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【事象の流れ=変化する現実】その1 神の存在を信じ、神が「この世」を創出したことを信じ、それらの出来事が記述された書物や伝承を信じ、書物に記された「神の教え」を厳守して生きるということも、特に悪いことではないと思う。人間は自分が傾倒できる文化的事象を潜在的に求めているような傾向があり、文化と呼ばれる物事のの中には「必要=必然性」を見出すことが難しいようなものも、事実として存在しているからだ。 文化を「集団的行為・結束行動」と解釈するなら、すべての文化は「他者との共通の価値観を共有するための媒体」と言ってよいだろう。数十人、数百人、数千人という集団(民族・部族)が、ある一定の規律を守りながら生活してゆくための「合意的行動」=文化と言ってよい。 この観点から論じるならば「共通の恐怖」とは、すなわち「死の恐怖」がその原型であり死を齎すであろうすべての要因に対する対応。これが文化のプロトタイプではないだろうか?それが「病気」であるなら「祈り」が発展し、その後に「医術=治療」となってゆくであろうことは想像に難くない。また、死を齎すものが「天敵・天災」であるなら「防衛・防御=建築」=住居の発展となって文化が現出する。いうまでもなく「祈り」こそ、その後に「信仰」として発展してゆく文化である。 そして重要な課題として「捕食行動」があり、いかに獲物を捕らえるかということに関しても「共通の行動様式」が発展することは想像できる。この分野の「文化」において「武器」が発達し、これが獲物だけではなく、獲物や獲物が生息する土地を奪い合う「同種族=人類」の駆逐にも使われてきたことは言うまでもない。 「事象」=(確認できる物質の振る舞い、エネルギーの変化)・・この世に現出している事象のすべては流れの中にあるものであり、常にその様式は変化している。大きな変化=時間的に長くかかって具体化される変化を、我々はあまり実感することができない。これは空間的にあまりに大きな物体(銀河など)を実感できないのと同様である。しかし出来事のある断片を観察すれば、その出来事の「遠い過去の姿」を想像することはできる。 例えば、スズメバチはミツバチの巣を襲撃することがある。昆虫の歴史は人間とは比較にならないほど長いものであり、よってこれらの行動様式も遠い過去から繰り返されてきたものであることが推測される。そしてもう一つ、重要な事柄がわかる。この戦いは「常に必ずどちらかが勝つ」というような確定的なものではないということだ。なぜなら常にスズメバチが勝利しているなら、とっくの昔にミツバチは駆逐されて絶滅しているはずであり、逆に常にミツバチが勝利しているなら、スズメバチはとっくの昔にそのような暴挙(愚行=勝てない勝負)は中止してしまったはずである。 「事象の流れ」を捉えるのは難しいが、例えば人間は自らの生活の中で「意識・知識・理念・知性」というものを変化(進歩)させてきたという事実がある。今日(こんにち)の知識とは、過去から流れ続けている「流れ」の中で蓄積され、変化し、そして具体化されているものである。 知識も知性も変化しないって?・・ではなぜ、江戸時代に新幹線が走らず、テレビが普及していなかったのだ?
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なんかね、難しい本とかをわかんなぃくせに読むのが好きなのね。。
なんとなくわかった。。褒めてw
2009/11/5(木) 午後 4:03 [ - ]
どーりーさん♪
うんうん。なんとなくでもわかればよい!(w)
社会のことや世界のこと、宇宙のことや心のこと。
短い文章にまとめるのは難しいです。
かと言って長い文章を書くガッツもな俺・・・(涙)
さっさと済ませることができれば、それが一番!!
あ・・あっちの方はしつこいんですけど・・(おっとっと)
2009/11/5(木) 午後 10:51
テーマが壮大だもんね。。
あたしもしつこぃ。。(≡д≡)ポッ
おっとっとっとw
2009/11/5(木) 午後 11:06 [ - ]
どーりーさん♪
そうそう。壮大なテーマに挑む時はね、焦らずに、しつこく・・
ネチネチと、じらしながら・・あっちこっちを・・・
(おっとっと)
2009/11/6(金) 午前 1:43