は、瞬間的に辺りを見回した。何の異常もない。 そ・・そうだ!ビューファーが故障して・・・ 俺はそれを思い出し、慌ててファインダーを覗き込んだ。 ピアニストはファインダーの中でフィックスされたまま、一心不乱にソロを弾いていた。
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ダブヨンの伝言
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