日記
1 、 2 章は、当時のユダに対する裁きのことばが綴られた。彼らは「さばきの神はどこにいるのか」と神に対する信仰を失い、目に見えぬ神の存在など、意に介せずにいた。しかし神は確かにおられるのである。「わたしは、わたしの使いを遣わす」( 1 節)という。具体的に、 2000 年前に遣わされたバプテスマのヨハネを指している。彼は、イエスのために道備えをした(マタイ 11:10 )。つまり、突然やってこられる「主」「契約の使者」は、イエスに他ならない。実際イエスは、突然神殿に現れ、その宮を聖められた(マタイ 21:1213 )。大事なことはイエスの来臨は、滅ぼすための裁きの日ではなく、精錬するための裁きの日である。つまりご自分の子らをきよめ、純粋にするための裁きの日である。彼は、祭司職をきよめ( 3 節)、罪人をおさばきになる( 5 節)
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