とぼとぼ Tamagoro

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アオバト

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陽が射してきたのは、9時43分だった。



7月20日は海の日。海の日に因んで、今週は久々に海を見に行く。

梅雨が明けた筈なのにあいにくの曇り空は、時々思い出したように小雨を落としていた。

厚い鈍色の雲の隙間から、わずかに陽が射し、海面に光を放したのは、

この浜について、3時間以上もたった9時43分だった。


光の状態が良くないのか、アオバトの色合いが中間色ですっきり写真に出ないのか、

あまりいい撮影結果が得られなかった。

頻繁に飛び着ては集散するためにシャッターチャンスには事欠かない。

1500枚ほども撮っていながら、マジに見られる枚数は両手で充分くらいに過ぎない。

やはり、森に慣れすぎ安直な設定にばかり慣れ過ぎたせいなのか、スキルの向上が必須と感じた。

悲しいばかりだが、結果がついてこなければ仕方ない。

こういうときは泣くか、画像を少しでもよく見えるように手を入れるしかなさそうだ。


とはいえ、アオバトを見られたことは、とてもなにか幸せな気分にしてくれた。


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ひとしきり撮って、ボーッとしていると、地元のおっちゃんがやってきて、

「今日は少ないね」と横に座ってしみじみといった。

「普通の土日ともなれば、このアオバトを見に20人以上の人が来る。

関西や広島の方から来る人もいるんだ」という。

周囲を見渡せば、6時30分に来たときにいた6人は2人になり、

ボク達を含めても5人しかいなくなっていた。

「アオバトも少ないね」ともいう。

「今まで、1日で述べ1000羽も着たことがある。同時に来たのは300羽だねー」

「えー、そんなに。今来たので50羽くらいですかね。1日中来るのですか」

「いや、昼くらいまでだな。朝6時くらいから10時くらいがピークだね。

丹沢から水を飲みにやってくるようだな。ここは、関東大震災で隆起した岩が、それさ、そこの

岩の凹んだところ、ウニがいるんだけど、ここは、ムラサキウニ、バフンウニ、アカウニ、

みんないるだ、そこに水が溜まって、それを飲みに来るんだな」

「ウニを食べに来るのですか、そりゃ贅沢なハトですね」

「いやー、ウニはくわねえ。水を飲むだけさ」

「そうなのですか。でも、普通、塩水って飲まないじゃないですかね」

「何で塩水を飲みに来るのかは、まだ解明されていないんだよ。わしゃ、時々、

ここで死んだのを研究のために大学に送っているんだけどな、大学の先生がまだ解明できな

いっていってたわ。しかし、ハトは森で木の実などを食べて、ミネラル不足になるから

それを補うためとか、ナトリウムを補給する必要があるからとかいわれているようだよ」

「ふ〜ん」

「まあ、ほんとのところは、アオバトに聞かないと解らないがな」

ドバトもキジバトも、ここには来ないという。



世界に300種ほどいるハトの仲間で、毎日塩水を飲みに来る種は、
最近、カラスバト、モリバトで観測されている程で、アオバト意外はいない。

全国で一番数多く海水を飲みに来るこの磯は1996年神奈川県の天然記念物に指定された。


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知っていましたー?
ボクは、今知りました。

ウズアジサイ

中世から昭和初頭に至るまで、煙草の産地として全国に知られていた秦野盆地。

昭和初期にタバコ産業の工業化が開始されて以来、この盆地における煙草栽培は急速に衰退し、

1984年に栽培は終了した。

日本専売公社の跡地はジャスコショッピングセンターになっている。



そんな街のはずれの小高い山は、県立自然公園にも指定され、

春には、2000本以上の桜が咲き誇り、桜の名所としても有名で、

平成6年度には「かながわの花の名所100選」に選ばれている。


ゆうっくりと登る散策階段の両脇にまだアジサイがいっぱい咲いていました。

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見慣れないかわい花びらのアジサイも綺麗に咲いていました。

「枯れてんじゃないの〜」といいながら、後ろを歩いていく人がいました。

立ち枯れて花びらが丸まってしまったようにも見えますが、

ウズアジサイといいます。

別名オタフクアジサイとも呼ばれ流通しているようです。

中性土でピンク色に咲いたものは、オカメアジサイと呼ばれます。

江戸時代からある品種です。


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ご存知でしたか?

ボクは今知りました。

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「わあ〜、ホワホワ〜」

と一口頬張ると彼女は言った。

「ん〜ん、口の中でとろけていくようだね」とボクは応えた。

皮と中身が口の中で、確実に一体化してとろけていく感覚は、

今までの餃子という概念を完璧に覆してくれる食感だった。


中からかなりの割合を決めた肉片が見える。

いわゆる肉餃子のようでありながら、肉のしつこさ、歯ざわりも感じさせない。

臭いさえも感じさせず、野菜を含めて全体の調和が取れている。

ふわふわ感と同時に噛み締めたジューシーな味わいは、

なんとなく、食感の発想を餃子版小籠包に求めたのではないかと思われるほど。

気にならないスライスニンニクの風味が、全体の仕上げのように食欲をそそらせていた。


宇都宮正嗣の野菜餃子に比べてもしつこさを感じさせなかった。

焼くときに使った油とのなじみもよく、後味にも影響がないのも良かった。

浜松が、宇都宮を抜いて、餃子消費量日本1位になったのもうなずけた。

「おいしかったー。これはこれで、もうひとつの餃子の世界ね」と彼女はいった。

「次は、真ん中にもやしを入れないとね」。



「ありがとうございました。大変美味しくいただきましたー。

くれぐれもよろしくいっておいてくださいね。電話では失礼してしまいましたから」

寝ぼけたまま、登録名のないナンバーディスプレイ画面の番号を見て、

売り込み電話と思い込みながら受話器をとった後ろめたさに赤面していた。

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ところで、うそかかまことか、日本で初めて餃子を食べた人は、徳川光圀とされている。

亡命していた朱舜水から教わったという。

日本で一般的に食べられるようになったのは、満州で作り方を習得した人たちが戦後日本で

作りだしてから。薄目の皮を使い、満州で鍋烙餃子と呼ばれた焼き餃子が主流となったようだ。

焼き餃子として日本で初めて販売を始めたのは株式会社紀文食品。



静岡県浜松市は餃子専門店が約80軒あり、餃子を取り扱う飲食店数を含めると約300軒に上る。
キャベツをたっぷりと使った甘味が特色で、モヤシを必ず添える独特のスタイルを持つ。
これは家庭用のフライパンで丸く並べて焼くためにできた中央の空間に、店のサービスで
茹でたモヤシを添えた事が始まりである。また、タレにこだわった店が多い。
一般には、1955年頃に、満州などで餃子の製法を会得した復員兵が、餃子を出す屋台を
浜松駅周辺で始めたことが、浜松における餃子の発祥と考えられている。
総務省の家計調査年報では浜松市は調査対象外とされているため、一世帯あたりの餃子の
年間支出金額は不明である。なお、家計調査年報とは調査方法は異なるものの、
2006年の浜松市役所の調査によれば、餃子に対する一世帯あたりの年間消費金額は1万9403円とされている。
Wikipedia〜

オオミズナキドリ?

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オオミズナキドリ?

やっぱり海の鳥は、どうにも分かりません。

でも、これを見た瞬間、

「オオミズナキドリだー」って叫んでました。

地元のおじさんは、「黒くて別にどーって鳥じゃないけどねー」っていっていました。

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ダイシャク?
チュウシャク?


シギ・チは〜〜、トホホ。

ホオロクと思いたいのですが、チュウシャクでしょうか?


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