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【ワシントン時事】
米キニピアック大学(コネティカット州)の世論調査研究所が行った調査で、64年前の広島と長崎への原爆投下について、米国人の61%が「投下は正しかった」と考えていることが4日、分かった。投下を支持しない人は22%にとどまった。 オバマ大統領は「核なき世界」の実現を訴えているが、米国では依然、原爆投下を肯定する意見が根強いことが浮き彫りになった。 調査は7月27日から今月3日にかけて、全米で約2400人を対象に実施された。男性の72%が投下を支持したのに対し、女性は51%。年齢層別では、18〜34歳は半数が「正しかった」と回答し、「間違っていた」は32%だったものの、55歳以上では投下支持が73%に上った。 政党支持者別では、共和党支持者の74%が投下を評価、民主党支持者では49%だった。 まあ・・・こんなもんだと思ってたし・・・。
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てげてげさん♪
こんにちは。お久しぶりです!
B−29(エノラ・ゲイ)のパイロットが英雄視されている
という話を聞いたのが、俺がまだ小学生の頃のことでした。
国民の意識は容易く変わるものではないのでしょう。
残念なことですが・・・。
2009/8/7(金) 午前 9:35
39さん♪
もちろん、米国にも「リベラル層」というものがあり、
原爆投下の「真実」について、検証は続けられている
ようですね。誰もが「爆発好き」というわけではない
ようですが、数字から受ける印象は怖いですね。
以前「もう一つの敗戦」という記事を書きました。
TBしましたので、暇な時に一読してみてください。
2009/8/7(金) 午前 9:35
kwm23rd2000さん♪
(原子爆弾)投下の背景には「最強の兵器の開発・研究」という
もう一つの「本当の目的」があったと、俺は考えています。
軍事大国にとって、他国より劣る戦闘能力では国家の存続が
危うくなるということでしょう。
人間の命、まして「他国・他民族」の命など、紙よりも
軽いものなのかも知れません。
2009/8/7(金) 午前 9:36
デジコムさん♪
>オバマの時代に、スミソニアン博物館に、ヒロシマ・ナガサキ
の被爆者の写真を展示する事が出来るだろうか?
考え深い言葉ですね。米国が最初で最後の「核兵器使用国家」であり
続けることを願うばかりです。
2009/8/7(金) 午前 9:36
Syagiさん♪
お久しぶりです。歴史に「もし?」はないと言いますが、
もし、日本人が「アングロサクソン」だったら、果たして
原爆は投下されただろうか?・・・という問いかけは、以前
から交わされている議論ですね。
同じ「白人」ではなかったから「殺してもかまわない」という
心理的な背景があったことは決して否定できないと思います。
2009/8/7(金) 午前 9:37
やはり、戦争世代の方々の肯定率は高いですね。
石垣島事件、って知ってますか?
その事件でアメリカ人の捕虜の内一人を、日本人の兵隊がたくさんで刺し殺したんです。
その石垣島事件の2日前に、日本兵が2人アメリカの飛行機に殺されてるんですよ。
それが復讐心に火をつけ、若いアメリカの兵隊を日本兵何人もでよってたかって刺し殺したんです。
アメリカ兵の中にはそうやって、日本兵に身内を殺された方もたくさんいて(もちろん逆もあります)、だから復讐というかお互い様だから。という気持ちがその頃の時代の方には多いのかもしれないし
そういった気持ちは今はわからないけど、当時は両国に強くあったし今も多くの方に根付いているのでは
と思いました。
2009/8/7(金) 午後 0:40 [ _ ]
みく♪
論点を整理しておきます。
1)戦場では兵士は「相手の兵士」を恐れ、恨み、憎しんでいる。
(これは当然です)
2)戦争を始める国家は「相手の国民」を憎むように自国民を教育する。
(これも当然です・・・例・鬼畜米英、ジャップ、イエローモンキー等)
さて、このような教育背景の上で「敵国の人間を憎み、軽視し、ゴミのように
殺してもよい」という倫理観ができあがります。
(だからこそ戦争=戦闘行為=殺し合いが成立するのです。)
さて、その上でなぜ「ナチスによるユダヤ人大量虐殺」や「広島、長崎原爆投下」
が問題になるのでしょう?殺し合いの結果として、いわば当然のことのようにさえ
思えませんか?
2009/8/9(日) 午後 1:06
ここに「近代戦争のルール・倫理観」というものが登場します。近代(国連成立後)の
戦争においては「非戦闘員=兵士以外の国民」に対する暴力行為は最小限度に留めると
いう暗黙の倫理観があります。(現在では国連によって明文化されています)
この倫理観に照らし合わせて、果たしてナチや米国は正しかったのか?・・・これが
「原爆投下問題」の核心です。
仮に原爆が投下されなくても、その数週間後には日本は「降伏」していたであろうと
いうのが、現在もアナリスト達の共通の見解です。日本を「負かす」ための核攻撃では
なく、「核攻撃実験=練習」のための攻撃だったのではないか?
・・・これが「原爆投下議論」の主題であることを覚えておいてください。
その上で「このような実験を白人国家を相手にしても行っただろうか?」という
いうような「民族蔑視・人種差別問題」も取り上げられています。
2009/8/9(日) 午後 1:06
つまり「核兵器の開発」と、兵士が、あるいは国民が「相手を憎んでいるかどうか?」
という議論はまったく接点のない話です。米国は「原爆投下=大都市の破壊」に成功し、
これをバネにして、その後強大な軍事力による世界の支配に乗り出し、ご存知のように
これに成功しているのです。
問題の核心を書いておきます。原爆によって死亡したのは、そのほとんどの人たちが
「一般市民」だったことです。(ナチのホロコーストも同様です)
そして、米国はその後のベトナム戦争においても一般市民(ベトナムの村人)を虐殺し、
その虐殺を指揮した部隊長は「英雄扱い」されています。
2009/8/9(日) 午後 1:07
ヒロシマ/ナガサキは、人類史に残る「愚行」として語られるべきエピソードです。
どのような「屁理屈」を持ち出しても、これが「正しい行為」であることなどと認める
ことは決して許されてはならない。と、俺はそのように考えています。
2009/8/9(日) 午後 1:07
日本中のあらゆる都市が無差別爆撃を受けている、
これも通常兵器ではあっても、ジェノサイドである。
使用された油脂焼夷弾は、ベトナム戦争で使われたナパーム弾の前身だ。
米空軍も当初は軍事施設に対するピンポイント攻撃を企図していた。
女子供は狙わないという気概のある軍人もいた。が、彼は更迭される。
軍隊は、その内部に組み込まれれば、命令一つで、個人は何でもやらされてしまう。
我々一介の市民には、権力も金も無く、軍隊を指揮する立場にはなりえない。
軍隊に掛かる一切の費用を、税金として負担させられた挙句、
この道具の一部として、殺したり殺されたりするだけだ。
ベトナム帰りには、赤んぼ殺しと言われ、まともな家庭人に戻れなくなった者がたくさんいる。
生きるか死ぬかではないのだ。殺すか殺されるかだ。
卑怯者と言われ、残された家族が国賊扱いされるのを承知で、
カナダの国境を超え、自由の国を
世界最強の軍隊を持つ国を、捨てるしかなかった。
2009/8/9(日) 午後 4:00 [ デジコム ]
けれども、前にも書いた石垣島事件。
あれは、兵士でしたが捕虜に対する扱いは国際法で「博愛を持って、暴力の行使、殺人はもっての他。言葉での侮辱さえ禁止」されていました。けれども、日本はその条約に調印したものの、実際はまったくしたがっていなかったそうです。
(だから多くの捕虜殺人事件が起こりました)
原爆の方がはるかに被害は大きいし、投下する意義もあやふやですが(練習という見方も出てるんですよね)
日本もアメリカも、規模は違うけれどやってることは同じ(意味のないものを殺す)なんだろうな。と考えましたが
どうでしょうか?
今書いてるのは今回の論点とは違います
takuさんの意見が聞きたい、と思って書かせてもらいました!
よろしくお願いします。
2009/8/9(日) 午後 11:00 [ _ ]
欧米人というのは個人主義で、国家的なプロパガンダにはそれほど左右それないという、漠然とした印象があるが、9.11にしてもヒロシマにしても、そうでもないんだなって思いますね。・・・客観的見地に立つことの難しさを実感してしまう・・・
2009/8/10(月) 午後 8:56
みく♪
要約すれば「日米共にアン・フェアーだった」ということ
を主張しているように思われますが、違いますか?
俺の見解を書きます。
旧日本軍(大日本帝国軍)は「天皇の軍隊」と称され、天皇を「神」
と位置づける国家体制の下に組織され、その価値観において他国や
他民族への著しい「軽視、蔑視」という性質が形成され、その価値観
の元でアジア諸国では往々にして「暴虐武人」な振る舞いを行って
きました。ただしこれは「軍事行動」という領域だけのことではなく、
「植民地政策」という=領土拡大政策の下で具体化されてきた、言わば
政治体制そのものです。
2009/8/11(火) 午後 1:05
この「日本のアジア植民地政策」は東南アジアの歴史において非常に
重要な意味を持っています。悪しき側面としては言うまでもなく他国民
への軽視、他文化への軽視が挙げられます。(日本語教育の強制や天皇
への忠誠の強制などですね。)また「南京大虐殺事件」に見られるよう
な軍隊特有の独善性、凶暴性の下で多くの一般市民が犠牲になりました。
「731部隊」=細菌兵器開発部隊が行った、捕虜及び一般市民に対す
る「人体実験」なども、この範疇で検証されるべき事件でしょう。
しかし、太平洋戦争を経て、それらの事柄が過去のものとなった大陸諸国
に日本の残したのは「傷跡」だけではありませんでした。強制的であった
にせよ、それまで自国にはなかった「学問教育」の体系が持ち込まれ、
小民族同士の確執が緩和され、日本政府によるインフラ整備(下水道整備
など)が残され、それらの要素がその後のアジア各国の発展に貢献したこ
とも歴史上の事実です。
2009/8/11(火) 午後 1:05
以上のような事柄を「前提」とするなら、大日本帝国は少なくてもアジア
諸国の民族を抹殺するために「植民地政策」を行っていたわけではないこ
とが理解できます。(だから正しかったなどと言うつもりはありませんよ)
しかし、これに対比させて「原爆投下」という強大な暴力を論じることは
できないと思われます。
1)日本軍(大日本帝国)も暴力的だった。
2)米軍(アメリカ合衆国)も暴力的だった。
そもそも戦争とは暴力の応酬です。しかし、だからと言って無力な市民に
対して何の警告もなく、いきなり核爆弾を投下して、彼らを抹殺してしま
ったという行為に「正当性」を見出すことはできませんよね?
2009/8/11(火) 午後 1:06
戦場において兵士が、そのストレス(死も恐怖)から異常に凶暴になって
しまうことは現代においても研究されている課題であり、戦場で発生する
「事件」の多くが、これらの事柄に起因しています。誰もが理性的、理知的
でいられるというわけではありません。ですから、戦場において兵士が敵兵士
に対して行う残虐な行為は、ある意味「理解できる行為」として捉えられ、
いつの時代の戦争にも、このような事件は必ず発生します。
しかし、それと同程度の「残忍さ」で、核兵器を使用されては困るのです
なぜなら、核兵器の使用というものは「兵士の判断や決断」ではく、国家
の決断によって成されるものだからです。
勝利のために「何をやってもよい」というなら、人類に明日はないでしょう。
これが俺の結論です。
2009/8/11(火) 午後 1:07
プリンス氏♪
>客観的見地に立つことの難しさを実感してしまう・・・
例えば「愛国者」という言葉を日本で言うと「右翼?」となって
しまいます。(笑)
国への忠誠、国家への貢献という概念は米国人の方がはるかに
強く、戦争における英雄こそが真の英雄であるという文化的側面
は数々の「映画」に見ることができますね。
しかし、同様に「反戦運動」の異常な盛り上がりなどを観察すると
結局のところ「ムードに流されている」と判定できるような気が
します。
2009/8/11(火) 午後 1:12
おひさしぶりです。タクさん。興味深く拝見しました。
原爆で善良な民間人を無差別に殺した罪はとても大きいので、アメリカとしては、なんとか言い訳というか正しかったと正当化しないとやっていけないのでしょう。日本がもしアメリカの立場だったら、同じふるまいをすると思います。
ただ、若い年齢層でやっぱり正当化できないと思っている方が増えているのも、アメリカにも良心というか歴史の再評価が行われるのかなと妄想しています。
2009/8/16(日) 午前 11:13 [ ちゅらさん ]
chu*a_a*ce*t_3*00さん♪
レスが大幅に遅れました。すみません!!
日々の業務に追われて物事を深く考える時間を
持てないこの頃です。(涙)
第二次世界大戦(太平洋戦争)に対する総括としての
「極東軍事裁判」のあり方、その内容こそが米国の主
張する「正義」ではなかったのかと、最近そのように
思えてなりません。
あの一方的な「裁き」が正当化されたことによって、
結局は「勝てば正義」という倫理観が定着してしまった
のではないでしょうか?
「歴史の再評価が・・・」いい言葉だと思います。
大東亜戦争に対する再評価、再検証が強く求められる
時が必ず来るでしょう。
もちろん、「繰り返される悲劇」を目の当たりにする
であろう現代の若者たちの「感性と理性」がそれを
望むならば・・・。
2009/8/25(火) 午前 4:14