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			<title>京都考</title>
			<description>　京都の歴史や文化、風景から流行までカテゴリ別に纏めてお届けします。追々は京都検定1級を目指します。歴史や背景には詳しく堅実に。専門は応用数学なので、歴史に疎い部分もありますが、下手の横好きで楽しんでいます。京都，幕末を趣味として，日本全都道府県制覇を達成した最近では．海外にも足を伸ばしています．

　埼玉育ちの京都人から観る京都の裏表と四季折々を、良きも悪きも垣間見られる場であれ。更新はマイペースですが、地道に積み重ねて訪問者の皆様と共に学んで行きたいと思います。

　ところで、当ブログを始めて感じた事として、各HPの情報が色々に交錯している事。公式サイトとパンフレットでも異なる場合然り。ここではそれ相応に調べた記事を掲載したいのですが、写真は沢山手元にあれど時には一つの記事に延々と苛まれる事も。

　さて、元々幕末が好きな私でしたが、『竜馬がゆく』との出逢いを契機にこの数年、殊に幕末に関心を寄せています。京都だけを見ても幕末の残り香は其処彼処に散らばっています。史跡でも、幕末は特別にカテゴリを分けて、力を入れています。

　50回単位で記念記事を書いています。今後も節目の記事は特別な趣向を凝らしたものにして行きたいと思っています。次は連載300回目です。

【記念記事】
連載50回：池田屋騒動跡碑（中京区）
連載100回：霊山護国神社坂本龍馬・中岡慎太郎墓（東山区）
連載150回：西芳寺黄金池（西京区）・西芳寺朝日ヶ島（西京区）・西芳寺湘南亭（西京区）
訪問10000人：大久保利通邸跡（上京区）・霊山護国神社桂小五郎墓（東山区）
連載200回：近江屋坂本龍馬・中岡慎太郎遭難地（中京区）
訪問20000人：霊山護国神社久坂玄瑞墓（東山区）
連載250回：桂小五郎幾松寓居跡（中京区）
訪問30000人：知恩院湯川秀樹墓（東山区）</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/takuya_o0917</link>
			<language>ja</language>
			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>京都考</title>
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			<description>　京都の歴史や文化、風景から流行までカテゴリ別に纏めてお届けします。追々は京都検定1級を目指します。歴史や背景には詳しく堅実に。専門は応用数学なので、歴史に疎い部分もありますが、下手の横好きで楽しんでいます。京都，幕末を趣味として，日本全都道府県制覇を達成した最近では．海外にも足を伸ばしています．

　埼玉育ちの京都人から観る京都の裏表と四季折々を、良きも悪きも垣間見られる場であれ。更新はマイペースですが、地道に積み重ねて訪問者の皆様と共に学んで行きたいと思います。

　ところで、当ブログを始めて感じた事として、各HPの情報が色々に交錯している事。公式サイトとパンフレットでも異なる場合然り。ここではそれ相応に調べた記事を掲載したいのですが、写真は沢山手元にあれど時には一つの記事に延々と苛まれる事も。

　さて、元々幕末が好きな私でしたが、『竜馬がゆく』との出逢いを契機にこの数年、殊に幕末に関心を寄せています。京都だけを見ても幕末の残り香は其処彼処に散らばっています。史跡でも、幕末は特別にカテゴリを分けて、力を入れています。

　50回単位で記念記事を書いています。今後も節目の記事は特別な趣向を凝らしたものにして行きたいと思っています。次は連載300回目です。

【記念記事】
連載50回：池田屋騒動跡碑（中京区）
連載100回：霊山護国神社坂本龍馬・中岡慎太郎墓（東山区）
連載150回：西芳寺黄金池（西京区）・西芳寺朝日ヶ島（西京区）・西芳寺湘南亭（西京区）
訪問10000人：大久保利通邸跡（上京区）・霊山護国神社桂小五郎墓（東山区）
連載200回：近江屋坂本龍馬・中岡慎太郎遭難地（中京区）
訪問20000人：霊山護国神社久坂玄瑞墓（東山区）
連載250回：桂小五郎幾松寓居跡（中京区）
訪問30000人：知恩院湯川秀樹墓（東山区）</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/takuya_o0917</link>
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		<item>
			<title>霊山護国神社元旦（東山区）</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-25-c2/takuya_o0917/folder/1142757/28/59154828/img_0?1262319319&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
　新年明けましておめでとうございます．気付けば2年ぶりの更新です．大学院に入学してから京都市内を散策する時間が減り，一方，3年前に日本の47都道府県制覇を達成したことで最近では海外に足を延ばすようになってしまったため，長らく放置していました．京都の史跡や季節を楽しんでいなかったわけではないのですが，写真を整理したり歴史を照合したりするのが億劫だったのも一因です．&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　そんな私ですが，今年の春をもって6年間お世話になった京都を離れ，東京で働くことが決まっています．故郷の関東ということもあり，友人達もむしろ関西より多いくらいで，新しい生活を今から楽しみにしています（その前に論文と学会の二大ノルマが待ち構えているのですが）．仕事はバリバリ数学を使う数理系の仕事ですが，だからこそメリハリをつけて東京ならではのカルチャーとオフを楽しみたいと思います．新生活が落ち着いて気が向いたら，東京でのオフを書きとめて行こうとも思います．&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
------------------------------&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　さて，話は本題にうつって，今年はどこにいっても大河ドラマの影響で“龍馬イヤー”．京都市内では昨年あたりから既に龍馬フィーバーが急激に高まっているのを感じます（池田屋の再建然り，龍馬祭など各種イベントの宣伝然り）．そんなわけで，今年の年明けは坂本龍馬の墓前でむかえて来ました．&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　博物館と同じで，ゲートを通らなければ入れない霊山護国神社の墓苑ですが，龍馬の命日や元旦など，年に数回だけ夜間公開される日があります．&lt;br /&gt;
　今年は龍馬イヤーということで大混雑を覚悟して出掛けて行ったのですが，何と参拝客は5人．しかも，私以外はカップル二組……！しかも「桂小五郎って何藩の人？」なんて言っていたくらいなので，龍馬イヤーの2010年を龍馬の墓前でむかえた幕末ファンは日本で私ただ一人といってもいいのでは！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　何とも閑静な年明けです．その代わり，近所の清水寺や八坂神社からはカウントダウンの掛け声とその後の歓声が響き渡り，どことなく京都らしいあたたかさが感じられもして良かったです．</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/takuya_o0917/59154828.html</link>
			<pubDate>Fri, 01 Jan 2010 13:15:19 +0900</pubDate>
			<category>京都府</category>
		</item>
		<item>
			<title>清水寺仁王門（東山区）</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-25-c2/takuya_o0917/folder/1443789/27/52242727/img_0?1204085687&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
　産寧坂方面から参拝客を清水寺の正門が仁王門です．応仁の乱後の15世紀に再建された檜皮葺き，入母屋造りと呼ばれる室町様式の楼門で，長い歴史を経て尚，丹塗りの鮮やかさを残しています．その高さは14mにも及び，両脇間には京都でも最大級の仁王像が安置されています．門下の狛犬は，双方が口を開けている珍しいものとしても知られています．&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　続々と訪れる観光客は，知られた清水の舞台を目指して足早にこの仁王門を通り過ぎてしまいますが，この仁王門も清水の歴史を担う一角である事を忘れてはなりません．実際，重要文化財にも指定されています．京都と奈良は，他の都道府県に比べて歴史的価値のある建築があまりに多過ぎるが故に，通常ならば重要文化財だけでも見所となり得る所がこうして容易に見過ごされてしまうのが口惜しい限りです．</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/takuya_o0917/52242727.html</link>
			<pubDate>Wed, 27 Feb 2008 13:14:47 +0900</pubDate>
			<category>京都府</category>
		</item>
		<item>
			<title>鹿苑寺金閣雪景（北区）</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-25-c2/takuya_o0917/folder/1142757/16/52154016/img_0?1203658649&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
　毎年秋口には暖冬暖冬と叫ばれ，地球温暖化の影響が懸念されて久しいですが，この冬は全国的に寒波に見舞われています．この数日で漸くその厳しい寒さが和らいでこそ来たものの，京都も寒波の例外ではなく，今月になって真っ白な朝を四度，五度迎えられました．とは言え，陽が登れば忽ち雪は解けてしまい，昼前にはすっかり日常の風景に立ち返ってしまうので，京都で雪景色を見る事は勿論，陽の当たった見事な雪景色を写真に収める事は至難の業と言えます．&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　上のような事情に加えて，個人的に金閣は京都の景色の中で上位には入らないので，京都に住んでいてもやや遠い金閣の雪景色を見た事がありませんでしたが，今年は複数回の積雪に恵まれた為，話の種にと思い立って衣笠まで足を伸ばしてみました．運良く居合わせた修学旅行生や，シャッターチャンスを狙ったカメラマン達で，交通の不便な雪の平日でも人足は絶えません．&lt;br /&gt;
　雪道を自転車で10km以上進むのは大変でしたが，金色と白色という組み合わせは思いの外見応えがあり，多忙の生活から開放された暫しの休暇に久々の京都らしさを味わう事が出来ました．</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/takuya_o0917/52154016.html</link>
			<pubDate>Fri, 22 Feb 2008 14:37:29 +0900</pubDate>
			<category>京都府</category>
		</item>
		<item>
			<title>禅林寺永観堂庭園（左京区）</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-25-c2/takuya_o0917/folder/1142750/06/50757306/img_0?1196083657&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
　昨年，東山に転居した事でぐっと身近になった永観堂．自宅から自転車で5分足らずの距離にある紅葉の名所です．この季節は雰囲気を愉しむべく，大学への通学路として毎朝，南禅寺と永観堂の通りを通っていますが，昼間，特に晴れた休日などは人混みでとても近付ける場所ではありません．加えて，この季節に限った高めの拝観料も足を遠ざける一因となっています．&lt;br /&gt;
　しかし，昨年は一番の見頃を夜間拝観で我慢していたものの，未だ人が少ない朝の時間帯には外から見える紅葉だけでも見応えがあるものですから，今年は見頃の昼下がり，永観堂を訪ねてみました．平日にも関わらず異常なまでの人の出入りは，観光バスやツアーによるもの．一日数万人が訪れると計算して，一人千円の拝観料は寺にとっても貴重な財源となっているに違いありません．&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　さて，永観堂の庭園は，放生池を囲む形で全域に渡り紅葉が生い茂っています．その特徴たるは他に例を見ない紅さ．そもそも関東出身の私が思うに，京都の紅葉の最大の特徴は，紅い紅葉の比率と，その圧倒的な紅さです．永観堂は，正にその京都の紅葉の魅力の縮図とでも言うべきかも知れません．&lt;br /&gt;
　ところで普段私が見慣れている朝の紅葉も見事ですが，東山の朝は太陽が山の影になってしまい，十分に紅葉の紅さが発揮されません．やはり，昼過ぎに丁度太陽が庭一面を照らし出した永観堂が，真の意味で京都指折りの紅葉の名所となるのです．&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　さて，ところで先にも申し上げましたように，自転車で大学へ向かう途中の，塀越しに見る紅葉だけでも十分に見応えがあります．そもそも，中に入ってしまっても気分が悪くなるくらいの人混みですから，ゆっくり紅葉を楽しめるかどうかは疑問です．かく言う私も，今年は見頃の永観堂の中に入り，平日だった事もあってそれはそれで見事な紅葉を楽しめたのですが，実は永観堂でのこの秋最高の一枚は，塀越しに見た風景．&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　塀越しには参道も見えず，自然，時間に関わらず人の居ない一面の紅葉を愉しむ事が出来ます．少し背の高い男性であれば，背伸びせずとも十分に眺められますし，どこからやって来たのか，今年は塀の足元に足場に丁度良い大石が置いてありました．永観堂を静かに楽しむなら朝が良いですが，紅葉の絶妙な彩を楽しむには混雑した昼間にならざるを得ません．高い拝観料も相まって，中に入るか否か迷ったときには，一度塀越しに庭の風景をご覧あれ．</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/takuya_o0917/50757306.html</link>
			<pubDate>Mon, 26 Nov 2007 22:27:37 +0900</pubDate>
			<category>京都府</category>
		</item>
		<item>
			<title>吉田神社鳥居（左京区）</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-25-c2/takuya_o0917/folder/1142594/50/50742250/img_0?1196002299&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
　大学からの帰り道，夕陽に照らされた紅葉の紅さに惹かれて，思わず立ち寄ってしまいました．万物を彩るのは太陽の光．最近では，京都に限らずライトアップによる人工的な光で夜間の紅葉を愉しむ機会も多いですが，比較的単一の色で染まる桜と違って，色とりどり，深いも淡いも様々な紅葉に関しては，やはり快晴の空の下に太陽の光で観るに限ります．&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　吉田神社は，左京区吉田山に広く社を抱える左京区の神社で，貞観元年（859年）に藤原山蔭が奈良の春日大社から神を勧請し，氏神として祀ったのが起源とされています．観光地としては知られていませんが，同じ吉田山には真如堂はじめ紅葉の見所も多く，その広大な敷地は地元の人々の生活の一部となっています．平安期には藤原氏の崇敬を受けるようになり，以来，応仁の乱で社を失うも，間もなく再興し，明治期まで神道界でも大きな権力を握っていたとの事です．&lt;br /&gt;
　『徒然草』の作者として名高い兼好法師の父も，この吉田神社の神職に就いていた一人です．&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　山の斜面に沿って，幾つもの社が立っており，平安京鎮護の神としての本宮はじめ，斉場所大元宮や若宮社，神龍社などなど，一つ一つの歴史を紐解いていくと非常に深みがありそうです．&lt;br /&gt;
　私自身もあまりに身近にあり過ぎてじっくりと散策する機会も少ないですが，真如堂や山頂の喫茶店を訪れる際に，或いは少し時間の空いた時などに気晴らしで散策をすると，深い木々に太陽の光は概ね遮断され，夏場は涼しい自然空間に心が鎮まっていくのを感じます．</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/takuya_o0917/50742250.html</link>
			<pubDate>Sun, 25 Nov 2007 23:51:39 +0900</pubDate>
			<category>京都府</category>
		</item>
		<item>
			<title>知恩院湯川秀樹墓（東山区）</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-25-c2/takuya_o0917/folder/1142594/54/50661354/img_0?1195549238&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
　忌々しき事に老若男女，テレビなどでは近年では湯川秀樹博士の名を知らない大人も多そうな気配ですが，少なくとも京都に生まれた人間にとって，或いは物理学を志す人間にとっては，大き過ぎる名前です．かく言う私も少なからず物理学と縁のある一人で，そもそも私が京都に惹き付けられた原動力の一つが湯川秀樹博士であった事は間違いありません．&lt;br /&gt;
　今尚，私が京都と言われて連想するのは，東山と，幕末と，そして物理学．湯川秀樹という名前は，ある意味で私にとって京都の代名詞でもあります．&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　さて，順調にいけば来年度から量子力学や統計力学の研究が中心になるであろう進路がこの夏に決まり，改めて湯川秀樹博士の功績を辿ってみると，その最後に，湯川氏の眠る場所が分かりました．何と，自宅から高々5分の距離にある知恩院の墓地にある事を今まで知らなかったとは，恥ずべき失態でした．坂本龍馬や桂小五郎が近場に眠っているだけでもとてつもない魅力を感じていたくらいですから，更なる衝撃でした．&lt;br /&gt;
　知恩院の，山に静かに広がる広大な墓地の奥，湯川家代々の墓地に，湯川秀樹博士は眠っています．知恩院の関係者でも知らない人がいるというほど，謙虚に眠っています．&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　湯川秀樹は，昭和24年（1949年）に日本人として始めてノーベル賞（物理学賞）を受賞した物理学者で，主な功績としては中間子理論が知られています．昭和10年（1935年）に代表論文「素粒子の相互作用について」の中で，原子核を束ねる要素として湯川秀樹が理論的に予言した中間子は，現代の素粒子物理学の基礎の一つとなっています．&lt;br /&gt;
　プリンストン高等研究所の客員教授も歴任するなど世界的に活躍が知られています．又，物理学者としてその名を馳せる傍ら，平和活動にも大きく尽力し，核兵器廃絶を訴えるラッセル＝アインシュタイン宣言の創設に署名した11人の学者の一人でもあります．&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ところで，実は個人的には素粒子物理学にはあまり接点がなく，現在では中学からの同期である朝永振一郎の方が身近な存在なのですが，この世界的物理学者の存在感は京都にあってもやはり朝永振一郎に比べて薄いように思われます．学術的な著書を多く残している訳ではなく，数々の逸話が残るほど社交的な人物でもなく，やはり印象としては，物理学の研究と，平和活動の二つに，黙々と専念していたという感じです．&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　その為，一般人の間では，どうしても時代の流れと共に日本における彼の存在感は薄れて行ってしまうのかも知れませんが，彼の熱心な研究功績が，今の現代科学を支える柱の一つになっているという事は，忘れてはいけません．況して，我々若き学生達にとっては，日々の好奇心と，探究心と，根気と，様々な部分で彼から学ぶ事が今尚多いように思われます．&lt;br /&gt;
　学術系の専門書はありませんが，彼の残してくれた幾つかの著書から，彼の直向きで温かい人間味がひしひしと伝わって来ます．漱石が読み継がれるのならば，湯川もまた日本の知識人の一人として読み継がれるべき一人なのだと思っています．</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/takuya_o0917/50661354.html</link>
			<pubDate>Tue, 20 Nov 2007 18:00:38 +0900</pubDate>
			<category>京都府</category>
		</item>
		<item>
			<title>天橋立飛龍観（宮津市）</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-25-c2/takuya_o0917/folder/1142750/83/49793183/img_0?1191136779&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
　松島、宮島と合わせて日本三景の一つに数えられている天橋立は、京都府宮津市の宮津湾に掛かる砂州で、逆さに見ると天に橋が架かっているように見えることからその名が付いています。単純に景勝地としてのみならず、砂州の海水浴場や釣り場としても知られ、夏場は北近畿随一の観光地として賑わいも見せます。又、天橋立を歩いて、湾を渡る事が出来、観光客のみならず地元住民の散歩や中高生のランニングのコースとしても親しまれています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　湾を囲む各山々から天橋立を一望する事が出来ますが、その眺望場所によって著しく印象が変わることから、主な眺望地からの景観にはそれぞれ名前が付いており、南側の天橋立ビューランドからの眺めは、龍が飛んでいるように見えるために「飛龍観」、北側の笠松公園からの眺めは「斜め一文字」、西側の大内峠からの眺めは「一字観」などと呼ばれ、更に東側からの眺めは雪舟がその風景を水墨画「天橋立図」に描いた事から「雪舟観」などとも呼ばれています。&lt;br /&gt;
　近年では、河川の灌漑工事などによって、川から海への土砂の流れのバランスが変わり、天橋立の侵食なども問題になっているそうですが、これらの現象に対処すべく、堆砂提を設けるなど全力で侵食を食い止める努力もあるようです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　同じ京都府でも、京都市からは自動車で2時間以上かかる日本海側にあり、天橋立が京都にあるという事実すらあまり浸透していないかも知れません。況して、高速自動車道が十分に整備されていない北近畿にあって、交通の便が悪く、観光に訪れる機会もなかなかありません。こうした背景から、近年では夏を除けば観光客も多くはないようですが、江戸時代から日本全国に知られた日本三景の一角は、その名に負けない迫力を感じさせます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　寺社や仏閣に代表される京都市の魅力とは異なり、ここも又好き嫌いが分かれるところとなりましょうが、時間が許すのなら、宮津にまで足を伸ばして日本の穏やかな風景に酔うのもまた趣でしょう。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/takuya_o0917/49793183.html</link>
			<pubDate>Sun, 30 Sep 2007 16:19:39 +0900</pubDate>
			<category>京都府</category>
		</item>
		<item>
			<title>貴船神社鳥居（左京区）</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-25-c2/takuya_o0917/folder/1142594/11/49593711/img_0?1190164581&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
　鞍馬の散策と言えば、由岐神社、鞍馬寺とあわせてこの貴船神社が欠かせません。由岐神社側から鞍馬山を超えて貴船に抜ける山道は、鞍馬を歩く定番でもあり、山を抜けてじわりと汗が滲んだところで、木々に日差しを遮られた涼しげな貴船道に出ると、ほっと一息つきたくなります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　貴船神社の起源については、詳細が分かっていませんが、社記に依れば約1500年の歴史を持つといわれ、白鳳6年（666年）に社殿を造り替えた記録が残されているほか、延暦15年（796年）の鞍馬寺創建の際にも史料にその名が登場しています。神武天皇の母、玉依姫が黄船に乗って川を上り、祠を建てたことに始まるとか、平安京遷都の際に賀茂川水源のこの地に水神として祀られたとか、諸説あるようです。&lt;br /&gt;
　貴船川の氾濫によって、天喜3年（1055年）にやや下流の現在地へ移転し、元の地には現在では奥社が残されています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　水神である高&amp;#40855;神が祀られており、古くから雨乞いのために信仰されて来ました。この際、晴天を願うときには白馬が、雨天を願うときには黒馬が奉納され、しばしばこれに代わって木の板に馬を描いても奉納した事から、絵馬の起源ともされ、絵馬発祥の地とも言われています。境内には、白馬と黒馬が向かい合った絵馬発祥の記念像も立てられています。&lt;br /&gt;
　又、観光客からは縁結びの神社として親しまれています。しかし、縁結びと表裏一体の縁切りの神社としても知られ、丑の刻参りなど気味の悪い噂も今尚根強く残っており、深夜の貴船には近付かないというのが地元では暗黙の了解となっています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　さて、ともあれ貴船川の起点近くの穏やかな場所に立つ貴船神社、貴船の川床が敷かれる夏の季節には、非常に涼しげで風流な情緒を漂わせます。鞍馬を経て貴船道に出たなら、川のせせらぎを聴きながら少しだけ上流に歩いて、貴船神社に足を伸ばさない手はありません。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/takuya_o0917/49593711.html</link>
			<pubDate>Wed, 19 Sep 2007 10:16:21 +0900</pubDate>
			<category>京都府</category>
		</item>
		<item>
			<title>島原大門（下京区）</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-25-c2/takuya_o0917/folder/1142750/44/49540744/img_0?1189926486&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
　京都を舞台にした時代小説などで、誰しも一度は目にした事のあるであろう島原の名前。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　島原と言えば、西日本最大の花街として知られ、現在に至るまでその華やかさが語り継がれていますが、勘違いされ易いのは、島原が遊郭ではなく花街であるという点。一般に花街と遊郭は異なり、遊郭と呼ばれる場所は、遊郭の栄えた街が多く、近代でも赤線としてその名残を残したり、現代でも風俗街として残っていたりする場合が多いようですが、島原は京都由来の舞踊や曲などの芸を見せる文化的な花街であって、身売りの商売は行われていなかったようです。その為、今では花街としての栄華がすっかり錆付いてしまった代わりに、当時の建築や街並が残る貴重な地域となっています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　日本初の公認花街として栄華を漂わせた島原の起源は、室町時代にまで遡るそうです。豊臣秀吉によって二条柳町に移され、本格的に花街としての栄え始めると、江戸時代には六条三筋町を経て1640年（寛永17年）より現在の地へ移ります。この時期に、吉野太夫などの名妓を輩出しています。&lt;br /&gt;
　尤も、それでも立地条件の悪さから、多くの客は祗園や上七軒に流れる事も多かったようですが、江戸時代の各時期とも、歴史に名立たる名士達がこの島原を愛し、幕末には新選組隊士や長州志士が通った名残も残されています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　明治以降も、花街としての名残を留め、明治6年（1873年）には歌舞練場も開設されますが、立地条件や時代の流れから花街としての色は衰え、昭和52年（1977年）にはお茶屋組合も解散し、普通の住宅街になりました。&lt;br /&gt;
　当時の茶屋や門も少しずつ姿を消し、今では大門と角屋、輪違屋を中心とする数軒が残るのみとなっています。とは言え、繁華街から離れたこの場所は、跡地に大きな家や店が出来るわけでもなく、今尚、昔ながらの情緒を漂わせており、又、観光地としても知られていない為、当時の趣をじっくり楽しむ事が出来ます。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/takuya_o0917/49540744.html</link>
			<pubDate>Sun, 16 Sep 2007 16:08:06 +0900</pubDate>
			<category>京都府</category>
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			<title>西寺跡（南区）</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-25-c2/takuya_o0917/folder/1142594/59/49499559/img_0?1189707058&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
　東寺は京都の顔として知られ、世界文化遺産として世界的にも価値の高い京都の一大寺院ですが、この東寺と対を為して、西寺が存在していた事は意外と知られていません。普通は、東と名の付くものがあれば、西も然りなのですが、今や地名や駅名、学校名などなど、無闇に東西南北が使われるものですから、東寺といわれて違和感を感じない方も多いのかも知れません。&lt;br /&gt;
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　平安京の都門であった羅城門を中心に、この羅城門を守護する寺院として、それぞれ東寺と西寺が置かれました。これらは延暦15年（796年）に桓武天皇の勅願によって建てられた官寺で、西寺も建立当時は東寺とほぼ同じ規模の伽藍を持つ大寺院だったと言われています。弘仁14年（823年）、嵯峨天皇の時代に官寺から真言密教の寺院として、空海に東寺が、守敏に西寺が下賜されたものの、守敏の地位衰退と共に西寺も廃れ、正暦元年（990年）には大部分が焼失、天福元年（1233年）にはその残りもやはり焼失して荒廃したとの事ですが、守敏については歴史的に詳細は分かっていないようです。&lt;br /&gt;
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　現在では、西寺の跡地には、金堂の礎石の一部を残して西寺公園と呼ばれる公園が作られています。公園は広く、石碑の立つ丘を中心に見通しも良く、近隣の児童公園として活躍しているようですが、東寺の栄華を見るに、平安京の遺構がこうもはっきりと明暗を分けているのには複雑な思いもあります。況して、今やJR京都駅を中心に古都の風景の多くを失ってしまった下京区や南区にあって、今尚、羅城門や西寺が残されていたならば、この地区の現状も全く違っていただろうにと悔やまれます。&lt;br /&gt;
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　一方、歴史的に拡大も縮小もせずに早いうちに荒廃し、その周辺も大きく開発されずに現在に至っている西寺の伽藍は、近年、研究対象として注目を集めてもいるようで、発掘調査などが盛んに行われてもいるようです。この貴重な以降から平安の世の残り香を少しでも辿って行けるのなら、歴史のロマンを感じずにはいられません。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/takuya_o0917/49499559.html</link>
			<pubDate>Fri, 14 Sep 2007 03:10:58 +0900</pubDate>
			<category>京都府</category>
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