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京都を舞台にした時代小説などで、誰しも一度は目にした事のあるであろう島原の名前。
島原と言えば、西日本最大の花街として知られ、現在に至るまでその華やかさが語り継がれていますが、勘違いされ易いのは、島原が遊郭ではなく花街であるという点。一般に花街と遊郭は異なり、遊郭と呼ばれる場所は、遊郭の栄えた街が多く、近代でも赤線としてその名残を残したり、現代でも風俗街として残っていたりする場合が多いようですが、島原は京都由来の舞踊や曲などの芸を見せる文化的な花街であって、身売りの商売は行われていなかったようです。その為、今では花街としての栄華がすっかり錆付いてしまった代わりに、当時の建築や街並が残る貴重な地域となっています。
日本初の公認花街として栄華を漂わせた島原の起源は、室町時代にまで遡るそうです。豊臣秀吉によって二条柳町に移され、本格的に花街としての栄え始めると、江戸時代には六条三筋町を経て1640年(寛永17年)より現在の地へ移ります。この時期に、吉野太夫などの名妓を輩出しています。
尤も、それでも立地条件の悪さから、多くの客は祗園や上七軒に流れる事も多かったようですが、江戸時代の各時期とも、歴史に名立たる名士達がこの島原を愛し、幕末には新選組隊士や長州志士が通った名残も残されています。
明治以降も、花街としての名残を留め、明治6年(1873年)には歌舞練場も開設されますが、立地条件や時代の流れから花街としての色は衰え、昭和52年(1977年)にはお茶屋組合も解散し、普通の住宅街になりました。
当時の茶屋や門も少しずつ姿を消し、今では大門と角屋、輪違屋を中心とする数軒が残るのみとなっています。とは言え、繁華街から離れたこの場所は、跡地に大きな家や店が出来るわけでもなく、今尚、昔ながらの情緒を漂わせており、又、観光地としても知られていない為、当時の趣をじっくり楽しむ事が出来ます。
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「輪違屋糸里」の小説とドラマ。小説に軍配。
2007/9/16(日) 午後 6:19
輪違屋糸里、未だ読んでいないんです。ドラマは興味も無かったので見ませんでしたが、小説の方は本屋さんで見かける度に、買おうかどうか迷います。今年中に読みたいです。
2007/9/16(日) 午後 10:30
ここの角屋の建築は圧巻でした!花町建築の最高峰だと思います。
2007/9/21(金) 午後 8:34
角屋も輪違屋もまだ記事にしていないはずなので、そのうち……。写真のストックはあるのですが。
2007/9/27(木) 午後 1:59