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ACという考え方によれば、「一体自分は何をしたいんだろうか?」とか「一体自分は何なのだろうか?」という根本的な問いの答えは、ACの人自身の過去の記憶の中にあるとします。 現在の自分に信頼が置けないのであれば、過去の自分に信頼を置こうというわけです。 生まれながらにして“生き苦しい生き方の癖”を身につけている赤ちゃんはいないわけで、どこかの過去の時点においては、必ず信頼の置ける自分がいるはずである、と考えるわけです。 (この過去における信頼するに足る自分のことを AC関連の用語では比喩的に「インナーチャイルド(心の中の子供)」と呼びます。) そうして、もし、自分の生育した家庭が適度な愛情に溢れる健全な家庭であったとしたら、つまり、機能不全家庭ではなかったとしたら、「自分は何をしたい人になっただろうか?」とか「自分はどうなっていただろうか?」というふうに考えていきます。 もし、その答えについて心から納得できるものが見つかれば、それが「ほんとうにしたいこと」であり「ほんとうの自分」であるということになっていきます。 勿論、これは机上の空論です。 実際には、過去の心の傷は、何一つ塗り替えることはできません。 ですから、実際には、「子供時代の主に親子関係の中で心の傷」を受けた自分が、親子関係の中での心の傷をもう受けずに済むようになった現在において、何が自分の「ほんとうにしたいこと」であり、何が「ほんとうの自分」であるのかを探していくことになります。 ACの人は、適度な愛情に溢れる健全な家庭のイメージを、今、現在の、「もう新たな心の傷を受けなくて済むようになった安全な人間関係」の中から想像していくしかありません。 具体的には、ACの人を支える恋人や配偶者、友人や(会社などの)同僚、場合よっては、精神科医やカウンセラーといった専門家との人間関係の中で、またあるいは、AC関連の書籍や文献を読むことで、「健全な家庭」のイメージを想像していくしかないのです。 「健全な家庭」のイメージとは、もう少し精確にいうなら、「健全な対人関係」のイメージと言ってもいいかもしれません。 もう少し踏み込んで言うなら、「他者との良好な、破綻のない継続的な信頼関係」のイメージとも言えると思います。 曖昧に象徴的に言うならば、「愛」のイメージとも言えるかもしれません。 そうした想像を通して、「子供の頃、ほんとうはこうしたかったのに、(機能不全家庭であったために)できなかったこと」というものが、少しずつ明らかになっていきます。 「ほんとうはしたかったけど、できなかったこと」のカケラを地道に集めていくことで、「ほんとうの自分」を再構築していくわけです。 以上の過程を、AC関連の用語で「グリーフ・ワーク(嘆きの作業)」と言います。 グリーフ・ワークは、たいていの場合、親に対する激しい怒りを感じるところから始まります。 「怒り」という感情は、本来、二次的な感情なので、その背後には必ず(ほんとうはこうしたかったのに、できなかったという)「悲しみ」がひそんでいます。 その「悲しみ」を素直に受け止め、(仕方なかったんだと)「嘆く」ことによって、過去の辛かった出来事を本当の意味での過去のものにしていきます。 過去の記憶はあくまで過去の出来事であって、もはや現在の自分を脅かす脅威ではないということを少しずつ納得していくわけです。 ACの人はこのようなグリーフ・ワークを通じて、過去の心の傷によって歪められた記憶を正しく統合し、「ほんとうの自分」を再構築していけるのである、とAC関連の理論では考えているようです。 <注意> ですが、過去が明らかになってくればくるほど、自分の記憶の中に眠る大きな悲しみにのみ込まれしまい、冷静な判断ができなくなる可能性があります。 自分の過去の記憶の蓋は、日常生活に支障をきたさないよう、意味があって閉じられているわけですから、迂闊に開けてしまうことは、決してオススメできません。 よく読んで頂けるとご理解できると思いますが、グリーフ・ワークを開始するためには、実際に安全が確保され、かつ自分が安全であると心から納得できるという環境が必須条件となります。
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初めまして。 私は、ボーダーかもしれない妻との、毎日で、妻の事が支えきれなくなり離婚を決意した者です。このまま一緒にいたら精神的にも私自身、滅びかねない。と思ったので…。一方的な話スイマセン…。
2005/11/4(金) 午前 11:24 [ gen*ati*20* ]
げんぱちさん>このブログでも紹介している『境界性人格障害=BPD(ボーダーライン・パーソナリティー・ディスオーダー)―はれものにさわるような毎日をすごしている方々へ』という本。まだお読みでなかったら是非お勧めします。アメリカでの話ですが離婚調停のことについても詳しく書かれているので参考になると思います。
2005/11/4(金) 午後 3:02
わかりやすいです。そんな感じですね。そしてアドバイザーがいないと危険だ ということも思います。ものすごい心がむき出しになる感じだから。過去を思い出すことで記憶は統合されて、不必要な自己嫌悪が薄れていく。自分を形作ったものが後天的であると理解することでやっと罪悪感から逃れられる。。。先天的に人間失格だったのではないらしい、と思う。これが救いになる。。。
2006/5/12(金) 午後 2:23
みみりんさん> 「自分を形作ったものが後天的である」ということは、「ダメな自分を変えられないのは、自分のせいである」ということも意味します。この自己嫌悪をどう乗り越えるかが、AC論的なアプローチの要になるんだと思います。頑張って下さい。
2006/5/12(金) 午後 3:55
そうですね。漠然と、だめな自分はもともとだめでだからこそ親にすら愛されなく、しかもそれをいい年して変えることにも失敗続き。というものすごい絶望と暮らしている、という状態からは救いが見えてくる。理由があるからこうなった、であればどうしたら変わっていくのか、ここが正念場ですね。
2006/5/12(金) 午後 8:09
そうですね。まさに正念場なんだろうなあ。
2006/5/13(土) 午後 0:44
過去記事から失礼します。記事をあげたら参考記事として挙がっていたので、
転載させて頂きます。
2013/8/14(水) 午後 8:38 [ - ]