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米国において、9・11から始まるイラク戦争と中東全域の戦力派遣という泥沼状態の5年間を要約すれば、過激化したイスラム原理主義に対抗すべく「アメリカの原理主義」がその隠れた姿を現出させた時代と言える。この時期に「米国社会の価値観の座標が大きく右側にずれた変化」の原動力こそが「アメリカの原理主義」ではないだろうか? アメリカで「原理主義」という言葉が使われはじめたのは1920年代に遡るが、具体的には学校教育の現場においてダーウィンの進化論を教えることに反対する市民レベルの運動を指すようだ、聖書に書かれていることこそが真実であり歴史的にも科学的にも正しいとするキリスト教の「原理」の立場から進化論への糾弾が広まってゆくが、この場合のキリスト教の「原理」とは、「万物は神がつくった」のであり「キリストは処女だったマリアから生まれ」「天国と地獄は本当に存在し」「キリストの復活・再臨は必ずある」といった事柄である。 アメリカでは現在でも人々の8割が「キリストは処女マリアから、人間を父親とせずに生まれた」と信じ、5割以上が「聖書の記述はすべて実際に起こったこと」と考えている(ニューズウィーク誌・2004年の世論調査)。しかし21世紀の「アメリカの原理主義」は1920年当時の原理主義そのままの内容ではない。時代の動きに応じて変化し、地道に市民運動を拡大して、1990年代後半には米国の政治中枢を動かす一大勢力にまで成長しているのだ。 「アメリカの原理主義」には大きく分けて3つのグループがある。 (1)爆破事件や放火事件を起こし自前の軍隊組織をもつ極右。 (2)ブッシュ政権時代、イラク戦争を後押ししたことで有名になった「ネオコン」。 (3)そしていちばん大きな影響力をもっているのが、共和党を牛耳るまでになった宗教右派。 オクラホマシティー連邦ビル爆破事件などを起こした極右は「反連邦・反グローバリズム・反銃規制」を主張するが、同時に「反ユダヤ」であり「白人優越主義者」でもある。支持者は白人貧困層。映画「8miles」で彼らプア・ホワイトは「white trash(ごみ)」などと呼ばれていたが、社会の底辺に追いやられた白人層のなかから暴力的な極右が生まれてくる。 一方、ブッシュ政権の対テロ戦争、イラク戦争を主導したネオコンは東部の知識人集団。国連などの国際機関を信頼せず、アメリカ型民主主義を世界に広め、専制国家(イラン・イラク・北朝鮮など)を民主化するのがアメリカの使命だと考え、そのために軍事力を使うことに積極的である。 アメリカの伝統的保守は歴史的に他国に干渉しない孤立主義を取ってきたが、それに対してネオコンは主流からはずれた「対外的な過激派」と分析できる。武力を背景にした「民主主義の輸出」に積極的な要員には、ネオコン構成員には元左翼も多いので、これが「革命の輸出」に取って代わるかわる「民主主義の輸出」となっていると分析する専門家もいる。 そして、もう一つの原理主義勢力である「宗教右派」は、極右やネオコンとも共通した考え方を持ちながら、「聖書を絶対視する頑迷な人々」という過去のイメージや極右の「反ユダヤ」「白人優越主義」などの極端な思想を排除し、「現代の広い層に受け入れられるよう発展してきた」と分析できる。 2004年にブッシュが再選されたのは、南部・中西部・西部で宗教右派が勢力を増し、その票の掘り起こしに成功したことが大きな要因になっている。アメリカ成人人口のうちキリスト教徒は約8割。そのうち約6割がプロテスタントで、2割がカトリック。残りの1割がユダヤ教・イスラム教など諸宗教で、1割は無宗教層だと言われる(2003年のデータ)。 プロテスタントには大きく分けて主流派と福音派があるが、宗教右派という場合には福音派を意味し、それは成人人口の25%を占めている。最大の教派は南部バプティスト連盟。1970年代後半から大きく勢力を伸ばし、「中絶」「同性結婚」「性教育」「家族の価値」などをめぐる市民運動を組織してリベラル派と対立し、従来の保守穏健派に代わって共和党の中枢をにぎるまでになった。 こうした一般のアメリカ人の心理には「アメリカ例外論」と言われる考え方が強く影響しているという事実がある。「アメリカ例外論」とは、「アメリカは特別な国で、神の使命を帯びてその力を使い、世界中のほかの地域、幸少ない人々にアメリカシステムによる繁栄の便益をもたらす責任がある」という考え方である。その「アメリカ例外論」の背後には、言うまでもなくアメリカに植民したピューリタンたちの、「われわれは新世界に理想の国をつくる神の使命をになっている」という考え方がある。9・11とは、そのような「特別の国」の「神の使命」に対するあからさまな挑戦であったからこそ、アメリカ人の心の底にある建国理念を呼び覚ますことになったのであろう。 宗教右派の思想と行動を見てくると、アメリカの保守とリベラルの対立は単に政治的な次元ではなく、「神が定めた絶対的な真実や善悪がある」と信じるか、「何が真実で何が善悪かの判断は個人の意思にまかせる」という価値観の次元での対立であることがわかる。同時にまた、こうした「原理主義」が多くの人々の心のうちに残っていることから、アメリカ合衆国が世界史のなかで飛びぬけて若く新しい、それだけに過激なキリスト教国であることにも改めて気づく。 イスラムとキリスト教の原理主義の対立というのは「文明の衝突」そのものと分析できるが、21世紀をそれぞれの神の暴力が支配する時代に逆戻りさせてしまっている様子を見ると、人類は神の御前ではやはり無力であることを痛感せざるを得ない。
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「原理主義」って言葉をよく耳にしますが、それは結局何?
と、ずっとわからずにいました。takuさんの説明とてもわかりやすくて嬉しいです。
2009/5/23(土) 午前 0:43 [ まんげつ ]
アメリカの原理主義、キリスト教の原理主義については大体理解できました。イスラム原理主義も同じような意味だと考えいいのですか?なんでイスラム原理主義は自爆攻撃とかをするのでしょうか?
2009/5/23(土) 午前 2:05 [ けいた ]
まんげつさん♪
まだまだ書き足りないことはあるのですが、今回は概略だけをまとめてみました。
(誉められるとうれしいです・・・笑)
2009/5/23(土) 午後 3:15
けいたさん♪
基本的に同じようなものだと考えてよいと思います。
イスラム教の原点とは「神への信仰」だけを「義務」としている
わけではなく、生活に関わるすべての事柄が「守るべき義務」と
して定められています。当然、政治や法律や刑罰というような社会
規範のすべても「経典」に含まれています。
しかし、近年(この200年間くらい)これらを厳密に守っていては
世界のペースに追いつけないという事情、あるいは守るべき戒律が多
すぎてそれを守れない国民が多発し、彼らを犯罪者として定義しなけ
ればならないというナンセンスなことに対抗するために、戒律の一部
を「儀礼化」して、厳守の義務をなくすというような動きが主流でした。
2009/5/23(土) 午後 3:30
このような動きを「世俗主義」と呼びます。これに対して「原理主義」
とは西洋文化に併合して堕落したアラブ民族に「神の声を聞かせる」と
いうような使命感を持って、イスラムの戒律を復活させる動きのことで、
これも200年くらいの歴史があります。
原理主義の中でも、特に暴力的な一派を「イスラム過激派」と呼んでいます。
彼らが信奉するイスラムの教えとは、非常に重要な二点に集約されています。
(1)この宇宙はアラーの神によって創造されたおであるから、アラーに従
わない者、他の神を信仰する者はすべて抹殺せよ。
(2)アラーのために戦うことは最も尊い行為であり、アラーのために死んだ
者はその家族共々、天国で永遠に祝福される。
この二点が拠り所となって、今日の「自爆攻撃」などが実行されているのです。
2009/5/23(土) 午後 3:30
takuさん。色々教えていただきありがとうございました。僕はまだまだ勉強が足りないと思います。また何かあったら教えてくださいね。返事がおくれてすいません。
2009/6/4(木) 午後 10:10 [ けいた ]
けいたさん♪
いえいえ・・とんでもございません!
ブログの雑文はすべて俺の個人的見解です。
たくさんの本を読んでください!
2009/6/5(金) 午前 1:29