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雷鳥を英語でいうとなんでしょう? ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ それは、雷の鳥・・・サンダー杉山? いや違う。サンダーバードかもしれない。 直訳っぽいけど・・・・♪ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ でも〜、全く別物・・・。あはは。。。 あー、キターーーーー 矢印を見ると、思わずクリックしてしまうあなたは・・・、あはは、ボクも〜〜 ぁ〜、聞こえてくる・・・・♪ 旅は長く遠く 肩の荷重く 時に堪えかねて 涙をふけば 胸の奥に熱く 何かがさわいだ あの日とめどなく あふれた夢さ なつかしい人が はるかな日々が 時の流れこえて ほら めぐる旅路さ 風がふと運んだ 汽笛の音に 時の谷間きて 歩みを止めれば 夕日 空をこがし 心に沈んだ 明日もたえまなく 燃える力さ なつかしい人が はるかな日々が 時の流れこえて ほら めぐる旅路さ なつかしい人が はるかな日々が
時の流れこえて ほら めぐる旅路さ |
たびたび
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めったに出かけることのないボクの旅日記
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丹波篠山のお宅を訪れたときにいただいた栗です。
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鷲子山上神社(とりのこさんしょうじんじゃ) 開けたとき、矢印の位置で決めるのだろうか。あはは、そんなわけはない。 いずれにしても、ぜ〜んぶ、神社のもの〜〜。 |
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小砂焼(こいさごやき)。 猛暑の中、小砂焼に行ってきました〜〜〜。 益子焼から、北へ30kmほどの静かな山村にあり、八溝山系を南に配し、 町の中央を清流を満ちた湛えた那珂川が通っています。 特徴の金結晶釉が、土の素朴な質感の中に瀟洒な光沢を放っていた。 ボクは一目見て気に入り、山裾の道を縫って散在する窯元を4件も回ってきました。 小砂焼1830年頃、益子焼1853年、益子焼とほぼ同じ歴史を持ちながらあまり知られていない。 どの窯元を回っても、土の素朴な風合いを保っていて益子焼と異なり伝統を伝えていた。 小砂焼は江戸時代後期、第九代藩主斉昭の治世、 水戸藩の殖産のため御用陶器として始まった。 陶土の特徴は、御影石の風化物で、やや黄色見がかった蛙目土と呼ばれている。 1300度前後の焼成温度が必要になることから、軽く、硬い陶器が出来上がる。 |
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中世、京で「花」と言えば紅花をさすほどでした。 紅花は、貴族のあでやかな衣装や口紅として重宝され、高価なものでした。 河北町で集積された紅花は、酒田から北前船で敦賀をへて京に持ち込まれたのです。 この地で紅花商を営み財を成したのが、代々名主を務めたた堀米四郎兵衛家でした。 江戸末期には167人もの農兵を組織し、地域の治安にも貢献したといいます。 小藩の藩士の数ほどいたといっていいかもしれません。 その栄華を垣間見るのが、紅花資料館です。 10代目当主により昭和56年に敷地、建物、古文書などを河北町に寄贈されました。 敷地内には、長屋門をはじめ、武者蔵、座敷蔵、庭園、御朱印蔵などを配し、 御朱印蔵は、幕府から保護された権力の象徴と言えそうです。 唐破風向排付入母屋つくりの土蔵で、木鼻の獅子の彫刻は高山文五郎の作。 明治初期、徳川時代の遺物破壊の風潮の中でかろうじて残されたものです。 ここでも残念ながら、資料館の受付で聞いてみると、開花は6月ごろとのこと。 街で聞いたときも、まだ咲いていないと聞いた。それどころか、紅花を栽培している農家は、 今はないという。観光用か子供たちの学習用くらいにしか作っていないのでは?という人もいました。 紅花資料館では、まだこんなもの。花となるのは・・・。 ドライフラワーもいいものかも知れないですね。。。。 |

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