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教師の保険・・・

保護者などから起こされる訴訟に備え、保険に加入する教師が増えている。大手損害保険会社の大半が教師専用の保険を扱っているほか、公務員全般を対象にした保険を利用する教師も多い。東京都の公立学校では今年、保険に加入する教職員が3分の1を超えた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070724-00000007-yom-soci

 とんでもない時代になったものである。気分が悪くなるような記事。分かってはいるものの、何とも馬鹿げた状況でありながら深刻な状況でもある。いい加減、かかる状況に至ったことを省みる時であろう。この状況を前にして何も感じなければ、この国の教育に未来はないと言える。言うまでもなく、教育には一定の力が必要であり、踏み込む力を無くしたところに教育は成立しない。今回の事案に見られる「守りに入るスタンス」では教育が成立する筈がないのである。
 この状況が、過度な人権尊重・個性尊重のもたらした弊害であることは言うまでもない。教わる者としての礼儀や義務を忘れ、権利意識ばかりが増長した現代人を前に、果たして教育は立ちはだかれるのか。事なかれ主義的に守りに入らざるを得ない現状では無理だと言わざるを得ない。これは奇麗事に汚染された時代の病であり、現代の社会病理である。
 
 かかる現状を前に、やはり我々は一つのことを認識せねばならない。強大な「一なる規範」を作り上げることである。何も過激なことを言うつもりはないが、「国家道徳」とでも言うべきものの確立が必要であろう。拠り所をなくした日本人には必要なことである。そしてそこに依拠した強力な一太刀こそが真に希求されるべきものであろう。 
「中学に入学すると、勉強好きの子供が半減する」――。子供の学習意欲が中学入学後、大幅に低下する実態が宇都宮市教委がまとめた意識調査で明らかになった。中学進学後は、理数系科目を大切と思う生徒数も急減しており、小・中間の学習意識の差が浮き彫りとなった。同市教委は昨年12月、合併前の旧宇都宮市の全市立小・中84校、児童生徒約3万6000人に「学習と生活についてのアンケート」を実施。その結果によると、「勉強が好きか」の質問に小6の65・4%が「はい」「まあ思う」と肯定的に回答した。しかし中1では32・2%とほぼ半減した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070524-00000105-mailo-l09


 この問題は特に栃木だけの問題でなく全国的に言えることだろう。ただ、小生は別の視点からこの問題を捉える。
 確かに中学生になって勉強好きの子どもが減少するのは望ましいことではないかも知れない。しかし、中学校レベルで勉強好きの子どもを期待するのもどうかと思う。中学・高校まではひたすらに耐える時期。勉強でも基礎が徹底的に叩き込まれる時期ではなかろうか。そのような時期に「勉強を好きになる」子どもの存在を前提にした考え方こそ小生には問題だと思える。この記事或いは課題は、有無を言わさずに叩き込むという強い姿勢を持てなくなった大人或いは社会の責任回避の言葉とも感じる。
 高校までは、たとえ勉強が嫌いになっても徹底的に基礎を叩き込む教育、更に言えばそれに耐えうる人材の育成期間である。かかる時期を経るからこそ、本当に勉強することの楽しさを感じることの出来る「大学」が待っているのである。
 大学のレジャーランド化が本格的に進行している今、このような視点からも考えてみるべきではなかろうか。
中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)の山崎正和会長は26日、東京都千代田区の日本記者クラブで講演と記者会見を行い、個人的な見解と強調した上で、小中学校での道徳教育と歴史教育は不必要との考えを示した。さらに、政府の教育再生会議が論議している道徳の教科への格上げにも否定的な見解を述べた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070426-00000137-mai-pol

 道徳教育と歴史教育が不要とは・・・。「柔らかい個人主義」で知られる山崎正和氏は、中教審会長である前に演劇や社会評論の分野での第一人者であるが、その発言については個人的見解であっても一定の影響力を持つだろう。
 何故不要なのかはよく分からないが、今の日本から道徳教育と歴史教育を払拭すればどういうことになるのだろう。価値観の多様化や歪な個性尊重主義が一層推し進められるだけではないのだろうか。国家的アイデンティティは拡散し、ご都合主義的な民族に成り下がるのではないのか。
 山崎氏の考える「個人主義」的視点からの発言であったとしても、義務感を忘れ権利意識だけが強くなった今の日本に「個人主義」は成立し得るのだろうか。いずれにせよ、この不要論に対しては首をかしげざるをえない。 
全国すべての小学6年生と中学3年生を対象に文部科学省が4月24日に実施する全国学力テストで、民間企業が関与し生活や学習状況についての調査が行われるのはプライバシー権などを侵害し違憲として、京都市と京都府京田辺市の小中学生9人が16日、京都市などを相手に、9人に対するテストの差し止めを求める仮処分を京都地裁に申し立てた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070416-00000148-jij-soci

 ここまできたかという感じ。起こるべくして起こったと言えないこともないが、まさに今の教育現状を端的に表している。法的見解はともかく、ここにあるのは過度な人権尊重・個性尊重が招いた歪な事態に他ならない。特には、申し立てた小中学生の「親」の歪さが目に浮かぶ。自分達の子どもの権利擁護のつもりか、自分たちの主義主張の押し付けなのか。どちらにせよ、ここからは「権利」意識ばかり強い人間が生み出され、教育崩壊の主要因となるだけである。
 先ずは「義務」遂行型の躾を考え、耐えることを教えていかねばならない筈なのに、これでは日本の未来を根底から崩していることと同じである。
学校運営について外部からの意見を聞く「学校評議員制度」が、公立学校の82・3%に設置されていることが28日、文部科学省の調査で分かった。平成17年度より3・9ポイント増で80%を超えたのは初めて。「外部の目」が学校の指導に好影響を与えていると評価されている。(産経新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070329-00000025-san-soci

 肯定的に捉えるなら、学校支援体制の充実。否定的に捉えるなら、教育が所謂<学校組織>だけで成立し得なくなったということであろう。
 地域連携をはじめとする安全管理や教育的コミュニティの形成という面では否定されることもなかろうが、学校教育のあり方についてとなるとどうであろうか。所謂カンパニースクールが乱立して久しい現在、新しい感覚による教育が受け入れられる素地はある。価値観多様化の時代、当然と言えば当然だろう。ただそれがどのような状況をもたらしてきたのか。価値観や個性の多様化を助長し過ぎたあまり、「何でもあり」の状況を作ってしまったのではないのか。今の時代、小生は常にこの一点だけに立脚すべきであると考えている。
 確かに時代的進化に逆行する否定的な見方であるかも知れないが、今は「外部の目」をはじめとする多様化の道ではなく、逆に収斂化の方向をとるべきだと考える。戦後60年の実験期間は終わったと捉えるべきだ。これ以上実験を続けると、今の混沌とした状況が言わば遺伝的に後世に伝わり、結果的に払拭出来ないことになるのではなかろうか。
 学校が「外部の意見」に耳を貸すことが大切であることは言うまでもない。しかしながら、それ以上にそれら多岐にわたる意見を一蹴するだけの教育に対する信念を持つことを考えねばならない。それは同時に、必要とされる教師像をも明確にするだろう。このことこそ、今、真に学校に求められていることだと考える。

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