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まだ春浅い川岸でボクはミソサザイの出てくるのを待っていた。 早春の朝は、吐く息も白く、川岸のコンクリートに座っているのもお尻が冷えて、 その寒さが体中に伝わってきて絶えられなかった。 それでも、ミソサザイにはまだ会っていいなかったので、会いたい一心で、待った、とにかく待った。 そのころは、まだ、野鳥の写真を撮り始めたばかりで、MFから外に出るなどとは考えることすらなかった。 土曜日に5時間、日曜日にも朝から5時間待っていたが、結局MFのそこでは会うことがなかった。 通り過ぎる人たちは、「どうですか、今日は出ましたか」かと声を掛けてくれるが、 待っているのはボクだけ。「先週は何度も出てきたんですけどね」なんていわれても、 慰めにもならない。 勝手なもんで、写真を見せてくれる人もいた、これはどこどこで撮ったんだけど・・・。 そんなこと言われても、ここじゃないなら、何の意味もないでしょう、とはいえない。 そんなかんだで、結局、MFの川岸では会うことはなかった。 それが、鳥撮りを始めて1年目の春だった。 ボクにとって、MFと呼ぶところが数箇所ある。どこも車で30分くらいのところだ。 あるとき、もうひとつのMFで出会った人に言われた。 「いないところで、何時間待ったて、いないものはいないんだよ。 その時間にいるところに行った方が利口と言うもんですよ」と。 この言葉は、効いた〜〜〜〜。 「いるところに行けば・・・、いる。」 いたって簡単、だけど心理だ。 それからというもの、撮りたい鳥さんの「いるところに行く」、そういう探鳥がはじまった。 探鳥というよりも、遠征といった方がただしい。 始めのうちは、1時間程度でいけるところだった。 それでも、結構ライファーが増えていく。ライフリストは150を越えたころだろうか、 突如、初見初撮りが止まった。 やはり、限界というものがあるようだ。とはいえ、同じところに毎週末通っていると、 それはそれで、その場所の珍鳥とやらに会える機会もないわけでもないが、いたって稀である。 そして、最近の探鳥は2時間前後が当たり前のようになり、3時間を越えるところさえ出てきている。 1泊2日なんてのも経験した。 こうなると、釣りバカではないが、鳥撮りバカとでも言われそうだが、 そういわれる前に自分でいいっておこう。 大は小を兼ねるということなのか、近場で撮れていたものは、この遠征は、ほとんどカバーするようになった。 あれほど、MFで待ち焦がれていても撮れなかったミソサザイが、 今は、いつもいつも、行くところで必ず出てきてくれる。 「今日は、君を撮りに着たんじゃないんだ」といっても、通じないようで、 行く先、行く先に待ってましとばかりに出てきてくれる、。そして囀っている。 ボクは、そんなあどけない屈託のないミソサザイを無視することなどできない。 で、会えば必ず撮る。撮っても撮っても、出てきてくれるミソサザイには、 最近では、感謝とともに、涙が止まらなくなった。 いまだに、ミソサザイの聞きなしができないので、あの複雑な囀りをまねすることができないが、 会える幸せを、改めてこうしてまとめて見ている。 ミソッチョ、純真さが、ボクとダブってるね。 だから、好きなのだ。純真さがボクと一緒。 純真さがボクと一緒。 純真さがボクと一緒。 純真さがボクと一緒。 純真さがボクと一緒。 純真さがボクと一緒。 純真さがボクと一緒。 純真さがボクと一緒。 純真さがボクと一緒。 直向にがんばる姿を、ボクはいつもファインダーの中でダブらせている・・・・。
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