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<春日局の菩提寺−麟祥院>
1887(明治20)年9月16日、哲学館は、「哲学諸科ヲ教授シ専ラ速成ヲ旨トス」る学校として開館した。当初は、独立した校舎を持てず、東京府本郷区龍岡町31番地(現在の東京都文京区湯島、場所は東京大学の東隣に当たる)にある麟祥院内の一棟を借りて教場とした。
この麟祥院は、臨済宗京都妙心寺の末寺で、徳川3代将軍家光の乳母・春かすがのつぼね日局の発願により建立されたものである。はじめ天てんたくじ沢寺と称したが、のち春日局の法号をもって麟祥院と改められた。哲学館が開館した1887年頃までは、寺域のまわりに、からたちの生け垣をめぐらしていたことから、俗に「からたち寺」と言われていたという。
東洋大学は、創立100周年を迎えた1987(昭和62)年9月にこれを記念して、院内に「東洋大学発祥之地」記念碑を建立した。
<東洋大学の出発点−麟祥院内の仮教場>
開館前の1887(明治20)年7月22日付で、哲学館が東京府知事宛に提出した哲学館「設置願」書の添付図面によれば、教場として借用した麟祥院内の建物は、坪数24坪(間口3間、奥行き8間半)の平屋であり、教場(27畳半)、教員控所(6畳)、受付・応接所(6畳)、台所(3畳)からなっていたことがわかる。哲学館の入学資格には、特に年齢制限はなくだいたい16歳以上の者とし、また授業時間は午後1時から5時までとなっていた。
1887年9月16日の午後から、麟祥院を会場として、哲学館生徒約130人および100人前後の来賓が参列し、開館式が挙行された。東洋大学は、この建物を出発点として、今日までその歩みを続けることになる。
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