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いつものことながら、旅に出た記憶の曖昧さに自分で心底辟易する。 こんな感慨は、自分だけではないのだろうと玉梧郎は思っている。 そんなことだから、その記憶をしっかり留めておかなければならないのだ。 何の脈絡もないない行程なのだから、忘れても何の不思議はない。 福井へは、大阪から「サンダーバード」を使った。 サンダーバードは「雷鳥」よりも10分ほど早くつくらしいが、 サンダーバードを日本語にしたら、雷鳥?何が違うのかって“?"である。 ところで、福井に行くというと、なぜか「また?」とい数人に言われた。 福井は初めてなのだが、みーんな富山も福井も区別がついていないようだ。 富山出身の方には非常に失礼な話だろう。 時間がないこともあり駅弁を買って乗り込む。 しかし、大阪発ー金沢行きなのになぜに「京風幕の内」なのか?しかもどこが京風なのだろう。 確かに、途中京都駅には停車していたが・・・。 車窓から山並みを眺めていると、長い長いトンネルに入った。 トンネルを越えると、そこは・・・、どこだったのか。またトンネルに入った。 よく分からないままに、福井に着いた。ついたときの空は、秋の空だった。 不思議なことに、京都よりも京都の風情を感じさせたのは何だったのだろう。 赤い傘、これだけではないか。 福井城址の堀にかかる石造りの橋と石垣が、歴史ロマンにいざなっていた。 しかし、石垣の中には、コンクリート作りの近代的な県庁ビルと赤白に染められた鉄塔が無骨に聳え立っていた。 残念ながら、この時期は越前カニのシーズンではなさそうだ。 とっても残念でならない。見るだけなのだけど。どうせ、食えない、変えない、頼めない。 どっぷりと日が落ち、まぶたの奥に茜の空を焼き付けながら、せめてもの安酒でも飲んで寝よう。 いい仕事をしている大将の料理は、どれもおいしかった。 そんなことだから、おろしそばは3杯も平らげてしまうということになったのだ。 大将、ご馳走さま。 ぜひ、あした帰る前にも、もう一度「おろしそば」を食べていこうと決めた。
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たびたび
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めったに出かけることのないボクの旅日記
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北の庄は、江戸期に福居となり福井となる。 お市の方が浅井長政に嫁いだのは21歳。のちに柴田勝家と再婚して北の庄に住んだ。 勝家の北ノ庄城は秀吉軍に包囲され、勝家はお市の方と娘たちを城から落とそうとしたが、 お市の方は、3人の娘たちだけを城から落とし、自分は勝家の手にかかって死ぬ事を選んだ。 天正11年(1583)、4月24日。 辞世は、 さらぬだに打ぬる程も夏の夜の夢路をさそう郭公かな お市の方の3人の娘は、その後秀吉に庇護され、 長女茶々は秀吉の側室となり、秀頼の生母となるが、大坂の陣で自害。 二女初は、京極高次に嫁ぐ。 三女、小督は佐治一成室となるが、秀吉の命で秀吉の養子、秀勝の室となり、秀勝死後は、 徳川秀忠正室となり、お江与と呼ばれて、三代将軍家光、二男忠長を生む。のち崇源院。 幕末に政治総裁職についた松平春嶽は最後の福井城主(田安徳川家第3代当主・徳川斉匡の八男)。 足羽川にかかる幸橋に立つと、足羽山の向こうの空が赤く染まっていた。 お市の方の心が鏡になったのだろう。 路面電車が、とぼとぼと走り抜けていった。 |
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9月27日 「あっ、秋だー」 こんなところで秋を拾った。 朝、めっきり寒くなってきて、秋が来たことを感じている。 森の奥にも木漏れ日が差すようになり、秋が来たのだと感じた。 空の筋雲にも、中秋の名月も秋の象徴だろう。 そういえば、日比谷公園のイチョウが銀杏をつけたとニュースでやっていた。 しかし、やられましたね。 こんな器の中に秋の感傷を拾うとは。 そういえば、三之助さまは丹波栗を買っていたっけ。 玉梧郎は、目で楽しむだけでいいや。 「あっ、秋だー」などと大きな声を出すものだから、 お店のお姉さんが笑っていた。
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9月27日 小さな窓の奥のほうに、きれいにVの字を描いて何かの群れが飛んでいく。 のぞみ41号博多行き。ドラム缶タイプの500系だ。このタイプは容積がかなり狭いので玉梧郎はあまり好きではない。すでに新型700系が登場しているのに、何もこの型に当たらなくてもいいように思う。今回の旅の出発はついていなかった。新横浜で隣の席にだれも来なかったのがせめてもの幸いかもしれない。 新幹線の走る高さから眺める街の景色は、発展してビルが立ち並ぶ横浜でも見晴らしがよく、9月末というのに積乱雲のように積み上げられた雲の側面が夕日に照らされ、青く奥行きのある空に映えていた。時折、その景色を緑の壁にさえぎられるのも悪くない。だんだんと空が広くなってきた。大きな川を超え田園風景が広がっている。 少し肌寒くなってきた。いつのまにやら眠ってしまったようだ。窓の外には浜名湖が、なみなみと盛り上がるかのように水をたたえている。しばらく、呆然と車窓を眺めているうちに、あたり一帯はずいぶんとほの暗くなってきた。雲が厚いせいだろう。三河安城の駅を通過とのアナウンスがありやがて名古屋についたときには、駅前のネオンサインは、きらびやかに街の存在を示していた。中でも、ホームの真正面に見えるビックカメラは、堂々たる存在だ。 名古屋を過ぎると、靄のかかる牛のような山々が小さな窓のほとんどを占領している。もうすぐ、陽も落ちるのだろうか、雲が厚いばかりか、やたら靄だか霧だかが空から、地上に降りてきている。と、思ったところで、長いトンネルを越えた。トンネルをこえると、そこは少し明るくなり、田園地帯と遠くに桂林のような山並が、車窓を額縁におさまっていた。点在する家々のあかりが寂しげであり、それがかえって旅情を満たしていた。 日本は、緑豊かな大地だ。
生い茂った森も刈り取りの済んだ田園でさえも緑いっぱいである。 こんな実感の車窓だ。 |
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呉港で撮ったのがまだ数点ありました。 いかんし・・・、ではないですよ。 しんかい。ご存知、深海の調査船ですね。 |



