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《第2回》 一文字谷修二(いちもんじだに・しゅうじ)は、その後口をつぐんだ。その頃の話を多くは語りたくないような素振りさえ見せた。話題は自然、小路林彰(こうじばやし・あきら)とのローカルな話題へ変わっていった。しかし、一文字谷修二の人となり、生きた時代を思い浮かべるには充分の内容だった。 修二は、大学がきまったその年のはじめは大阪にいた。西成地区で日雇いの労働者に混じり日々の糧をついばんでいたいう。東北の温泉街で育った修二が東京の大学に決まっていながら、なぜ大阪に行ったのか。平凡な一般的庶民のボクなどの頭には、何を考えてのことか何も理解できなかった。2週間ほどの期間というから、今でいう社会勉強だったのかも知れない。しかしその時代、30数年も前のこと、飯場に群がる人たちのざわめきは、想像駄にできない鮮烈な光景として、古びたセピア色の映画のように音声もBGMもなくただ砂嵐のようにうすぼやけた映像がよぎるばかりだ。 「どうしてそんなところに行ったのですか。行こうと思ったのですか。」 「もう忘れた」 それ以上はしゃべらないぞ、と遠くを見ながらもうつむき加減の眼が語っていた。 小路林彰(こうじばやし・あきら)とのローカルな話題も面白かった。修二と彰は今はたまたま近所に住んでいる。
「フローレンスというレコードのかかるお店があったっけねえ。おぼえてる彰さん」。 「橋を渡ったところに定食屋、よく行ったよねえ」。 修二より少し若年の彰には鶴川の古い記憶は心の奥にしまいこまれ、その扉には少しばかりさびがついたように重く開けにくいらしい。もしかすると、昭和という時代に置き忘れてきたのかもしれない。 「フローレンスかー、もうなくなってしまったね。といっても僕は1度か2度ほどしか行っていないけどね。」小路林彰はフローレンスには何度か行った記憶があるらしいのだが、レコードがかかっていたことまでは記憶になかった。 「フローレンス、なんですかそれ?レコードがかかるって、名曲喫茶みたいなものですか」ボクはレコードといえば、渋谷百軒店のライオンくらいしか思い浮かばなかった。それも少し前にたまたまテレビジョンで見たアーカイブに過ぎない。 「いや、バーだったなー。学生でなけなしのこずかいで、背伸びしたのかもな。でも1、2回だ」。 中国語の堪能な修二、英語に明るい彰のふたりは視線の先が少し違うようだった。しかし、同時代、古きよき時代、偶然にもふたりは全く同じエリアで学生というか果敢な青春期を過ごしていたのだった。30年を隔てて同じ事務所にいることなど、そのときは考える事もなかったろうし、ましてや、すれ違った記憶もないのであった。 |

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