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一週間後、病院の一室。黒木美由紀と黒木祐樹は同じ病室でベッドを並べていた。祐樹の骨折は、幸いにも神経や血管を傷つけることのない「単純骨折」だった。美由紀もまた、全身に無数の打撲と切り傷があり、頭部にも傷があったために精密検査が行われた。 「検査の結果、頭部にも異常はないようです。まあ、ゆっくり休んでください。」 担当医師の言葉だった。 マスコミは、この「奇跡の救出劇」を連日のように報道し、美由紀も祐樹もちょっとした「有名人」になってしまったようだ。 「奇策!巨大ドームを生み出した「発想の転換」とは!」 「ウレタン作戦は、実の父親によって編み出された!」 「まだまだ誇れる!日本の技術力の底力!」 また、同時に「欠陥建築」「違法建築」の疑いで逮捕された「大鳴俊也・専務取締役」についても大々的に報道されていた。 「風で倒壊する鉄筋コンクリート店舗!」 「マルタカチェーン・関東全店が違法建築と判明!」 「大鳴建設に東京地検の強制捜査!」 「マルタカグループ全店に業務停止命令!」 大鳴俊也。他でもない、黒木美由紀のかつての配偶者であった。自分を「支配者」として位置づけ、財力こそがすべてなのだと語った男が今、犯罪者として、薄暗い拘置所の中で「必ず有罪になる裁判」を待っているのだった。 この事件がなければ、近い将来、どこかの「スーパー・マルタカ」で同様の倒壊が必ず起きたに違いない。その時、仮に店舗が営業中であったなら、今回のように「死者0」というわけにはいかないであろう。 思えば不思議な巡り合わせなのかも知れない。かつて、祐樹をノイローゼの追い込んだ男が、再び彼を「命の危険」に晒した。 (でも・・・私は負けないわよ・・・!) 美由紀は、となりのベッドで寝息を立てている息子の顔を見つめた。よく頑張ったと思う。力いっぱい抱きしめてあげたい。 (足が治って、元気になったら二人で公園を散歩しようね。祐樹。) そうだ・・公園で、カマキリの卵を探しましょう! 「いえいえ、これ、正確には(卵鞘)と言います。まあ、卵の入れ物だと思ってください。この中に数百個の小さな卵が入ってるんですよ。これはね、奥さん、カマキリの体内から(泡)の状態で出てくるんです。空気に触れるとゆっくりと固まってゆく。泡がこうして固まると、スポンジ状になります。つまり外気の変化や衝撃を吸収するんですよ。」 「これも皆、子を思う親の愛情ですぅ。こうして、卵鞘で包んでやることによって、子供たちは安心してこの中で育つことができるんですぅ。カマキリにも愛情がある。人間と同じ、生き物ですからねえ。」 ねえ・・ムッシュさん。ムッシュ坂田さん。 私、カマキリと同じ方法で、息子を守ったのよ。 私、息子を愛してるから・・守ったのよ。 私が息子を愛しているなら、カマキリも子供たちを愛しているわよね・・。 つまり・・カマキリが子供を愛するように、私は子供を愛したのね・・。 ムッシュ坂田さん・・・貴方の勝ちだね。 虫だろうと・お魚さんだろうと・・・ 誰かが、誰かを愛しているから・・・ 誰かが、誰かに愛されているから・・ 「命」は今日も・・生きているのね・・・ 「ふえ〜くしょん!!」 ムッシュ坂田は、下町の狭い路地で、突然くしゃみをした。 「あかんなあ・・どっかで悪い噂、されとるんかなあ・・。」 (ピンポーン・・ピンポーン) 「は〜い・・どなた〜!」 「私ですぅ〜!」 「私じゃあ、わからないでしょー!ボケ!」 「えっと・・昆虫愛護協会から来ました〜坂田ですぅ。ムッシュ坂田と呼んでくれなはれー!」 「そのムッシュが、何の用なの?」 「へえへえ、実は昆虫愛護のための寄付金のお願いに伺いましたぁ〜!」 「とっととけーれ!ボケなす!」 あかんなあ・・・寄付金、ちっとも集まらんわ。 「ムッシュ坂田」っちゅー偽名がよくないんかなあ・・? しかし本名の「神様」なんて言っても、誰も信じてくれんしな〜・・。 さっさと寄付金、集めにゃあ・・・まあ、大神様に怒られてしまうがな・・。 「ムッシュ坂田」は日の暮れかかった薄暗い下町の路地を、早歩きで歩き始めた。 前方に小さな小石が転がっていた。 それに躓いて、坂田は転んだ。 |
アホの坂田が転んでる
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ドームの頂上付近から、細いチューブが数本、上方に向かって伸びている。ドームのほぼ真上で固定されているはしご車のゴンドラには、内部の二人に空気を送る「生命維持装置」が積み込まれ、チューブはその装置に繋がっていた。ゴンドラには医師が乗り込み、二人の健康状態を絶えずチェックしている。 「危険な状態です。呼吸回数が少ない・・・。」 医師は、モニターを見ながら険しい表情をした。 「急いでください・・!」 隊員達は電動カッターでウレタンを切り刻みながら、内部へと侵入する。鉄骨や軽鉄に阻まれると、チェーン・ソーを使ってそれを切断した。 「気をつけろ・・チューブを傷つけるなよ!」 「了解・・・!」 頂上部には直径2mほどの「穴」が開けられつつあった。ほぼ垂直の「トンネル」である。それが目標への最短距離であった。 「レッドシート・・確認しました・・!」 トンネル内部に潜っていた隊員の一人が、美由紀と祐樹を包み込んでいるシートの一部を目視で確認した。 「了解・・慎重に接近せよ!」 「了解!」 鉄骨、コンクリートパネルを切断しながら、ゆっくりと、極めてゆっくりと、隊員は二人に接近する。 「ポイントに到着しました!」 隊員の両足が、二人と同じ「床面」に立っていた。隊員はシートにへばり付くウレタンウォームを削り取り、ゆっくりとチャックを開いた。 「あ・・今・・今救出された模様です。穴の中から子供がロープで・・ロープで引き上げられてます!」 「きゅ・・救出されました!・・女性が・・黒木美由紀さんが・・引き上げらています!!」 「ご覧になれますか!たった今、二人が救出されました!時間は・・午後2時10分!救出です!成功です!」 現場を遠巻きに取り囲んでいるレポーターたちは、口々にマイクに向かって叫んでいた。 対策本部のテントの中でモニターを睨みつけていた沢木は、テーブルの上のインカムを掴みあげる。 「沢木だ。状況を報告しろ!二人の健康状態は!」 沢木は、インカムに向かって叫んだ。たのむ・・生きていてくれ!! 「呼吸・・正常・・意識・・正常・・元気です!本部長!」 対策本部の中に歓声が沸きあがった。 「や・・やった!せ・・成功だ!」 「生きてる・・生きてるぜー!」 誰かが・・見知らぬ他人の誰かが・・ただ生きているというだけなのに・・ それなら、昨日の・どこかの・誰かも・・ただ生きているだけなはずなのに・・・ ただ・生きている人間を・皆が・毎日のように見ているはずなのに・・・ 対策本部のスタッフは全員・・「誰かが・ただ生きていること」を、涙を流しながら喜んでいた。 「沢木さん・・・。」 自分の名前を呼ばれ沢木が振り返ると、そこには黒木隆造の姿があった。 「黒木さん・・娘さんも、お孫さんも元気です。貴方の見事な・・」 そう沢木が言いかけた時、黒木はその場に膝を落とし、両手を地面につけた。 「沢木さん・・貴方には謝罪の言葉もない・・貴方の立場を無視して・・本当に・・私は・・」 「黒木さん。立ってください。貴方はそんなところに膝をついてはいけない人間です。」 黒木は立ち上がらずに、沢木を見上げた。 「貴方は、あの素晴らしいスタッフたちを育てた、いわば彼らの父親じゃないですか。立ってください。 立って、胸を張って、彼らを褒めてあげてください!」 沢木の差し出した右手に、黒木の右手が重なっていた。
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軽井沢。高級別荘が立ち並ぶ山道を、3台の黒いセダンが走り抜けてゆく。車はとある別荘の前で停車すると、中から出てきた数人の男たちが、素早くトランクを開き、いくつもの段ボール箱を別荘の中へと搬入し始めた。その中の一人だけは、車に寄り添ったまま、作業に手を貸そうとしない。どうやら彼が、この一団のリーダーらしかった。 「おい、急げ。時間がないぞ。」 この作業が終わったら、彼はしばらくの間、海外で暮らすことにしている。スイスにもフランスにも彼の所有する土地と建物がある。どこへ行っても生活に困ることはないのだ。 「大鳴俊也」・・・大手建設会社「大鳴建設」の社長の息子であった。幼い頃から経営学を学び、大学を出た直後に大鳴建設の「跡取り」として、いくつかのプロジェクトのリーダーを任される身分であった。 「スーパー・マルタカ」を経営する「(株)マルタカ」は、20年前の第一号店の出店の時から大鳴建設の「お得意さん」として、全国の店舗の設計、施工をすべて大鳴に一任しているような関係であった。マルタカの二代目社長「高野浩二」と大鳴俊也は、年が近いということもあり、「取引先同士」という関係を超えた付き合いがある。二人はともに、自分たちを「将来を有望される経済人」として位置づけていたし、また、同世代が共有できる価値観の多くを共有していたのだ。 「スーパー・マルタカ」が関東に進出することとなり、その出店計画が持ち上がったことをきっかけに、大鳴俊也は専務に昇格し、マルタカチェーンの出店のすべてに権限を持つ立場となった。 「手抜き工事」は、その「関東一号店」に始まり、現存する「関東支店」のすべてに「適用」された。マルタカの二代目社長の高野浩二は、大鳴俊也が遠まわしに持ちかけた「小遣い稼ぎ」のアイデアに飛びついたのだ。 店舗設計の段階で、必要以上に高価な資材・建材をリストアップし、実際の建設にはその半分以下の安価な材料を使用する。こうして発生した「差額」を二人で山分けするという単純な手口であったが、毎年のように出店するマルタカの「上向き経営」の流れに乗って、二人は出店を重ねる度に数千万という不正利益を捻出し。それを「隠匿・私物化」してきたのだった。 ダンボール箱には、その「不正帳簿」の記録書類が詰まっている。建設会社といっても、実際に建物を建てるのは「下請け会社」である。大鳴俊也と高野浩二は、すでに「倒壊事故」の責任を下請けに擦り付ける青写真を完成させていた。ここにある記録さえ見つからなければ、彼ら二人を法廷に立たせることは決してできないのだ。 「終わったか・・よし、行くぞ。」 部下たちは、それぞれの車に乗り込みエンジンをかけた。大鳴俊也も、その内の一台のセダンの助手席側のドアに手をかけた。 その時・・・。 「こんにちは・・ずいぶん賑やかですねえ?」 皺だらけのスーツに身を包んだ中年の男が、俊也に声をかけてきた。 「どなたですか?」 男は俊也の質問には応えずに、別荘に視線を向けた。 「さっきあなた方が運び込んだダンボール箱・・あれに興味がありましてね・・・。」 俊也は眉を寄せる。いやな予感がした。 「あ・・貴方には関係のない事です。そこをどいてください。私は急いでいるんだ。」 「ほう・・急いで・・海外旅行でもなさるおつもりですかねえ?」 俊也は、その言葉を無視して車のドアを開いた。 「もう失礼させてもらう。どいてください。」 男は、胸のポケットから手帳を取り出し、それを黙って俊也に見せた。 「まあ、ちょっとだけお付き合いくださいよ。大鳴さん。」 「・・・!!」 「どうせ、東京へ帰るのでしょう?東京へは私どもの車にご搭乗くださいな。」 狭い山道の前後から、赤色等を回しながらパトカーが数台、近づいてきた。 「私は○○県警察本部の岡野という者です。逮捕状はありません。任意同行です。しかし、この別荘の捜査令状は持っています。これからダンボールの中身を改めさせてもらいますよ。大鳴俊也専務。」 俊也は全身から力が抜け落ちるのを感じていた。
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午前11時00分。マスコミ各社の飛ばす取材用ヘリコプターからの映像に、日本中の視線が釘付けとなっていた。昨日まで「瓦礫の山」だった倒壊現場一帯が、今では「真っ白なドーム」に、その姿を変えていたのだ。上空から見る景観は、まるで「中華まん」のような半球体であり、その白い表面は濡れているように太陽の光を反射させ、キラキラと輝いている。 新宿。靖国通り沿いの「アルタ」のモニターの前では、通行人の誰もが立ち止まって、その異様な光景に見入っていた。 「なんだ・・あれ?」 「何でも、ウレタンらしいぜ・・。」 「倒壊現場をウレタンで固める作戦だって、さっきテレビで言ってたよお。」 ヘリに設置されている防振カメラが、「ドーム」に表面にズームインする。遠くから見ると滑らかな表面には小さな気泡が見える。 「洗剤で泡立てたみたいだなあ・・・。」 「あの中に人がいるんだろー!信じられない!」 「固まっちゃったら出てこれないじゃないよ・・・。」 「黒木発砲スチロール」のエンジニア達は、ドームの四方に散らばって各所の温度を測定していた。 社長、黒木隆造ははしご車のゴンドラに乗りドームの真上から、その白い表面を睨んでいる。 「凝結が始まってます。現在、70%・・。」 「了解!そのまま計測を続けてくれ。」 全員がトランシーバーを使いながら、慎重にドームの状態をモニターしていた。 幸い、風がわずかに吹き、気温も高いという、凝結反応にはもってこいの好条件である。 「現在80%・・・」 「泡」は次第に固まり、最終的には時速100Kmで投げつけられた野球のボールも跳ね返さずに受け止めるほどの弾力性を持つ「衝撃吸収ウレタン」となるはずである。倒壊現場の内部でバラバラに存在する「瓦礫」は、このウレタンによって「一つの塊」となるのだ。 「表面温度・・62度・・内部推定温度・・83度・・」 固体化する際に発する熱。これだけは避けようがない。冷却シートの効果に期待するほかはなかった。 「凝結率・・92%・・・95%・・・・98%・・・」 「レスキュー隊!出動準備!」 「装備を確認しろー!」 隊長の声が辺りに響いた。数十名の「ハイパーレスキュー」たちが、各自の装備品を身につけて整列する。 「知っての通り、我々の目的は、あの中に閉じ込められている親子を救出することにある。二人は現在、発砲ウレタンの塊の中で、完全に身動きができない状態だ。」 隊長は、現状を端的に確認する。 「よって、我々はまず、二人の正確な位置を把握。最短距離に救出ルートを確保し、作戦を完遂する。以上!質問は!」 誰もが黙ったままだ。もう、自分たちのやるべきことは全員が把握していた。 「凝結率・・・100%!完全固体化!」 エンジニアの、やや興奮した声が鳴り響いた。 「よし・・全員、出動!!」
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時間の感覚がなかった。瓦礫の隙間から差し込んでくる光が、太陽光のようだったので、私は「朝」の訪れを知った。全身、汗と埃に塗れている。薄明かりに浮かぶ祐樹の顔も真っ黒だった。 「祐樹・・痛い?」 「うん・・。」 痛くないはずがない。私にも骨折の経験がある。 あの痛みは「我慢」という言葉を完全に否定するものだ。 「もうすぐ、ここから出られるからね。もうちょっとよ。」 私の言葉に、祐樹は軽く頷くだけだった。体力が消耗している。真夏に、こんな狭い空間に閉じ込められているのだ。汗がとめどなく溢れ出てくる。祐樹のTシャツもびっしょりと汗で濡れていた。 その時、携帯が鳴った。 「美由紀・・私だ。」 父の声だった。 「お・・お父さん・・。」 「これから作戦を開始する。説明するから、よく聞いて欲しい。」 「はい・・わかりました・・。」 「責任問題に発展しますぞ。」 市の職員は、沢木を睨み付けてそう言った。 「救出作業を民間の手に任せるなんて、非常識の極みですな!」 沢木は黙って聞いているだけだった。 「大体、失敗したら誰が責任を取るのですか?貴方、自分の職務責任を放棄しているだけじゃないですか!」 「こんなことが公になったら、私たちまで、世間から攻められるんですよ・・まったく・・いい迷惑だ。」 「聞いてるんですか!沢木本部長!」 沢木はようやく、職員の方を見た。 「お話はそれだけですか?終わったなら、ここから出て行ってください。」 「な・・なんだと・・・!!」 「ここには無能な人間は不要です。また、馬鹿を相手にしている時間は1分たりともないのです。おわかりですね?」 職員の顔面が青ざめている。 「き・・君・・今の言葉を覚えておくよ。いいかね・・私は今度の市長選挙に立候補する。当選した暁には、君を現職から引きずり降ろしてやるからな!」 「ふあ〜あ〜・・・」 レスキュー隊員の一人が大げさに欠伸をして見せる。 「なあ・・聞いたか?このおっさん、自分が当選するつもりらしいぜ。」 その場の全員が笑い出した。 「みんしゅしゅぎ・・って言葉を知らないらしいな。」 「おっさん、選挙演説の練習なら、自分の家のトイレでやったらどーだい?」 「人に聞こえると恥ずかしい内容らしいからなー!」 全員の嘲笑を背中で聞きながら、職員は対策本部を出て行った。 瓦礫の隙間を縫って、「冷却シート」と呼ばれる備品がロープで下ろされてきた。父からの電話で、救出計画の内容は聞いていた。不安がないわけではない。しかしこれしか方法がないのだ。 降ろされてきたシートは「寝袋」のような形状をしていた。私は痛がる祐樹を励ましながら、二人でなんとか、その中に入り込みファスナーを引き上げる。シートはナイロンの多重構造になっている。ファスナーを引き上げて、内部のコックを捻ると生地と生地の隙間に冷却剤が充填される仕組みだった。その外側には「空気層」があり、ここに空気が充満し、外部からの圧力を軽減してくれるのだ。 シートにはいくつかのチューブがついている。その一つが「空気チューブ」だった。この空間全体がウレタンで埋め尽くされるのだ。当然、呼吸ができなくなる。そのために寝袋の内部には酸素マスクのような形のマスクが備えてあり、私たちはそれで口と鼻を覆い塞いで呼吸を確保した。 暗闇が怖いのだろう。祐樹は黙ったまま、私にしがみ付いている。私は祐樹の髪を撫でながら気持ちを落ち着かせた。あと数分で、ウレタンの注入が始まるはずだ。 帰ろうね・・祐樹。
お家に帰ろうね・・ 二人で・・ね・・祐樹・・。 |




