多摩キリスト教会のブログ

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神の約束の継承者

創世記25134
1、それは信仰の戦いを経験する者です。
 イサクは20年間子どもが与えられない試練を経験しました。その間彼は祈り続けるのです。彼は「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる」との約束を待ち望んだのです。約束の継承は子どもだから受け継ぐのではありません。イサクも父アブラハムが経験した信仰の戦いを自らが経験して神の約束の継承者になるのです。私たちにとっては主の十字架を見上げる信仰経験をする者です。
2、それは主に祝福を求める者です。
 長子の権利は家で神を礼拝する中心者になることです。その人は神の祝福を受けるのです。エサウは神に対して無関心でした。彼は自分の肉欲を満たすことを優先する人だからです。ヤコブは卑劣なやり方で長子の権利を手に入れます。それは彼が自分の弱さや多くの問題を認めているからです。このように主に祝福を求める者が神の約束の継承者になるのです。私たちにとっては「主の十字架の愛で満たしてください」と求める人です。
 

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創世記24167
1、キリストの花嫁
アブラハムは晩年に「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる」とのみことばに従いしもべを遣わします。その条件は土着のカナンの女でなく父の故郷から連れ出される寄留者であることと、イサクを父の故郷に帰らせず神の約束の地にとどまらせることです。リベカは花嫁に選ばれます。そして彼女はアブラハム、イサクと同じ信仰を相続し、永遠の契約の相続者イスラエルを生むのです。アブラハムはリベカという地上では寄留者であり天の故郷にあこがれる信仰者を捜したのです。この同じ信仰者が御子イエスを信じる者です。その者は再臨のとき小羊の婚宴に招かれるキリストの花嫁なのです。
2、信仰者はキリストの花嫁を捜し出します。
 しもべはイサクの妻を水汲みという普段の出来事の中から捜し出します。しもべは夕方水くみに来た娘がしもべに水を飲ませ、らくだに水をくんでくれるならその娘がイサクの妻となる人と祈るのです。それがリベカでした。しもべは主を礼拝し、ラバンにリベカに導かれた主のみわざを証します。ラバンは「このことは主から出たことです」と受け入れます。リベカもその事実を信じて受け入れて直ちに旅立つ決心をするのです。しもべは神の約束に立ち、聖霊に導かれ、祈り、礼拝し、証をして使命を果たしました。信仰を継承した者はこのしもべのようにしてキリストの花嫁を捜し出すのです。なぜならアブラハムのようにあなたから出る者がキリストの子孫、花嫁となるからです。
 

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創世記23120
1、天の故郷にあこがれて生きる。
234「私はあなたがたの中に居留している異国人です。」なぜ天の故郷にあこがれるのか。アブラハムは75歳で「わたしの示す地に行きなさい」のみことばに従いハランを出た。彼は99歳でカナン全土の所有の約束を受け、サラが亡くなったとき137歳ですが、いまだに居留者です。この間は62年です。結局アブラハムは信仰の人として死にます。約束のものを手に入れることはありませんでした。しかし、「はるかに、それを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白したのです。」(へブル1113)。アブラハムにとって約束のものはカナンの全土ですが、信仰に堅く立った彼に見えたのは天の故郷でした。実は私たちも「この信仰に導き入れられた私たちは神の栄光を望んで大いに喜んでいます。」(ローマ52)のようになるのです。
2、今を生きる。
 アブラハムが墓地を所有する意味は何か。アブラハムは財産や人数が増えてゲラルの王と契約を結ぶほど大きな共同体になりますが、共同体の墓地ではありません。この墓地に入るのはアブラハム、イサク、ヤコブとその妻たちです。それはアブラハムと同じ約束を相続した者たちです(へブル119)。だからこの私有の墓地は寄留者である彼らがこの地上で持つ信仰のしるしであり、神の約束の成就を垣間見させるものなのです。教会も信仰の拠点であり、この世にあって天の御国を先取りした場所です。

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創世記22119
1神の導きに一歩一歩従う信仰
アブラハムは神の約束が成就していくことを25年間見てきた。そしてイサクが生まれた。ところが、神はそのイサクをいけにえにするように言われる。アブラハムは神の御声に直ちに従う。5節で彼は「私と子どもとはあそこに行き、礼拝をして、あなたがたのところに戻って来る。」と確信をもって言っている。しかし、10節を読むと、彼はイサクを躊躇なく屠ろうとしている。なぜなのか。それはアブラハムがイサクの子孫が祝福されるという神の約束を信じているからです。このことはヘブル11:1719に書いてある。アブラハムはイサクが死んでも失われないと復活を理解していた。その根拠が約束のことばです。私たちもこの約束のことばを持つとき神に従い通すことができるのです。
2、神中心の信仰
 8節で「神ご自身が全焼のいけにえを備えてくださるのだ。」とあるが、9,10節ではイサクを縛り、祭壇の上に置き、刀を取って屠ろうとする。アブラハムの祝福といけにえは、私たちの永遠のいのちと罪のゆるしの関係です。御子イエスを救い主と信じる者には贖いがあるのです。ここで神はアブラハムにイサクを惜しげもなくささげる信仰を求めているのです。この「主の山に備えがある」とは「この山には主が現れる」との意味です。主が備えてくださるとの信仰をもってささげるとき主が備えてくださるのです。

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創世記21134
1、約束の成就には信仰の応答がある。
「神の約束」とは、アブラハムが75歳のときウルで「あなたを大いなる国民にする」と聞いた神のことばのことです。アブラハムは、それに従いカナンの地に出ました。しかし彼には子どもがいません。初めはおいのロトを考えますがソドムに離れて行き、次に奴隷のエリエゼルを考えますが、主は身から出る者が継ぐと。そこで彼は奴隷ハガルによってイシュマエルを得ます。しかし主はサラが生む子であると告げられ、100歳でやっとイサクが与えられるのです。神の約束は信仰をもってみことばに応答していく中でより明確にされて高められて成就するのです。アブラハムはイサクと名付け割礼を施し神に応答します。サラは不信仰のゆえに「あなたは笑った」と言われたみ使いのことばを祝福のことばとして受け取りなおし、「神が私を笑わせてくださった」と応答します。約束の成就にはアブラハムとサラの神への信仰の応答があったのです。
2、約束の成就には神の臨在がある。
イサクの誕生には神の時期がありました。それは神がサラを顧みる、すなわち訪問するときに起こるのです。アブラハムは神のことばに従いイシュマエルを荒野に追い出します。しかし神は彼の声を聞き、彼も一つの大いなる国民にします。ゲラルの王アビメレクはアブラハムが神とともにおられるのを見て、私に真実を尽くしてくれと契約を結びに来ます。約束の成就には神の臨在があるのです。

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