羊の隠れ家

■■■Taku2001zooのブログ■■■

■神はいるか?

[ リスト | 詳細 ]

http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/6f/26/taku2001zoo/folder/796504/img_796504_10792058_0?1234996541

ここでは「神の存在」について否定的に語っています

しかし、これは俺個人の心情を表現しているに過ぎず

決して特定の宗教団体にたいする批判や

信仰者に対する侮蔑を目的とするものではありません

記事検索
検索

全10ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10]

[ 次のページ ]

ナイジェリアで「魔女狩り」横行、幼児虐待や殺害も

8月26日11時18分配信 CNN.co.jp

ナイジェリア・アクワ・イボム州(CNN) ナイジェリア南東部のアクワ・イボム州で、子どもや女性が魔女と名指しされ、虐待されたり追放されたりするケースが相次いでいる。

牧師らは、疫病や貧困がはびこるのは魔女のせいだと主張し、魔女とされた人物は浄化しなければならないとの教えを広める。特に地方では、子どもが最大の犠牲者になっている。

夜明け前、村の人たちがきょうだい3人を取り囲み、母親が涙を流しながら自分の子どもたちを追放する光景に遭遇した。子どもたちは、黒魔術を使って幼い兄弟2人を殺したとされていた。

こうした子どもの救出活動を展開しているサムさんは、「もし私がいなければ、子どもたちは川に投げ込まれたり、生きたまま焼き殺されたりしていたかもしれない」と話す。

サムさんは、子どもたちは魔女ではないと母親らを説得しようとしたが信じてもらえず、自身が運営する児童養護施設に子どもたちを連れて行った。施設で暮らす200人近い子どもは、全員が魔女とみなされて家族から追放されたという。

5歳のゴドウィンちゃんは、母親が死亡したのはゴドウィンちゃんのせいだと牧師に責められたという。親類に問い詰められ、「否定したら殴られて、自分が母親を殺したと告白させられた」とサムさんは話す。殴られたり熱湯をかけられたりした傷跡を持つ子どもも多い。

サムさんの話では、魔女信仰が児童虐待に結びつくようになったのは10年ほど前からだという。地元の非営利組織(NGO)関係者は「宗教指導者が金目当てに保護者の無知に付け込んでいる」と指摘する。魔女から解放するための儀式と称して300〜2000ドル相当を要求する牧師もいるという。

しかし地元自治体は、サムさんや児童保護NGOの活動の方が金目当てだと批判。児童保護の新法によって、ほとんどの問題は解決したと主張する。しかし同法ではまだ1人も訴追されてないことも認めた。今でも同地では、毎晩のように儀式の悲鳴が響き、魔女追放が行われている。

「魔女狩り」にあう子どもたちというニュースを目にしたのはもう1年以上も前のことだが、その後も状況はいっこうに改善されていないようである。「魔女」という言葉はキリスト教の宗教用語であるが、この地で出鱈目な教義をばら撒き、地獄のような光景を現出させている牧師たちが正式なキリスト教徒であるかどうかは定かではないが、少なくともその教義を利用して収入を得ていることは事実である。上記の内容によれば、救済にあたる側もまた「営利目的」で活動しているらしい。

「地球上にはいくつもの地獄がある。多くの地獄は宗教関係者が生み出してきたという歴史的事実がある。」

このようなニュースを見聞きして「これは未発達な他国の話だ」と考えるなら、それは完全な間違いである。宗教的ヒステリーとは国境も文化も教育程度も超越して発生する「人間社会のアクシデント」であり、従って先進国でも常時発生していると考えるべきであり、それが悲劇的なニュースになった時に初めて、我々はその「恐るべきナンセンス」に驚愕し、混乱することになる。

オウム事件然り、9・11然りである。



■ビン詰めの水道水が・・・

もう20年以上も前のことだが、当時アルバイトでお世話になっていた小さな物販店舗のオーナー夫婦が、ある時突然、宗教団体に入信したことがある。当時夫婦は共に30歳前後だったと記憶しているが、二人の間には子供がいなかった。所謂「不妊症」ということだったらしいのだが、それが二人には苦痛だったのだろう。
 
二人が入信したのは「霊波之光」という新興宗教団体だったが、その団体の詳細について当時の俺はまったく無知だったし、また知りたいとも思わなかったのだが、二人は毎週日曜日に本部に参拝し、その翌日、参拝の様子を細々と俺に話して聞かせ、挙句の果てに「来週は貴方も一緒に行きましょうね!」と、熱心な勧誘を受けた。(笑)
 
二人は参拝の度に「御神水」と呼ばれる「ビン詰めの水」を購入していた。何でも教祖様の霊力が宿っている水だということだ。体の悪い部分を、この水で濡らせば病気が治るということらしい。お決まりの霊感商法である。夫婦はおそらく、不妊症の改善を願って参拝を続け、一本5000円の水道水に希望を託していたのだろう。そのこと自体をとやかく批判する気はない。それで気が安まるなら、それもよいではないか。
 
しかし・・・
 
視点を変えるとまったく違う側面が見えてくる。
 
「この水は果たして無害な、ただの水なのか?」
 
このようなインチキに騙されるのは「人間の心」だけであり、その身体には嘘は通用しないものである。もちろん、この夫婦が水の力で不妊症が改善され、子供を授かったということはない。同様に多くの信者たちが抱えている身体的な問題が解決されることなど一切ないであろうと予測できる。
 
つまり・・・
 
病院に通って、まともな治療を受けていれば完治したかも知れない病気が、ここで無駄な時間と費用を費やすことによって、治療の機会が失われ、病状が悪化することになり、最悪の結果に至ることだって十分に考えられるのだ。この夫婦にとっての「最悪の結果」とは・・・?
 
宗教を擁護する側の論理の中に「信仰は個人の自由だ」というものがあり、もちろん俺もその概念を否定するつもりはない。しかし、その自由とは、上記のような「悲劇的な結末に至る道筋を選ぶ自由」でもあるということを(遠まわしに、コソコソと)主張しておきたい。同様に「信仰の自由と素晴らしさ」の中に浮かれて、現実に目を向けようとしない「クソ信者」にも、一言だけ言っておきたい。
 
「勧誘(布教)とは、自分の周囲に不幸をばら撒く悪しき行為である」・・・と。
 
ビン詰めの水、1本5000円。
夫婦は毎週、これを2本購入する。
(1ヶ月の二人の売り上げ=4〜5万円)
(1年間の二人の売り上げ=50〜60万円)
(10年間の二人の売り上げ=500〜600万円)
 
水道水をビンに詰めた商品の1本あたりの製造コストは?
 
「ぼったくり系のキャバクラよりも悪質だ!」

■構造欠陥とは何か?

構造欠陥とは何か?
 
すでに何度か指摘したように「宗教団体」にはその組織形態に(通常の民間会社組織とは異なる)構造的な欠陥がある。これは「勧誘=洗脳=増収」という運営形態に由来する宿命である。「宿命」とはその目的、その行動様式である限り、この構造でなければならないというようなものだ。簡単に分析すれば以下のようなことだろう。
 
前提(初期条件)
1)宗教団体の仕組みとは、信仰心を集め、それを確実に換金できる仕組みを指す。
2)信者(会員)の要求である「不安からの開放、現在、未来における幸福」を約束するための「経典」に絶対性を与える。
3)絶対性質を支えるのが概念としての「神」であり、神からの指令を受けている「偉い人」が「教祖=経営者」となる。
4)故に「教祖の言葉」というものが絶対的な指標となって、組織をまとめることになる。
 
教団運営
1)信者(会員)は、入会金なり年会費なりの支払い義務があり、これの集金が教団の第一目的となる。
2)所定の金額に満たない会員には、新たな会員の勧誘が義務付けられ、多くの場合、この勧誘活動を「修行」と呼ぶ。
 
*「神の存在に気づかず、無意味な日々を送っている人を救うのがあなたの使命ですよ」ってな感じだ。
 
3)更に団体によっては「商品販売」にもノルマがあり、会員はこの無意味な商品の販売こそが「神の道」であると信じ、無償でその愚公に取り組むことになる。(仏壇・壷・水道水・ネックレス・石ころ・・その他何でもアリ!)
4)入会の説得に応じなかったり、薦める商品を購入しないには脅迫的手段を行使する。(これが多くの訴訟に発展している)
5)勧誘成績、販売成績によって信者には「ランク」が与えられ、これが昇格システムとして機能する。
 
このような団体に在籍し、団体の示す「指標」に従っている限り、信者とは自分が被害者であると同時に、その被害者が加害者となり、他の多くの被害者を生み出すことになる。ではなぜ、人間はいとも容易く騙されるのだろうか?かつて「宗教的修行」というものは常に、それを行う者に過度の肉体的ストレスを加えるような形態で行われてきた。もちろん、現在でもそのような修行を行っている団体は存在する。原始宗教にまで立ち返れば、過度の絶食や不睡眠などが原因となり、修行者は幻覚や妄想に晒されることになる。これが「神秘体験」の正体であり、この体験を得るために、寝ずに踊り狂うなどの行為が「祭り・祀り」として部族に定着することになる。
 
現代では更に「悪質な洗脳手法」として睡眠誘導剤が使用されたりする場合があり、それに加えて催眠誘導などの手法も積極的に取り入れられている。勧誘する側(教団)は、一度でも勧誘に成功すれば、そこからは定期的な増収が得られるのだから、教団にとって「勧誘」とは、最も大事な仕事であり、そこには様々なアイデアと工夫が凝らされている。
 
ある自動車が、走行中にタイヤが外れ事故となったというような場合、同じ製造工程で組み立てられ、同じ構造を持った車種のすべてで、そのような故障が発生するであろうと予測するのが「論理」というものであり、このような判定・判断において「個人的な感情・思い込み・勘違い」があれば、故障の原因は発見されることなく、更に多くの事故が誘発されることになる。
 
かつて、地方の原子力発電所で発生した「毛細管破断事故」いついて、その構造が他のすべての原発も共有しているものであることを根拠に、すべての原発を停止させて点検すべしと主張した社会学者がいた。彼の主張は退けられたが、その後、全国の原発で同様の事故が連発したことは言うまでもない。
 
「構造的な欠陥から生まれる事件・事故」というものは、それを問題視する視点がなければ見過ごされ、根本的な改善が成されぬままに、事態は悪化の一途を辿ることになるという性質がある。構造欠陥による事故と、そうではない個別の事故との区別、分別を成す能力こそが「論理的な思考」と呼ばれるものであり、論理的思考を発揮するための最適条件として「客観性・客観的な立場」というものが必要となる。
 
自分の所属する会社が作った車に欠陥があるとは、社員であるなら誰もが考えたくはないことであり、考えたくないから「そうは考えない」のであり、その結果第二、第三の事故が発生することになる。健全な会社組織であればこのようなことを防ぐ手立てとして、社内において、部署や上下関係を超えた「製品管理部門」を設けている。つまりここに「自浄作用」を機能させるということである。
 
しかし宗教団体の場合、このようなチェック機能(自浄作用)を持つことができない。なぜなら教義や勧誘手法が正しいかどうかを省みるということは、教祖の正しさを判定するということであり、これはすなわち自分が信じている神の正しさを疑うということに直結するからであり、神を疑いながら信仰が成り立つわけがないからである。
また、幹部会員や教祖の補佐となる「牧師」などは、神の絶対性というものが「自分の絶対性」であると勘違いしている者が多く、彼らにとって「自分か語る言葉で信者が酔いしれる」という日常が、彼らの倫理観自体を狂わせてしまう結果となる。(今回のキリスト教牧師による組織的強姦事件などが、この適例として挙げられる)
 
個人的な意見だが、中には「騙されるあんたがアホだよ」と言いたくなるほど、滅茶苦茶な屁理屈を教義・聖典としている団体も多く、そのような間抜け団体に騙され数百万の金を奪われた後で「私は被害者です」と言っても、どうも同情の念が沸かない。(笑)最近話題となった「円天」というインチキ商法の例でもそうだが、その団体の会員となり、商品が安く買えるなど、ほんの数回ほど「いい思い」をさせられるだけで、誰もがそのシステムの欠陥に気づくことができなくなるものである。(このような無知・無力さが、宗教団体をはじめとするすべてのインチキ組織を支えているということだ!)
 
今後も宗教絡みの犯罪、事件、事故は社会から絶えることなく発生するであろう。すべては宗教の宿命から齎される悲劇であり、その宿命を支えているのが「構造欠陥」であると断定できる。
 
都市のど真ん中で神経ガスを散布し、多数の一般市民を殺傷するという世界でも例を見ないあの忌まわしい宗教テロリズムから15年の歳月が過ぎた。
 
神を信じるもよし。
教祖様を祀り上げるもよし。
信仰に人生を捧げるもよし。
 
しかし宗教信者の方々はあまりエバらずに、自分たちの城の中でコソコソと宗教行事を行っていただきたい。
 
■「信仰とは真実を知りたくないという意味である。」
■「信念は嘘よりも危険な真実の敵である。」
(フリードリヒ・ニーチェ)
 
■「聖書の理解できない部分がひっかかるんじゃないんだ。理解出来る部分がひっかかるんだ。」
(マーク・トウェイン)
 
■「宗教があろうとなかろうと、善い人は善い行いを、悪い人は悪い行いをする。
しかし宗教によって善い人も悪い行いをする。」
(スティーヴン・ワインバーグ)
 
■「きちんと読めば、聖書には無神論のための思いつく限りの最も強い根拠がある。」
(アイザック・アシモフ)
 
 
「あの事件を起こした宗教団体がまだ存在している。日本人は相当鈍感なのだろう」と言った外国人記者がいたらしい。笑わせるな!世界中で残虐非道の限りを尽くし、組織を拡大させたあの「クソ宗教団体」も、まだこの世に存在しているぞ。
 
人類から「神を信じる」という愚かな行為を排斥することは決して出来ない。
しかし、神を信じる者たちの犠牲者とならねばならない理由はどこにもない。
 
「宗教」という伝染病の蔓延を防ぐのは、人間の思考能力であることを確信している。
「思考能力」とは、冷静な精神から発揮されるものである。

賢者たちの言葉

ジョージ・カーリン(George Carlin)


■「宗教は常にありえない物語を説いている。考えてもみてくれ。見えもしない奴…が空に住み、そいつが毎日毎分の全てをお見通しで、さらにその見えない奴が、10個のしてはいけないことを並べている。そしてしちゃいけないことをしたときには特別な場所へ追いやられ、そこには永遠に続く火や煙や拷問や激痛が用意されている。そこでこの世の終りまで焼かれ、叫び、苦しみ続けるのである。だが、そいつには愛があり、そして愛があり、さらに愛があり、金を必要としている。」

■「私は教会と国が完全に分離することを希望する。思うにこの二つの団体は別々でさえも、かなり我々をメチャクチャにしてくれるので、二つが一緒になれば、死は免れられない。」

フリードリヒ・ニーチェ(Friedrich Nietzsche)


■「どっちなんだ?人間が神の失敗作なのか、それとも神が人間の失敗作なのか。」

■「信仰とは真実を知りたくないという意味である。」

■「信念は嘘よりも危険な真実の敵である。」

アルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein)


■「私が自然界に見るものは、不完全な理解しか得られない素晴らしい構造をしており、思慮ある人を謙遜させるのである。これはまさに宗教的な感情であって、神秘主義とは何の関係も無い。」

■「神の存在とは私が真面目に受けとれない人類学の概念のようである。人間界の外に意思やゴールがあることが全く想像できない。…科学は道徳を犯すと責任をなすりつけられてきた。しかしそれは不当である。人間の倫理は、人情や教育、社会のニーズや結びつきを基本とすべきで、宗教を基本とする必要はない。もし人が死後の見返りの期待や罰の恐怖によって束縛されるなら不幸と言えるであろう。」

■「人々がただ罰を恐れ報酬を望むというだけで善良なら、我々は実に哀れむべき存在だ。」

マハトマ・ガンディー(Gandhi)


■「歴史に記録されている世の中で最も極悪で残酷な罪は、宗教という名の下に行われている。」

■「キリストは好きだが、キリスト教信者は好きではない。キリスト教信者はキリストのようではない。」

マーク・トウェイン(Mark Twain)


■「聖書の理解できない部分がひっかかるんじゃないんだ。理解出来る部分がひっかかるんだ。」

■「人は信じているということによって教会から受け入れられ、知っているということよって追い出される。」

トーマス・ジェファーソン(Thomas Jefferson)


■「凝り固まった偏見による不安を全て振り払いなさい。弱い心は卑屈にうずくまっているものです。どんな事実やどんな意見に対しても、根拠をしっかり立てて法の下に照らしなさい。神の存在でさえ、勇気を持って疑問を持ちなさい。神が存在するならば、愚かな恐怖心への服従よりも、根拠を立てることへの敬意に賛同されるにちがいありません。」

ベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin)


■「信仰を通して見ることは、理由と言う目を閉じてしまうことである。キャンドルを消せば朝日がシンプルに見えるのと同じことである。」

■「教会よりも灯台のほうが役に立つ

スティーヴン・ホーキング(Stephen Hawking)


■「秩序を神の御名によってたとえるとしたら、それは非人格的な神であろう。物理学には人格的なところはほとんどない。」

ジッドゥ・クリシュナムルティ(Jiddu Krishnamurti)


■「伝統というものは我々の精神安定剤となる。そして精神が安定すると退廃の道をたどる。」

■「自分の信仰することを繰り返し主張することは不安の表れである。」

クリストファー・ヒッチンズ(Christopher Hitchens)


■「証拠のない主張は、証拠のない主張として却下される。」

ジークムント・フロイト(Sigmund Freud)


■「宗教は幻想である。そしてそれは本能的な欲望と調和してしまう力を秘め持っている。」

カール・マルクス(Karl Marx)


■「宗教は抑圧された生き物のため息であり、心なき世界の心であり、また、それが魂なき状態の心情であると等しく、…つまり、それは民衆の阿片(アヘン)である

ジョージ・バーナード・ショー(George Bernard Shaw)


■「信仰を持つものが無神論者より幸せだという事実は、酔っ払いがしらふの人間より幸せなことに似ている。」

ブレーズ・パスカル(Blaise Pascal)


■「宗教のために行われる罪でなければ、人間はあれほど完全に楽しそうに悪事を行わない。」

スティーヴン・ワインバーグ(Steven Weinberg)


■「宗教があろうとなかろうと、善い人は善い行いを、悪い人は悪い行いをする。しかし宗教によって善い人も悪い行いをする。」

デロス・マッコウン(Delos B. McKown)


■「見えないのと、存在しないのは、よく似ている。」

エドワード・ギボン(Edward Gibbon)


■「宗教のことを一般人は真実とみなしており、賢者は偽りとみなしており、支配者は便利とみなしている。」

ロバート・グリーン・インガーソル(Robert Ingersoll)


■「我々の知らないことは神である。知っていることは科学である。」

黄檗希運(おうばく きうん/Huang Po)


■「愚者は自分の思いより見えるものを無視する。賢者は自分の見えるものより思いを無視する。」

ベンジャミン・ディズレーリ(Benjamin Disraeli)


■「知識の限界で宗教が始まる。」

作者不詳


■「人に魚を一匹与えれば一日の食事になるだろう。人に釣り方を教えれば一生の食事になるだろう。人に宗教を与えれば一匹の魚を願いながら死ぬであろう。」

デイブ・バリー(Dave Barry)


■「もし栄光とともに万物を創造した神がいて、その神がメッセージを人間界に伝えようとするとしても、ヘアスタイルのおかしなテレビの人間を使わないだろう。」

エピクロス(Epicurus)


■「もし神が悪を妨げる意思はあっても力が無いなら全能ではない。力はあるが意思が無いなら邪神である。力も意思もあるなら悪はどこから来るのだろう。力も意思もないなら、なぜ神と呼べるのだろう。」

エリック・ホッファー(Eric Hoffer)


■「『熱狂的な信者』の反対は『熱狂的な無神論者』ではなく、神がいようといまいと気にしない『穏便な皮肉屋』である。」

ビル・メイハー(Bill Maher)


■「飛行機を建物に飛び込ませるなんて信仰に基づくものだ。宗教は神経疾患だと思うね。」

■「アメリカでよく使われるフレーズに「我ら神を信ず」というのがあるが、そこだよイエス・キリストが求めているのは。紙幣の上でね。」

ポール=アンリ・ティリ・ドルバック男爵(Paul-Henri Thiry, baron d'Holbach)


■「時の初めに戻るなら、無知と恐怖心が神を創ったことがわかる。幻想や熱意や虚偽が神を着飾るのである。弱さが神を崇拝させるのである。軽信が神を維持するのである。慣例、敬意、圧制は、人を盲目的に従事させることに役立つ。自然に対する無知が神を生んだのなら、自然に対する知識が神を破壊するように計算されているのだ。」

ビル・ヒックス(Bill Hicks)


■「もしユダヤ人が神を殺したと思えるなら、ユダヤ人を崇拝するね。」

アイザック・アシモフ(Isaac Asimov)


■「きちんと読めば、聖書には無神論のための思いつく限りの最も強い根拠がある。」

ホセ・ベルガミン(Jose Bergamin)


■「疑いの余地のない信仰とは、信仰ではなく迷信と呼ぶ。」

アーサー・C・クラーク(Arthur C. Clarke)


■「人類の一番の悲劇は、道徳が宗教にハイジャックされたことだ。」

全10ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10]

[ 次のページ ]


.
taku201zoo
taku201zoo
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
友だち(40)
  • レッド・インパルス
  • YARRA BAY
  • ongakuzukiobasan
  • wol*201*oo
  • hiro70927
  • evilcutter
友だち一覧
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

標準グループ

音楽関連

ドラム・打楽器

素材・イラスト

小説・エッセイ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!
話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事