京都考

この4月から東京で働く事が決まりました.京都での生活もあと3ヶ月,海外旅行や学会遠征もあるので実質2カ月切ってます.

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 動乱の幕末を控えて、佐久間象山の象山書院は日本を開国へと向かわせる大きな動力源となりました。その門弟を見ると、吉田松陰を筆頭に、小林虎三郎、勝海舟、河井継之助、坂本龍馬、橋本左内、加藤弘之など。中でも吉田松陰と小林虎三郎は「象門の二虎」と呼ばれる秀才で、勝海舟や坂本龍馬も佐久間象山の影響を多大に受けています。又、勝海舟は妹の順子が佐久間象山の後妻になるなど、公私に渡って付き合いがありました。結局のところ、吉田松陰の松下村塾が生んだ後の長州の志士達の源流も、この辺りにあるとも言えます。

 さて、元治元年(1864年)に一橋慶喜の依頼を受けて、公武合体、開国論者として京都に入った佐久間象山ですが、池田屋事件や禁門の変が起こったこの年に、幕府の屋敷に匿われずに木屋町に身を置くなど、危険極まりない事で、しかも象山の寓居は長州藩邸の間近です。例によって、佐久間象山は禁門の変を目前に控えて、木屋町で暗殺されてしまいます。
 実行犯は、河上彦斎。京都三大人斬りの一人ですが、河上彦斎は後日、佐久間象山のそれまでの遍歴を知ると、その余りの重さを感じて、以来暗殺から手を引いてしまっています。長州系について暗殺に関わって来ていた河上彦斎にとって、吉田松陰や坂本龍馬の師である象山は偉大な存在だったかも知れません。

 ところで、佐久間象山の暗殺には後日談があって、象山の息子、三浦啓之助は、父の仇を取るべく、新選組に入隊しています。しかし、佐久間象山の息子として手厚く待遇を受けた事もあって、町人を斬殺したり島原で騒動を起こす等、目に余る所があり、土方歳三や沖田総司から目を付けられ、挙句、新選組を脱走しています。

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今日は日中、幕末史跡を回りがてら、紅葉の下見の下見に行って来ました。右京の方ではやや色付いていた場所もありました。さて、佐久間象山には別に思い入れも何も無い(寧ろ河上彦斎の方がある)のですが、次の吉田松陰の記事への布石として連続記事にしました。因みに、佐久間象山の墓は妙心寺にあります。

2006/10/15(日) 午後 3:33 卓

門弟のそうそうたる名前を見るだけでも、今の日本に大きな影響を与えた人だと分かりますね。何もないところから、奇抜な発想ができるなんてすごいです。

2006/10/17(火) 午前 7:59 [ - ]

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個人的に勝海舟が大好きなので、佐久間象山も必然的に色々なところで登場しています。

2006/10/17(火) 午前 10:32 卓

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