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もう30年以上も昔の話である。そのころの夏は、今のように温暖化はなく遅い夏だった。 東北の温泉町で育ちの一文字谷修二は、大学生となり東京郊外に越して来た。東京でありながらまだ農家が点在する素朴な風景が修二は好きだった。「東京にもまんだこんなところがあるんだべ、いいもんだやな」。授業の合間を見つけては、よく農村を訪れた。あるとき、かやぶき屋根を背に大きな焼き物を配した瀟洒な一軒の農家に心を取られた。「しゃれた農家だべし」。庭先の畑では農夫が草むしりをしている。夏の太陽はジリジリと畑の作物を照り付け、草をむしる農夫の手も赤銅色に焼け、ささくれだった手は、いかにもお百姓さんだった。何を作っているのかと聞いてみると、いろいろな野菜を手にとって教えてくれた。農夫の笑顔は凛として、ささくれだった手に比べるとその笑顔は都会的で農夫には思えなかった。しばらく野菜などを眺めながら雑談をしていると、縁側から、「お茶でもいかがですか」と奥様が声をかけてくれた。そんなことがあり修二は時々訪れるようになっていた。文学が好きだったこともあり、話は自然そっちの方向にいき、また武蔵野の自然の話は、生まれ故郷とも通じ、いつも楽しく、時には授業を忘れて話し込むこともあった。決して飾ることなく、自分の本分を語る農夫のまっすぐな心とやさしい奥さんのさりげない思いやりに居心地のよさを感じていた。 それが、秋が過ぎ冬を迎えた頃には訪れることはなくなっていた。何も寒いからではなく、荒涼とした田畑がきらいなわけでもなかった。きっかけは1冊の雑誌を手にしたことだった。NAVI 1987年12月号。何気なく大学の生協の書籍コーナーで手にした雑誌。そこには「日本国憲法とベントレー」と題された連載記事の初回(NAVIは 1984年4月に「カーグラフィック」の姉妹誌として創刊。「New Automobile Vocabulary for the Intellectuals」の頭文字から名付けられた)。そこには、「未体験ゾーンへ。」のキャッチコピーとつけたスペシャリティカー、トヨタの初代ソアラに関する記事。開発に当たってアドバイスをしてくれた人として、例の農夫の写真が出ていたのだ。修二はそのとき始めてあの農夫が白洲次郎だったのだことを知った。それからというも、農夫の家には人が増え、のんびりと寄れるような状況ではなくなっていた。遠くからひっそりと眺め元気なご夫婦の笑顔を確認して帰るという習慣となった。そして、気づけばお邪魔することはまったくなくなり、いつしか思い出だけの存在となってしまったのだ。 今は、すっかり東京人になっている修二は、「30年たって、その農夫のブームが訪れたときも、ふるさとの東北電力の会長として、在りし日の姿をしのぶばかりだったよ」。と回顧している。 昨日、武相荘は近くなのに行ったことない、一度行ってみたいとKAKIRAが話題を出したとき、しみじみと思い浮かべた修二であった。 立ち話の聞き取りのため、事実関係に誤りがあることをご承知おきください。 また、正確な事実等ご存知の方はコメントください。 ※なお、一文字谷修二は仮名ですが掲載未許可ですので、本人よりの指摘があった場合は即座に非公開とします。あはは。
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ちょちょ
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4月18日 水曜 |
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東京都出身、青山で青春を育み、愛車はBMW。 |



