ラスト・ライフ・タウン
「ラスト・ライフ・タウン法案」が可決され、ようやくその運営が認可された。ラスト・ライフ・タウンへの転居可能年齢は70歳以上である。私は今年73歳になる。つまり私は、自分の意思さえ決めれば、いつでもそこに転居できるのだ。
特に迷う要因はなかった。妻は数十年も前から私を軽蔑しながら生きてきたわけだし、ここ数年は経営の現場から退き、自宅でのんびりと過ごす私に対して、まるでゴミを見るような視線を向けている。息子が一人いるが、息子夫婦もまた私を疎んじているし、私の価値は死後の遺産だけだというような態度が見え見えだった。
ラスト・ライフ・タウンに転居する資格は年齢が70歳以上であること以外にはない。転居の費用はもちろん不要であり、タウンに住むにあたっての家賃や光熱費の徴収もないのだ。唯一、条件があると言えば、それは次の説明文に記された一文であろう。
「ラスト・ライフ・タウンに転居する際は私的財産のすべて国家へ寄付する義務があり、これをタウンの維持運営経費に当てる。」
「私的財産がない方は論理的に徴収が不可能なので上記の限りではない。」
「タウンでの生活において上記の財産寄付の内容、その金額の高低によって生活格差が生じることはない。」
つまり70歳以上であれば誰もがタウンに転居できるが、財産のある者はそれを全額寄付しなければならないということだ。この項目については国会でも、その不平等性が問題となり、何度も論戦となったが、最終的には「貯蓄された財産で生活できる者の転居を抑止する」という意味において、この項目はその価値を認められることとなった。私もこの解釈には賛成である。なぜなら、もともとラストライフタウンとは、身寄りのない貧しい老人たちに豊かな老後生活を送ってもらうことを趣旨として建設された街だからだ。
この街にはお金がない。必要なものはすべて支給される。生まれや育ちによる身分の上下も職業格差もない。仕事に就く義務もない。もちろん好きな仕事を選んでそれを続けるのは自由である。一人で暮らすには十分な家屋が無償で与えられる。サークル活動を支える設備も充実しているし、当然だが医療、介護はトップレベルのものが完備されていた。年齢条件さえ満たしていれば、老夫婦が二人で転居することも可能だった。
妻は私と15歳ほど年齢が離れている。今年58歳になる妻には転居資格がない。従って私が転居を選択すれば、妻とは離別することになる。財産はすべて国家に寄付するわけだから、財産分与の面倒な揉め事もない。私がラストライフタウンを選べば、私の私有地に立てられている私の邸宅は国家の所有となり、妻は基本的にそこに住むことは出来なくなるだろう。それでもそこに住みたいと妻が言うなら、国はそこを「賃貸住宅」として妻に貸し出すことが出来る。
息子は現在、私が起業し育てあげてきた会社で社長という地位に着いているが、私がラストライフタウンに転居する際に、私の持っている株はすべて国家に寄付されるのだから、会社は事実上「国営」となり、息子は社長の座を退くことになるだろう。私の名義となっている別荘や車のすべては国家に寄付される。妻にも息子にも残すものは何もない。そのことを考えると胸が躍るような気分になった。私は心からラストライフタウンへの転居を望んだ。
転居手続きを終えてからの1週間。妻はある時は気が狂ったように暴れ、また時は気持ちの悪い下着をつけて私の寝室に忍び込んだりしたが、私の決意が変わらないと知ると、家中の家具を叩き壊してどこかへ行ってしまった。この数年間の間、一度も私を訪ねたことのない息子夫婦は、突然、毎日のように2人孫を連れて私の家を訪れるようになった。上は今年17歳になる女子高生だったが、その顔を見るのはこれが3度目くらいのもので、私の目からは化け物としか見えないような化粧顔でにやにやと近づいてきて「おじいちゃ〜ん」などと甘えて見せるのだ。息子はその子に向かって「ほーら、優しいおじいちゃんだよー!」などと言っていたが、やはり私の決意を知ると「さっさと死ね!糞じじい!」と喚きながら、国家に寄付されることになる自家用車を叩き壊した。
私は、自分の人生において長い間、社会のため、会社のためと自分に言い聞かせ必死で働いてきた。その道中において無数の人間を裏切り、ライバルを叩き落しながらのし上がってきたのだ。しかし、人間死ぬ直前くらいは穏やかな気分で過ごしたいではないか。人間らしく気の会う友人と笑顔を交えながら、静かに日々を過ごしたいと思うものである。ラスト・ライフ・タウンには、そんな私のささやかな希望を叶えてくれる要素がすべて揃っていた。残り少ない時間を、ここで有効に過ごすのだ。私の決意は堅かった。
ミッド・ライフ・タウン
ミッド・ライフ・タウンに転居できるのは40〜70歳までの男女で、それ以外の条件はなかったが、個人財産寄付の義務はラスト・ライフ・タウンと変わりない。突然、社長の座を下ろされ路頭に迷う羽目になった俺には、もう財産らしいものがなにもなかった。これから仕事を探し、その仕事を続けるなどということはまったく不可能に思え、つまり俺にはもうミッド・ライフ・タウンへの転居以外に生きる道は残されていないのだ。
俺は今年45歳になる。妻は俺より7歳ほど年下だったので、俺がミッド・ライフ・タウンに転居するとなると、必然的に妻とは別居することになるが、俺はそれでもかまわないと考えている。もともと、あの女は俺が「社長の息子」だという理由で近づいてきただけの女である。父親は引退して、俺が社長になると、まるでそれが自分の功績であるかのように錯覚し、社長夫人を気取っていただけの馬鹿女なのだ。
俺がミッド・ライフ・タウンに転居することを妻と娘に告げると、二人とも賛成してくれた。と言うより、二人とも地位と金の無くなった俺には何の興味もない様子だった。
ヤング・ライフ・タウン
今年38歳となった私は、その気になればヤング・ライフ・タウンに転居できる資格を持っている。ヤング・ライフ・タウンの年齢制限は20〜39歳までだからだ。しかし私には17歳の娘がいる。私がヤング・ライフ・タウンに転居してしまうと、彼女は一人ぼっちになってしまう。私の夫は私たちを見捨てるようにミッド・ライフ・タウンに転居してしまった。私は途方に暮れ悩んでいた。でも、そんな私を見て、ある日娘がこう言ってくれた。
「ママ。ママはヤング・ライフ・タウンに行きなよ。私のことなら心配しないで。」
私は娘の決意を理解した。そしてその言葉に甘えることにした。
ジュニア・ライフ・タウン
パパとママがいなくなった私はジュニア・ライフ・タウンに転居することにした。実はもともとこんな社会で生活する気はなかったし、さっさと転居したかったんだ。だってジュニア・ライフ・タウンにはつまらない規則はないし、大抵の願いは叶えてもらえるシステムがあるしさ。私は歌手になりたいと担当者に相談してみた。すると担当者は満面の笑みを浮かべてこう言ってくれた。
「今、ジュニア・ライフ・タウンでは歌手や俳優が不足しているんですよ。大丈夫!きっと3ヶ月くらいでデビューできますよ。」
なんてラッキーだろう!ジュニア・ライフ・タウンの年齢制限は5〜19歳。今年17歳の私は何の問題もなく転居できる!でも一つだけ問題がある。実は私、妊娠しているだ。そのことを恐る恐る担当者に相談してみた。担当者は少し困った顔をしたけど、すぐに「いいアイデア」を見つけてくれた。
ベイビー・ライフ・タウン
出産直後の0歳児から4歳児までの児童は、親の希望と決定でベイビー・ライフ・タウンに転居させることが出来る。諸所の事情により育児が困難となった親は皆、この街に子供を転居させることを選ぶようだ。もちろん他の街と同じように、転居に際して費用は一切かからない。ここには育児、児童教育の専門家による高度な教育を受けられるシステムがあり、そのためベイビー・ライフ・タウンの出身者は皆、幸せな一生を送れるのだった。
面接を終了した希望者はすべて睡眠薬で眠らせ処置室へと送られる。処置室では希望者の大脳をシールドケースに入れ、各端子を接続する作業が行われるが、この作業の成功率は現在約80%ほどであるが、2年の準備期間を過ぎる頃には99%にまで引き上げられているはずである。大脳摘出後の「肉体」はプラズマ・バーナーで完全焼却処分することが義務づけられている。
大脳を収めたシールド・ケースはサブ・コンピューターと接続され、そこから過去の記憶を量子シグナルに変換して大脳へと送ることによって、希望者は自分を認識し、以前と変わることのない「現実空間」を感じることが出来る。すべてのサブ・コンピューターはメインシステムによって管理され、個々の大脳に与えるべき刺激を量子単位で指示される。
この「人間管理システム」は人間社会の安定と持続を目的に構築されているものであり、現実の空間と物質の情報をすべて量子化することによって、社会現象のすべてを相互に扱いやすい形態(デジタル形態)に変換する方式である。現在、これによって量子化された人格は30億ほどに上り、その結果、総数が減少した現実社会では様々な混乱が生まれ、この混乱が更なる「希望者」を生み出すという、当初の予想通りの結果を導くことに成功している。
私たちの目標は、今後10年間で地球上のすべての人格を量子化し、次の10年間ですべての生命体を一括で量子化することである。その計画が成功すれば、人類は煩わしい社会問題から完全に開放され、個々が好きな人生を歩み、幸福と共に人生を終えることが可能となるはずである。
細胞寿命によって死滅する大脳の数を統計化し、常に同数の大脳が生まれるように生殖欲求をコントロールすることは非常に簡単なプログラムで可能となり、そのサブ・システムとしての細胞延命技術も確立されつつある。これによって「総人口」の調整は極めて正確なものとなり、常に一定数の大脳を稼動させることで、より安定した社会を達成できるであろう。
・・・以上。報告は地球管理システム/プログラム・NO=3003号でした。
全人類・全生物の大脳がシールド・ケースに収まる日は近い。その時こそ地球表面から騒がしい騒音が消え、地球は本来の「自然な姿」を取り戻すことだろう。それは陸地と海だけがあるが、それを見る者が誰もいないという、まさに究極の環境保護が達成された姿であろう。
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起きてる人みっけ〜
思わず読んだら酔いが覚めた。。(゚m゚*)プッ
2010/8/10(火) 午前 2:00 [ - ]
どーりーさん♪
昨晩、この短編をUPした直後に寝てしまいましたー!(すまん)
使い古されたネタですが、「ちょっと新しい角度で」と頑張ってみましたが、
やはり使い古された臭いがしますね・・・(涙)
2010/8/10(火) 午後 10:16
リアリズムに欠けるフィクションというのは面白くない
そのリアリズムを描写するのが実に至難の業なのだ
根拠となる知識の厚みと人間描写、これは一丁一石にできねものではない、普段の絶え間ざる学習と人生経験なしにはできないことです
最近つくづく感じる
読んでて面白い本がない、途中でほっぽりだすことが多い
これは音楽についてもいえることですけど、
プロとアマの違いってなんでしょうね
先生がアマチュアで、しょーもない小説や論説を書く者がプロだなんて、プロに価値なんてあるのかいな
先生の文は小説しろ科学論文せよ、エッセイにせよ、黙って引き込まれます。いちいちコメントはしていませんが、いつもスゴイと感じてます
おいらも刺激を受けて、なんかようやく少し書きたくなってきました
人と「モノ」についてのアイデアがあるので、書いてみます
よかったら、読んでください
2010/8/10(火) 午後 10:46
プリンス氏
こらこら!あんまり褒められると次作が書けなくなるじゃんか!(笑)
最近、文章にも「色や形や密度」というものがあり、これらに統一性を持たせる
ことで作品をうまくまとめることができるというような、勝手な自論が構築され
つつあります。
虚構と現実を組み合わせストーリーの世界観を生み出してゆくのは楽しい作業
ですね。(うまく行かない時は苦痛ですが・・・)
貴殿の書いているものは(たぶん)全部読んでますよ。これからも読み続けます。
特に貴殿の「詩」は(これは昔からですが)コード進行とかリズムとかが飛び出
してきそうなほどメカニカルに組み立てられていてくせに、尚且つ叙情的。(笑)
新作、大いに期待してます!!
2010/8/10(火) 午後 11:52