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オオヨシキリの再確認 色々と検討の結果、↓この子はオオヨシキリの若鳥ということで・・・。 |
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2007年06月27日
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《第2回》 一文字谷修二(いちもんじだに・しゅうじ)は、その後口をつぐんだ。その頃の話を多くは語りたくないような素振りさえ見せた。話題は自然、小路林彰(こうじばやし・あきら)とのローカルな話題へ変わっていった。しかし、一文字谷修二の人となり、生きた時代を思い浮かべるには充分の内容だった。 修二は、大学がきまったその年のはじめは大阪にいた。西成地区で日雇いの労働者に混じり日々の糧をついばんでいたいう。東北の温泉街で育った修二が東京の大学に決まっていながら、なぜ大阪に行ったのか。平凡な一般的庶民のボクなどの頭には、何を考えてのことか何も理解できなかった。2週間ほどの期間というから、今でいう社会勉強だったのかも知れない。しかしその時代、30数年も前のこと、飯場に群がる人たちのざわめきは、想像駄にできない鮮烈な光景として、古びたセピア色の映画のように音声もBGMもなくただ砂嵐のようにうすぼやけた映像がよぎるばかりだ。 「どうしてそんなところに行ったのですか。行こうと思ったのですか。」 「もう忘れた」 それ以上はしゃべらないぞ、と遠くを見ながらもうつむき加減の眼が語っていた。 小路林彰(こうじばやし・あきら)とのローカルな話題も面白かった。修二と彰は今はたまたま近所に住んでいる。
「フローレンスというレコードのかかるお店があったっけねえ。おぼえてる彰さん」。 「橋を渡ったところに定食屋、よく行ったよねえ」。 修二より少し若年の彰には鶴川の古い記憶は心の奥にしまいこまれ、その扉には少しばかりさびがついたように重く開けにくいらしい。もしかすると、昭和という時代に置き忘れてきたのかもしれない。 「フローレンスかー、もうなくなってしまったね。といっても僕は1度か2度ほどしか行っていないけどね。」小路林彰はフローレンスには何度か行った記憶があるらしいのだが、レコードがかかっていたことまでは記憶になかった。 「フローレンス、なんですかそれ?レコードがかかるって、名曲喫茶みたいなものですか」ボクはレコードといえば、渋谷百軒店のライオンくらいしか思い浮かばなかった。それも少し前にたまたまテレビジョンで見たアーカイブに過ぎない。 「いや、バーだったなー。学生でなけなしのこずかいで、背伸びしたのかもな。でも1、2回だ」。 中国語の堪能な修二、英語に明るい彰のふたりは視線の先が少し違うようだった。しかし、同時代、古きよき時代、偶然にもふたりは全く同じエリアで学生というか果敢な青春期を過ごしていたのだった。30年を隔てて同じ事務所にいることなど、そのときは考える事もなかったろうし、ましてや、すれ違った記憶もないのであった。 |

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6月26日 火曜日 久しぶりに早い時間に帰宅の途についた。 乗りなれない夕方のラッシュにあった。2駅を過ぎたところでどうにか奥の方に移動でき、 バッグを網棚に上げ、吊革にもたれることが出来た。 右から押してくるめがね君はニンテンドウDSをしながら、分厚いカバンを網棚に載せた。 「おいおい失礼なヤツだな、ボクのバッグの上に載せるなよー」。 思わず顔を覗き込んでみると、アキバ系〜? 左は女の子。ボクが押されて詰めていくのに、全く除けようとする気配もなし。 ぶら下げたままのバッグが、ボクのスネにあたり痛い。 「スネに痛みをもつ男になってしまうよ〜」 後ろでは、和服姿のおばちゃんがうるさい。背中に何か当たってくる。 「なんだよー、リュックサックはおろせよー」と振り返ると、和服の帯だった。 「帯ってけっこう堅いのね」。こりゃ、おろしようがないね。 納得しながら、本に目を戻す。 相変わらず、読み進まない。そろそろ終盤物語がまとまってきた。 糸里ほどうなっていくのかな?
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コヨシキリになかなか逢えません。どこにいるの〜? コヨシキリちゃ〜ん〜〜! 実は見分けができないのです。 オオヨシキリ と コヨシキリ の違いって? ・ オオヨシキリの口の中は赤い。コヨシキリは黄色い。 →口を開けてくれなきゃわかんない。 ・ オオヨシキリはコヨシキリより大きい。 →並んでないとわかんない。 ・ オオヨシキリよりコヨシキリのほうが声が高い。 →同時に聞かないとわかんない。 条件が揃わないと分からないことばかり・・・・。 ・ コヨシキリは眉斑線の上に黒いラインがある。 →ってことは、この子はオオヨシキリ? コヨシキリには、いつ逢えるのだろう〜。
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