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ぼんやりと滲んでいる白い幻想を、美咲はそれを「銀河系」だと考えた。無数の点滅がキラキラと小さく光、全体が渦を巻いているように思える。しかし幻想が次第に焦点を合わせ始めると、不快な痛みが全身に湧き出してくる。その痛みで美咲は完全に覚醒した。そこが「セーブ・ヒューマン」の医務室であり、自分はベッドに横たわっていることを思い出したのだ。
(なーんだ・・銀河じゃなくて・・天井の模様だったのね・・・・)
「泣いていたようですね・・・澄川さん・・。」
ふいに声をかけられ、美咲はあわてて起き上がろうとする。
「いや、どうぞそのままで。無理をなさらずに・・・。」
声の主は、セーブ・ヒューマンの専務取締役である「田所新平」だった。
「な・・泣いてましたか・・・?」
美咲は照れくさそうに笑ってみせた。
「いえ・・私の気のせいでしょう。」
田所と美咲の視線が交差する。
「専務・・・色々とご迷惑をおかけしました・・・すべて私の責任です。」
専務は軽くため息をつくと、美咲を見つめながら話始めた。
「研究畑の人たちはね、何でもかんでも自分一人でやりたがる。まあ、それが研究という仕事の宿命かも知れませんがね、澄川さん。貴女もですよ。自分一人で背負い込まないでくださいね。」
美咲は黙ったまま、専務の話を聞いていた。
「社長と貴女の間に何があったのか、私たちは知りませんし、知らなければならないことでもありません。しかし、社長と常務がやっていたことを私たちが知らなかったというのは、知りませんでしたで済む話ではないのです。」
「そういう意味で、今回のことはすべて会社の・・いや役員である私たちの責任です。貴女が気に病むことは何もありませんよ。」
「ですが・・・専務・・・私は・・・。」
「澄川さん。仮に貴女に今回のことの責任があるとするなら、その責任は今後、貴女が研究中の技術を完成させることで果たしてもらうわけにはいきませんか?」
「わ・・私にはもう、研究を続ける勇気がありません。私の研究で、たくさんの人たちが犠牲になってしまった。取り返しのつかないことをしてしまってのですから・・・。」
「そうですか・・・やはり・・そうですよね。」
「・・・・・?」
「いや・・そう考えても無理はないと言うことです。もともと、新しい技術の開発には必ず犠牲が伴う。自動車でさえ、ここまで発展し、普及するまでに、いったい何人の人間が事故死したでしょうね?」
「そ・・それは犠牲でしょうか・・・?」
「ええ、犠牲ですよ。きれい事で隠すことは出来ますが、それが犠牲であることは歴然とした事実です。しかし、だからと言ってそれを理由に研究を放棄してしまえば、その犠牲さえも無意味となる。違いますか?」
「専務の言いたいことは理解できますが、私は・・容易く同意できる立場ではありません。」
「ええ・・わかります。貴女を苦しめるつもりはありません。研究を止めるというなら、それもいいでしょう。いずれ、誰か他の人間が、貴女の研究を受け継ぐことになる。貴女がやらなくても誰かがやる。そんなものですよ。」
「・・・・・」
「さて・・澄川さん。本題に入りましょう。」
「何でしょうか・・・?」
「先ほど、T国側から打診がありました。どうやら彼らは特殊病棟で行われていたことのすべてを把握しているようです。」
「打診・・と言いますと・・・?」
「まあ、交渉と言ったところでしょうか?」
「交渉・・・ですか?」
「ええ・・彼らもね、事態の深刻さに困っているのですよ。売春の他に臓器密売や、大脳記憶を保存するために人体を解体していたなんてことが明るみに出れば、それはもはや国内犯罪の領域を超えて、全世界に国辱を晒すこととなるわけでそうなれば、同じ宗教を共有している近隣の友好国から国交の断絶を宣告されるでしょう。そして同時に彼ら自身の信仰の根底を揺るがしかねない事態となってしまいます。そうなればまはや、小手先の技巧で国家を統治することが困難になる。」
「また・・政情が不安定になってしまうと言うことですか?」
「いや・・そんな生易しいことではありません。下手をすると、国家そのものが破滅するでしょう。」
「破滅・・・ですか・・?」
「ええ。これは我々には容易く理解できることではありませんが、彼らの信じる神に合わせる顔がない。恥ずかし過ぎて自殺するしかないというような心理なのでしょうね。」
「で・・・交渉とは・・・?」
「簡単な話しですよ。この計画にわが社が関与していることは事実なのですから・・・」
「つまり・・黙っていてくれるなら、黙っていよう・・・と?」
「まあ、そういうことです。お互いに、これに関与した者を適正に処分し、それ以上のことは何もしない。それが双方の傷が最も軽減される選択ではないでしょうかと、イライザ・マリーナさんはそう言っています。」
「関与した者の・・適正な・・・処分・・・。」
「ええ。適正な処分です。」
「私も処分対象だと言うことですか?」
「まさか・・・。そもそもT国の国防庁・情報局にあの情報を流したのは貴女ですよ。イライザ・マリーナから見れば貴女はT国を救った女神なんです。」
「女神・・ですか?」
「ええ。ですから、私から貴女にお願いしたいことは・・・わかりますよね?」
「第三者への公表は・・・控えろと?」
「まあ、そういうことです。澄川さんにとっては理不尽なことと思われるでしょう。しかし、我々だって、これが公表されれば、会社の事業はすべて停止されることになります。おそらく暴落する株価の渦の中で、会社は倒産することになるでしょう。私はそのような事態を回避せねばならない立場なのです・・。」
「専務・・・私は会社を辞めようと思ってます。」
「そうですか・・・残念ですね・・。」
「もちろん、これを公表するつもりはありませんから、ご安心ください。」
「ええ。わかりました。ところで・・・大岩社長の件ですが、ご存知のように社長は現在、謹慎処分中でしてね、T国との約束事の関係もあり、彼に対する適正な処分というものを、決定しなければなりませんが、その件はどうお考えですかな?」
「お任せします・・・もう彼のことは思い出したくありませんから。」
「わかりました。では正式な処分は我々の方で決定することにしましょう。澄川さん。貴女の辞意はわかりましたが、実はこれは私の一存では決することは出来ません。役員会の承認が必要なのです。まあ、これも形式的なことですがね。だって、辞めたいという人間を引き止めるような拘束力があるわけではありませんから。」
「はい・・・存じております。」
「ですから、早急に役員会を開く必要がありますね。」
「ええ・・そうしてくだされば幸いです。」
「ところが・・ですね。正規の役員会の招集のためには、社長の権限が必要なのですよ。今回のように社長が不在である場合、社長代理を決定するための臨時役員会が設けられます。」
「はあ・・色々と面倒なのですね。」
「ええ。すべては形式的なことですがね。実は先ほど、我々はその臨時役員会を開き、社長代理を選出したばかりなんです。」
「そうですか。もちろん・・・専務が代理なのでしょう?」
「いえいえ。私のような老兵が、ハイテク時代の最前線で現場を指揮できるはずがありません。」
「では・・・誰に?」
専務は美咲の質問には応えずに、スーツの内ポケットから一枚の書類を美咲に見せた。
「臨時役員会で、貴女は社長代理に選出されました。従いまして、貴女はご自分の進退について、それを承認するための正規の役員会を招集する権限があります。役員会の開催日時についても、その決定権を持っています。ですから、お体の具合が回復した後に、いつでも結構ですから・・・」
「ちょ・・ちょっと待ってください。私が社長代理って・・!」
「まあ、色々と文句もありますでしょうが・・・。」
専務はそう言って笑った。
「笑い事ではありません・・・私は・・・。」
「辞めたいのでしょう?では、社長代理として役員会を招集して、その権限でご自分の進退を決してください。その結論に、我々役員は従うしかありません。」
「ず・・するい・・ずるいです。専務!」
「いいえ。貴女にはまだ、やり残していることがある。そうでしょう?」
「・・・・・・」
「研究を完成させてください。貴女がやらなければ、誰かがそれをやる。そして再び、誰かがそれを悪用するでしょう。私はね、澄川さん・・・。貴女がここで研究を放棄することを個人的に許せないのですよ。研究を続け、それが健全な形で利用される環境を生み出してください。そうでなければ、再び悲劇が繰り返されます。違いますか?」
「・・・・・。」
「奪われた7000の命を無駄にしないでいただきたい。苦しくとも、辛くとも、泣きながら、喚きながらで結構ですから、命をかけて、死に物狂いで研究を続け、それを完成させてください。協力は惜しみませんよ・・・澄川さん・・・。」
美咲は、その両目に溢れ出す熱で、目の前の男の顔が滲んで見えていた。滲む視界の先で、男の目にも光るものがあった。
「それが貴女の責任であり、それが女神の使命なんですよ。」
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電脳の女神
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