|
明治33年(1900年)に中川小十郎が設立した京都法政学校を起源として、現在では全国有数の規模を誇る立命館大学。元々は上京区にあったものが、現在では衣笠や琵琶湖にまでキャンパスを移転、拡大しています。立命館の名は、明治2年(1869年)に西園寺公望が京都御苑の邸内に開いた私塾立命館を起源としており、西園寺一族は寄付等の面でも立命館と関わりが深い様です。様々な方式の入試制度を逸早く導入した事もあって、現在では受験者数が早稲田大学を凌いで全国一位に伸し上がり、名実共に成長を続ける名門校です。
数多くの学生の中からは、各界に著名人も多数輩出しており、最近では企業連携や海外進出も目覚しい、正にベンチャー大学とも言うべき先進的な大学ですが、その歴史を紐解いてみると、政治的な事件への積極的な関係も多く、日本の学生運動や政治思想を支えた一つの歴史的な意義も持っています。尤も、最近ではその風潮も合理的な経営陣によって急激に薄れてしまい、経営的な大学としての側面の方が際立って見えるのが現状です。
さて、その立命館大学が金閣に程近い衣笠の地に全面移転したのは昭和56年(1981年)の事だそうですが、この衣笠の南には、古き寺院が林立しているのも特徴です。妙心寺や等持院を筆頭に、情緒的な庭園を有するこれらの寺院の庭園は、例によって京都の特徴的な「借景庭園」を抱えているものが少なくありません。殊に等持院は、金閣が衣笠山を借景した庭園である様に、庭の背景に衣笠山を借景する事を計算されて造られた見事な庭園を持っているのですが、この立命館大学衣笠キャンパスの設立によって、借景庭園の真の姿が永遠に見られなくなってしまったと住職が嘆かれているのを耳にしました。
立命館大学が悪意を持ってこの地を選んだ訳ではなく、又等持院にも法的に訴える術はなく、単純に、京都の「借景庭園」という一つの文化を法律や条例が守り切れなかった不甲斐無さが際立ちます。海外で街並や景観の保護が全面的に行われ、市民一人一人の常識として街全体の調和を保つ精神が育まれているのとは対照的に、日本の文化意識の低さは時に目に余る所があります。
勿論、借景庭園の本質が、空中権や日照権まで争われる現代社会に適応出来るものかは分かりませんが、京都人が、日本人が、一つの日本流の情緒として長い歴史を積み上げて来た庭園の主流形式すら、法的に汲めなかった事が残念でなりません。文化財や史跡に限らず、無形の景観が紛れも無い文化たり得る事を日本の法律は未だ認識し切れていないきらいがあります。もしも立命館大学の衣笠移転の折に、こうした景観に関する法律や条例が整備されていたならば、立命館も等持院も、現在の様なしこりを残さずに済んだに違いありません。
|
この記事に関しては、偏に立命館大学に非があるとは言い難いので掲載するか否か迷いましたが、京都にある一つの問題点として書く意義はあると思い載せました。ご意見もあるかと思いますが、客観的な目で読んで頂ければと思います。
2006/2/10(金) 午前 3:33
鹿児島の仙巌園の素晴らしい借景庭園を見てきたばかりなので、これは趣がないですね〜。過密都市の性でしょうかね!
2006/2/10(金) 午前 7:57
今の日本では、これを規制するのは難しいでしょうね。それこそ、京都全体を文化特区にでもして保護しない限り。基本的に立命館は良かれと思ってやっていて、日本経済にも好影響を与える要素なので、利潤主義の日本では理解され難いところだと思います。
2006/2/11(土) 午前 4:04
立命館大学は、最近は、無茶苦茶ですよ。経営の事ばかり考え、金儲け主義で以前の立命館の良さは、全くなくなりました。
2006/2/12(日) 午前 5:28
立命館の経営主義は私もよく知っていますが、それが時代のニーズでもあり偏に悪いとも言いがたいと思ってはいます。何より、私の友人でもそうした立命館の姿勢に反骨して自分で意志を貫いている人は沢山居ますし、要は大学の「学風」以上に個人の意志が大切な時代になって来た様な気もしています。
2006/2/15(水) 午前 3:06