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嵐山は、都会の喧騒を離れて豊かな自然の中に身を置く、とはいえなかった。むしろ、ここまで回った中で一番人が多かった。ビルの変わりに山々と紅葉、桂川の雄大な流れが心を癒してくれた。
江ノ電のような京福線で嵐山から北野白梅町駅に向かう。雨でぬれたコートをハンカチで拭きながら、帷子の辻(かたびらのつじ)で乗り換える。この路線は、仁和寺、妙心寺、龍安寺など見所が多い。時間がたっぷりあったら、山内一豊と千代の墓所ともなってる妙心寺や枯山水の石庭なども見て見たいとも思ったがまっすぐ北野白梅町に。駅からほぼ10分ほどで北野天満宮に着いた。ここは大型バスは止まっていたが、比較的観光客はすくなかった。なぜか、しおらしくお賽銭をしてお祈りをしたりなんかした。学業の神様なのに家族の健康を願っている自分がおかしかった。一人旅でおセンチになったか? まあ正月以外におまいりするのもいいだろう。
しかし、北野天満宮の名前こそ知ってはいるが、いわれなど全く知らない。
京都御所→二条城→壬生寺・八木邸・前川邸→嵐山・天竜寺→北野天満宮→ 金閣へ向かう
当宮は菅原道真公をお祀りした神社の宗祀であり、国を鎮め守る神として平安時代中期多治比文子らによって北野の右近馬場に菅原道真公の御霊をお祀りしたのが始まりとされています。菅公は「和魂漢才」の精神を以って学問に勤しまれ、幼少の頃より文才を表し、朝廷の官吏として活躍されました。永延元年(987)一条天皇の令により初めて勅祭が執り行われ「北野天満宮天神」の神号を得ました。寛弘元年(1004)の一条天皇の行幸を初めてとし、代々皇室の御崇敬を受け、江戸時代には寺子屋の精神的中心として菅公の御分霊がお祀りされるなど、「天神様」として親しまれ、以来学問の神様としての信仰は現在に至るまで受け継がれています。
当宮の社殿は昔から、朝廷及び将軍家がその造営修繕に当たられました。国宝の指定を受ける現在の本殿は慶長十二年(1607)、豊臣秀頼公が造営されたもので、この時作られた中門、東門、絵馬堂、神楽殿、校倉等も現存しています。また、この社殿造営は、父秀吉公の遺志であったと伝えられます。古来、神社祭祀は庭上で行われて来ましたので、壮大な殿内で祭典を執行し得る当宮現社殿の出現は神社建築史上画期的なものであったと言えます。八棟造と称され、総面積約五百坪の雄大な桧皮葺屋根を戴くその威容は、造営当時そのままに絢爛豪華な桃山文化を今に伝えています。
(http://www.kitanotenmangu.or.jp/yuisho/index.htmlより勝手転載)
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ええなぁ、ええなぁ。行きたいなー。
2006/12/12(火) 午前 11:33
北野さんに、ちっちゃい牛が居るんですよ。TBさせて下さい(^-^)v
2006/12/12(火) 午後 0:53
天満宮の「牛」って、どのようないわれがあるのですか?
2006/12/12(火) 午後 6:07