構造欠陥とは何か?すでに何度か指摘したように「宗教団体」にはその組織形態に(通常の民間会社組織とは異なる)構造的な欠陥がある。これは「勧誘=洗脳=増収」という運営形態に由来する宿命である。「宿命」とはその目的、その行動様式である限り、この構造でなければならないというようなものだ。簡単に分析すれば以下のようなことだろう。
前提(初期条件)
1)宗教団体の仕組みとは、信仰心を集め、それを確実に換金できる仕組みを指す。 2)信者(会員)の要求である「不安からの開放、現在、未来における幸福」を約束するための「経典」に絶対性を与える。 3)絶対性質を支えるのが概念としての「神」であり、神からの指令を受けている「偉い人」が「教祖=経営者」となる。 4)故に「教祖の言葉」というものが絶対的な指標となって、組織をまとめることになる。 教団運営
1)信者(会員)は、入会金なり年会費なりの支払い義務があり、これの集金が教団の第一目的となる。 2)所定の金額に満たない会員には、新たな会員の勧誘が義務付けられ、多くの場合、この勧誘活動を「修行」と呼ぶ。 *「神の存在に気づかず、無意味な日々を送っている人を救うのがあなたの使命ですよ」ってな感じだ。
3)更に団体によっては「商品販売」にもノルマがあり、会員はこの無意味な商品の販売こそが「神の道」であると信じ、無償でその愚公に取り組むことになる。(仏壇・壷・水道水・ネックレス・石ころ・・その他何でもアリ!)
4)入会の説得に応じなかったり、薦める商品を購入しないには脅迫的手段を行使する。(これが多くの訴訟に発展している) 5)勧誘成績、販売成績によって信者には「ランク」が与えられ、これが昇格システムとして機能する。 このような団体に在籍し、団体の示す「指標」に従っている限り、信者とは自分が被害者であると同時に、その被害者が加害者となり、他の多くの被害者を生み出すことになる。ではなぜ、人間はいとも容易く騙されるのだろうか?かつて「宗教的修行」というものは常に、それを行う者に過度の肉体的ストレスを加えるような形態で行われてきた。もちろん、現在でもそのような修行を行っている団体は存在する。原始宗教にまで立ち返れば、過度の絶食や不睡眠などが原因となり、修行者は幻覚や妄想に晒されることになる。これが「神秘体験」の正体であり、この体験を得るために、寝ずに踊り狂うなどの行為が「祭り・祀り」として部族に定着することになる。
現代では更に「悪質な洗脳手法」として睡眠誘導剤が使用されたりする場合があり、それに加えて催眠誘導などの手法も積極的に取り入れられている。勧誘する側(教団)は、一度でも勧誘に成功すれば、そこからは定期的な増収が得られるのだから、教団にとって「勧誘」とは、最も大事な仕事であり、そこには様々なアイデアと工夫が凝らされている。
ある自動車が、走行中にタイヤが外れ事故となったというような場合、同じ製造工程で組み立てられ、同じ構造を持った車種のすべてで、そのような故障が発生するであろうと予測するのが「論理」というものであり、このような判定・判断において「個人的な感情・思い込み・勘違い」があれば、故障の原因は発見されることなく、更に多くの事故が誘発されることになる。
かつて、地方の原子力発電所で発生した「毛細管破断事故」いついて、その構造が他のすべての原発も共有しているものであることを根拠に、すべての原発を停止させて点検すべしと主張した社会学者がいた。彼の主張は退けられたが、その後、全国の原発で同様の事故が連発したことは言うまでもない。
「構造的な欠陥から生まれる事件・事故」というものは、それを問題視する視点がなければ見過ごされ、根本的な改善が成されぬままに、事態は悪化の一途を辿ることになるという性質がある。構造欠陥による事故と、そうではない個別の事故との区別、分別を成す能力こそが「論理的な思考」と呼ばれるものであり、論理的思考を発揮するための最適条件として「客観性・客観的な立場」というものが必要となる。
自分の所属する会社が作った車に欠陥があるとは、社員であるなら誰もが考えたくはないことであり、考えたくないから「そうは考えない」のであり、その結果第二、第三の事故が発生することになる。健全な会社組織であればこのようなことを防ぐ手立てとして、社内において、部署や上下関係を超えた「製品管理部門」を設けている。つまりここに「自浄作用」を機能させるということである。
しかし宗教団体の場合、このようなチェック機能(自浄作用)を持つことができない。なぜなら教義や勧誘手法が正しいかどうかを省みるということは、教祖の正しさを判定するということであり、これはすなわち自分が信じている神の正しさを疑うということに直結するからであり、神を疑いながら信仰が成り立つわけがないからである。
また、幹部会員や教祖の補佐となる「牧師」などは、神の絶対性というものが「自分の絶対性」であると勘違いしている者が多く、彼らにとって「自分か語る言葉で信者が酔いしれる」という日常が、彼らの倫理観自体を狂わせてしまう結果となる。(今回のキリスト教牧師による組織的強姦事件などが、この適例として挙げられる)
個人的な意見だが、中には「騙されるあんたがアホだよ」と言いたくなるほど、滅茶苦茶な屁理屈を教義・聖典としている団体も多く、そのような間抜け団体に騙され数百万の金を奪われた後で「私は被害者です」と言っても、どうも同情の念が沸かない。(笑)最近話題となった「円天」というインチキ商法の例でもそうだが、その団体の会員となり、商品が安く買えるなど、ほんの数回ほど「いい思い」をさせられるだけで、誰もがそのシステムの欠陥に気づくことができなくなるものである。(このような無知・無力さが、宗教団体をはじめとするすべてのインチキ組織を支えているということだ!)
今後も宗教絡みの犯罪、事件、事故は社会から絶えることなく発生するであろう。すべては宗教の宿命から齎される悲劇であり、その宿命を支えているのが「構造欠陥」であると断定できる。
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「宗教」・・弱者をターゲットにした悪質な商売
その不健全性、不道徳観をもっとみんなが知らなければいけない事実なのに、アホにつける薬がないんだよなあ〜
その薬がまた「宗教」になってしまう不幸のスパイラル
宗教とは麻薬だ
撲滅キャンペーンでもしたいところなのに、どっかのバカみたいに、「本当にそうでしょうか・・」などと言い出す輩がいるから始末に悪い
宗教とは善意の悪であり、もっとも始末の悪いゴミである
2010/3/25(木) 午前 8:30
プリンス氏♪
ああ・・例の「アホ君」か・・・(笑)
典型的な「おめでた思考」なのかも知れないね。
俺は心配性なので、再び新たな、たつ重大な宗教テロの発生を予感しているこの頃。
このような事件には不思議と「周期性」のようなものがあるんだよ。
2010/3/25(木) 午後 7:06
無宗教な日本で育ったからでしょうか。
やはり、見えない何かを信じるのは
変な気がします。
昔は宗教の違いで戦争が起こりましたよね。
この1年ならった世界史では
ほとんどの戦争が、宗教同士の対立ですし
それだけ信仰心が強いのも謎です。
でも、宗教の違いで戦争って
宗教は何を教えてるんだ、って感じがしました
また、古文では
極楽浄土に行くための善を自分は持ち合わせていないから
ただ何も考えず、一生を無言で過ごして、浄土へいけた。
とゆう小僧のお話や、
仏教のお告げの話など、たくさんあります。
また、ハリーポッターをご存知ですか?
最終話のネタばれになりますが(笑
ラスボスが、魂を7個に分ける
というシーンがあるんですね
自分的には、7個も探すの大変やなーー
くらいにしか思わなかったけど
英国感覚的には、それはとても恐ろしいことみたいです。
2010/3/28(日) 午前 11:08 [ _ ]
要は、何が言いたかったといいますと
個人的な宗教のイメージは
TAKUさん達が、言うほど悪いものではありません。
何かを一身に信じ込んだり、それに救いを求める素直さは
素敵だと、させ思います。
ただ、やはり人間です。
疑う心を持って、
私が信じる神は 金儲けの神か?と考えるのも必要だと思います
死に対する感覚が、現代と昔でずれてきてると思います。
だから、宗教=詐欺
みたいな思考が生まれるのでは?
昔はきっと死というものがもっと重く扱われていたので
死んだ後も、天国へ・・
というのがあって、熱心な信仰だったかも知れませんが
今は、命が軽いですし、医療も発達しましたし
死んだ後の事を不安がって、神に祈る人は少ないと思います。
命の誕生についても、科学的に詳しく習いますし
時代の流れにそって
宗教のあり方が変わっていく・・・。
そう考えると、やはり私も宗教は必要ない
と感じる一人なのかも知れませんね。
2010/3/28(日) 午前 11:09 [ _ ]
おっと。
読み返して
本文の返事とずれてますね(笑)
私の宗教の一意見として、見てください(´ω`;)
2010/3/28(日) 午前 11:11 [ _ ]
みく♪
ある個人が持つ思考(考える・悩む・感動する・信仰する・崇拝する)が社会に害を成す
ようなとはありません。この原則があるから「思想の自由・信教の自由」という法的概念
が成立します。
従って、個人がナニガシかの神を信じる、崇拝する、信仰するという行為と、宗教団体が
団体的な教義を広めるという行為はまったく異質のモノであり、よって一つの判定基準で
この両者を同時に判定することはできないということでしょう。
俺がこの記事の中で主張していることは「組織の構造に非民主的な要素があり、つまりは
個人の発想や見解を許容できない構造であるなら、その組織は自身の在り方や活動内容、
その方向性を修正するような、「自浄作用」が働かない。」ということです。
これを指標として宗教団体を観察すると、宗教団体は「宗教=一つの価値観・神の絶対性」
の上に成り立っている以上、その組織構成要素、各メンバーの思考は必然的に上記の要件
のいくつかを満たしてしまうことになる。
2010/3/28(日) 午後 3:27
非民主制・秘密主義・リーダーの絶対性・画一化された価値観・・これに加えて勧誘の
必要性、高額商品の販売、脱会者への脅迫的な説得などなど。
これらの要素が揃うと、その集団には潜在的に集団的な犯罪を犯す可能性が潜んでいる
ことになります。これは○○会社だから安全だとか、○○法人だから安全だというような
議論ではありません。株式会社であろうと、財団法人であろうと宗教法人であろうと、
上記のような組織構造であるなら、その組織は「反社会的である」と判定されるというような
ことです。
このような議論と、「人間はその歴史の中で常に神と共にあった」というような議論は
同じ土俵の上では展開できない。これが人間の思考力の限界と言うことかも知れませんが・・。
2010/3/28(日) 午後 3:28