羊の隠れ家

■■■Taku2001zooのブログ■■■

まゆみちゃんの言語

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「ママ・・・泣いているの・・・悲しいの・・・?」
「うん・・・悲しいの・・・。」
「何で悲しいの・・・?」

「カブトムシが死んじゃうから・・悲しいのよ・・・。」
「死んじゃうの・・・?」
「ご飯をあげないと・・・死んじゃうのよ・・スイカを食べないと・・死んじゃうの」

死なないで・・まゆみちゃん・・・

母親の涙が、娘の頬を濡らした。涙はただの塩水であり、塩水にはもともと大した意味はない。しかし、時として塩水は、言葉では伝わらない「意味」を伝えることがある。言葉では伝えることのできない「意味」を、ただの塩水が伝えてしまう。

言葉を超越して・・・・
概念さえも超越して・・・

娘は、母親の手からスイカを受け取ると、虫かごの中でうずくまっているカブトムシの前に
そっとそれをおいた。

「ご飯ですよ・・・カブトムシさん。」

娘は小さな声で語りかける。

「ちゃんと食べて・・・スイカ・・好きでしょう・・・?」

カブトムシは動かない。

「頑張って・・!!頑張ってスイカ、食べて・・・!!」

「死んじゃだめ・・・死んじゃだめなんだよ・・・」

母親は、両手を胸の前で握り合わせる。その時・・・。

虫かごの中の小さな黒い塊が、モソっと動いた。前方に突き出た角をゆっくりとゆすりながら、カブトムシはスイカの欠片の端っこに口をつけた。

「・・・食べてる・・食べてるよ。ママ!」
「う・・うん。食べているね・・・」

母親は娘の髪をそっと撫でる。

「ねえ、まゆみちゃん。カブトムシさん、おいしいって言ってる?」
「うん!言ってるよ!」
「まゆみちゃんにありがとうって、言ってるかなあ?」
「うん。言ってるよ、大好きなスイカをありがとうって!」
「カブトムシさん、まゆみちゃんが大好きなんだよね?」
「うん!そうだよ!あたしもカブトムシさんが大好きだからだよ!」
「ママも・・・まゆみちゃんが大好きよ。」
「うん!あたしもママが大好きだよ!」

(お腹が空いたね。まゆみちゃん。お昼ごはん、食べようか・・・)

あの・・クリーム色の・・・温かい・・・やさしい・・・おいしい・・・

(完)
まゆみちゃんは、カブトムシの一件以来、あまり笑わなくなった。テレビを見ていても、ゲームをしていても、その瞳には空ろな光しか感じられない。ご飯を食べても「おいしい」とは言わず、食べる量さえも減ってきてしまった。

「このままでは病気になってしまうわ・・・」

そう考えたママは、児童カウンセリングセンターにまゆみちゃんを連れて行った。別室でまゆみちゃんを待たせて、ママはカウンセラーの先生に一連の出来事を話した。

「先生・・まゆみは治るでしょうか・・?」

先生はその言葉に、首を小さく横に振る。

「まゆみちゃんは治りませんよ。」
「え・・・・!!」
「まゆみちゃんは、どこも悪くない。だから治る必要はありませんという意味です。」
「で、でも・・まゆみは・・・。」

そう言いかけたママに向かって先生は言う。

「治る必要があるのはあなたですよ。お母さん。」
「わ・・私・・ですか・・・?」

「まゆみちゃんはシチューが好きなんですよね?」
「はい・・。」
「まゆみちゃんが、シチューを好きだということをあなたはどうして知っているのですか?」
「そ・・それは、シチューがおいしい食べ物だから当たり前ではないですか?」
「シチューはおいしい食べ物ではありませんよ。お母さん。ただの食べ物です。」
「はあ・・・??」
「ただの食べ物なんですよ。味なんてないんです。」
「あ・・ありますよ!味があるからおいしいか不味いかわかるんじゃないですか!」

ママには先生の話がまったくわからなかった。

「では、お母さん。アフリカのある部族では昆虫の幼虫を食べています。みんなそれをおいしい
と言って食べます。あなたはそれを、今ここでおいしいと思えますか?」
「それは・・それは無理だと思います。食べることも出来ません。」
「ならば、そのアフリカの人たちも、シチューなんておいしいとは感じないでしょう?」

「いいですか。お母さん。まゆみちゃんはあなたがいるから、あなたに育てられたからこそ、
シチューをおいしい食べ物だと決定しているんですよ。」
「・・・・。」

「あなたはまゆみちゃんに始めてシチューを食べさせた時、何か語りかけたはずです。言葉を使って
まゆみちゃんに何か言いませんでしたか?」

(ほら、まゆみちゃん・・・シチューよ。おいしいねー)

「言いました・・・。」
「あなたがまゆみちゃんに(シチューはおいしい食べ物)ということを伝えたのではないですか?」
「はい・・・。」
「まゆみちゃんは、あなたが(おいしい)と決めたものだから、それを信じているだけなんですよ。シチューのおいしさに客観的な定義はありません。それを定義づけるのは親の仕事なんです。だから母親は誰も皆、子供に食事をさせる時、そこに同席して(おいしいね)と、語りかけるんですよ。」

「・・・・・。」

「大好きなシチューを食べてる時、まゆみちゃんはどんな様子でしたか?」
「嬉しそうでした・・・笑顔で・・・。」
「お母さんであるあなたと、シチューという食べ物は本来は無関係に存在していますね?」
「はい・・・何となくわかります・・・。」
「では、シチューを食べている時、まゆみちゃんの中でその二つは無関係だと思いますか?」

(ママの作ったシチュー、おいしいねー!)(ママの作ったシチュー、食べたいの)

「む・・無関係ではないと思います・・・」
「そうです。関係があります。むしろこの関係から(おいしさ)が発生しているんです。」
「はい・・・。」
「あなたがまゆみちゃんのことを愛して、心から思いやりを持って作ってしるから、まゆみちゃんはそれを嬉しいと感じ取り、その時の味を(おいしい味)と感じているんですよ。あなたのシチューを私が食べても、それは確かに美味しいでしょう。でも私はまゆみちゃんほどの(おいしさ)を感じることはできません。私はあなたにそれほど愛されていませんからね。」

「カブトムシにスイカをあげる時のまゆみちゃんは、あなたがまゆみちゃんに捧げるような愛情を
持って、それを行っていたのではないですか?」

(あ!ママ!カブトムシがスイカを食べてるよ。カブトムシはスイカが好きなんだねー!)

「カブトムシがそれを食べる様子を見たまゆみちゃんは、カブトムシの(嬉しさ)を感じます。
カブトムシの(おいしさ)も感じます。」

「はい・・・そうだと思います・・・。」

「そして何より、自分を愛してくれるカブトムシの愛を感じます。つまりまゆみちゃんとカブトムシの間に心の交流ができます。あなたはカブトムシに心なんてないと言います。しかし、まゆみちゃんは、その心を感じるんです。感じられるのです。まゆみちゃんはカブトムシのお母さんなんです。自分が本当の母親になった時のことを想定して、女の子はみんな「お人形さんごっこ」をやります。この時お人形さんは必ず自分の子供なんですよ。わかりますか?」

「はい・・・。」

「あなたは、その大切な関係性を壊してしまった。愛情や思いやりや嬉しさやおいしさ、この意味を壊されたまゆみちゃんは、あなたからの愛情を感じることができなくなっている。」

「わ・・私は・・・どうすればいいでしょう・・・?」

自宅に戻り娘を寝かしつけた母親は、その寝顔を見ながら再び、小さく呟いた。

(私はどうすればいいのだろう・・・)

笑わなくなってしまった娘・・シチューをおいしいと言ってくれなくなってしまったまゆみ・・・。

(まゆみ・・・まゆみちゃん・・・ごめんね・・ごめんね・・・)

母親は泣きながら、娘の額を撫でた。部屋の片隅には小さな虫かごがあり、その小さな空間の中でカブトムシは、時々、モソっと、黒い体を動かすだけだった。

翌朝・・・

「まゆみちゃん。カブトムシさん、元気がないみたいよ。スイカはあげてるの?」
「あげてない・・・」
「ど・・・どうして?」
「お腹が空いてないから・・・・」

まゆみはもう、カブトムシの「声」を聞くことは出来ないのだろうか・・・?母親はふと、思い立って娘の部屋に向かい、虫かごの中を覗いて見た。昨晩、僅かに動いていたカブトムシが、今はまるで石のように動かない。

(死んでしまうかも知れない・・・いや、もう死んでいるのかも・・・)

言い知れぬ恐怖が湧き上がってくる。母親役のまゆみとの関係性を失った小さな虫が、ここで死んでしまうということが、自分の娘の死と重なる出来事のように思えた。自分との関係性を拒否する娘は、このままカブトムシのように死んでしまうのではないだろうか・・・!!

「ね・・まゆみちゃん。カブトムシさんにご飯をあげようよ。スイカ、まだ残ってるからさ!」

母親は慌てて冷蔵庫からスイカを取り出すと、それを小さく切って娘に渡した。

「ママがあげればいいでしょ・・・・。」

まゆみは母親の手に、それをつき返す。

「だ・・だめ・・まゆみちゃんがあげて。ね・・お願いだから・・・!」

もう一度、カブトムシのお母さんになってあげて!
もう一度、カブトムシを愛してあげて!

母親は娘を抱きしめていた。抱きしめながら泣いていた。

(続く)
「あ!ママ!カブトムシがスイカを食べてるよ。カブトムシはスイカが好きなんだねー!」

「人間じゃないカブトムシがスイカを好きかどうかなんてわからないでしょう?」

「だって、おいしそうに食べてるよ。」

「おいしいと感じているかどうか、何でまゆみちゃんにわかるの?」

「だって・・・」

「いい、まゆみちゃん。カブトムシはただの虫。だから「好き」とか「おいしい」なんて考えないよ。だからまゆみちゃんは、カブトムシがスイカを好きと言ったり、おいしそうに食べてるなんて言ったりしてはいけないのよ。全部、まゆみちゃんの勝手な想像でしょ?勝手に想像したことを言う人は嘘つきなのよ。わかった?」

「じゃあ・・ママ。カブトムシは何でスイカを食べてるの?」

「お腹が空いたからよ。」

「じゃあ、お腹が空いたらワサビも食べるの?」

「いいえ。ワサビは食べないわよ。」

「何で?」

「嫌いだからよ。」

「・・・・」

・・・・・・・・・・・・夕食の時間になりました。

「さあ、まゆみちゃん。今晩はまゆみちゃんの好きなシチューですよ。」

「別に好きじゃないよ・・・・」

「え?じゃあ、何で食べるの?」

「お腹が空いたから。」

「ま、いいから食べなさい。ほら、おいしいでしょ?」

「別に、おいしくないよ」

「おいしいわよ。分からず屋ね。まゆみちゃんは!」

「あたしがおいしいと思ってるかどうか、ママにわからないでしょ?勝手に想像しないで。」

「・・・・・。」

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