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死亡者
■さて、現場となった「あさま山荘」には管理人(女性)がいた。この女性が唯一の人質となってしまったわけだが、女性は夫と二人で、あさま山荘を管理していたということだ。
この二人が管理人となる経緯について、ネットから得られた情報を要約すると・・・・
長野県軽井沢のはずれに、東京の喧騒とは無縁の村があった。人口90人の馬取(まとり)地区である。村の若者たちは皆、都会へと出て行ってしまった。村人は、過疎化が進む村の活性化のために裏山を切り開き、別荘地の造成に乗り出した。
軽井沢の中心から離れたこの土地には、サラリーマンの保養所がいくつか建てられた。そして昭和43年、あさま山荘の建設工事が始まった。
その工事も終了に近づいたある日のこと、現場で声をかけてきた若い夫婦がいた。
「ここの管理人に雇ってくれませんか」・・・これが牟田泰子(むた やすこ)だった。
福岡でサラリーマンをしていた夫の郁夫は、妻の親の面倒を見るため長野に移ってきたという。
泰子は調理師の免許を取っていたこともあり、二人は希望通り、管理人に採用された。管理人に採用された二人は、ある日子犬をもらってきた。チロと名づけ、チロとの散歩が牟田夫婦の楽しみとなった。年寄りばかりの村に、若い夫婦がきて、馬取の人々は喜んだ。
■福岡のサラリーマンが生活の諸事情から長野に移り住み、夫婦で働ける職を求めた結果「山荘の管理人」となった。
・・・というような説明は受け入れられない数字がここにある。この二人もまた「連続ドラマ・あさま山荘事件」の役者として「採用」されていたということだ。
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