気楽にいくか、ヨッシャー!おはよう、脊柱靱帯骨化症君。

信念、情熱、後悔しないこと・・・精一杯生きていたい。あなたの笑顔が見たいから俺も笑顔でいよう。

後縦靱帯・黄色靱体骨化症回顧録

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1997年、胸椎黄色靭帯骨化症と診断された。その後2004年に頚椎後縦靭帯骨化症の診断も加わった。前年の1996年頃から、ブログを始めた2008年6月頃までの出来事・闘病生活・日常の事などまとめる予定です。
この間にあった2005年の病気休暇。2006年8月の頚椎後縦靭帯骨化症と胸椎黄色靭帯骨化症の手術。3日後の腹膜炎穿孔緊急手術。約1年間、4つの病院での入院・リハビリ生活。退院後のリハビリ・通院生活などを手帳・手記・記憶を元に綴っていきます。
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     “FILE28”

    【1997年7月13日】
    足全体が重く、膝周辺がゴムチューブでぎゅうぎゅう締付けられ、一歩一歩ゆっくりと

   すり足にならないように気をつけて歩いていた状態が続いていた。

    しかし、へんな言い方だが、歩く事の動作を分析し、少しづつだが歩くのがうまくなって

   きていた。つまずかないこと、左右のバランスを崩さないこと、転ばないことに気をつけて

   歩いていた。


    歩く事への自信がついてきていた。そう、ここ1ケ月くらいの間で、足全体が軽くなったと

   感じていた。

    自信を持って、神経を集中させれば、ほんの少しの距離なら、ゆっくりジョギングができた。


    その姿は、不恰好であった。自分の姿は見えなくても、身体の動かし方というより動かせない

   状態が分っていたので、不恰好だということが分った。

    妻や子どもは「上手、上手。」と言っていた。5歳の娘に「上手、上手。」と言われるとは、

   何とも情けない話である。

    だけど、嬉しかった。心の中から笑いが溢れ出てきた。



    昨年の11月頃から、出来ることがどんどん減っていっていた。

    でも、今出来ることがひとつ、ふたつ増えた。

    そして、今日、思い切って、スキップをしてみた。何故か、やってみたくなる。

    家の廊下で挑戦してみる。

    何か恥ずかしい気持ちだったので、1人で誰にも気づかれないようにする。

    前に体重を掛けすぎると転ぶと感じたので、できるだけ後に体重を残しながら、

   歩幅を狭くして、頭を上に突き出すイメージで、片方の足で廊下の床を蹴り、片方の足は膝を

   ゆっくり大きく上げる感じ。
  
   
    最初は床から足が離れず失敗。

   次は、蹴り足よりも引き上げる足に集中してトライ。引き上げる足に集中しすぎて失敗。

   次は、蹴り足3、引き足7の力の入れ具合で、両腕も大きく振ってタイミングを合わせてトライ。

   少し左右にバランスを崩しそうになったが、出来たような気がする。


    私は、大声で妻と子どもを呼んで、さっきの感覚を忘れないうちにやって見せた。

    今度は自然と手でバランスをとり、何とか“スキップもどき”ができた。

    娘は、「パパのちょっと変だよ。スキップはこうやるんだよ。」といって教えてくれた。
   (うーん、俺より上手いかな。)

   まさか、出来るとは思っていなかったので、大はしゃぎ、大騒ぎ。



   その夜、妻は布団の中で泣いていた。
  (苦労かけてゴメンな。これから、どんどん良くなるからな。・・・俺も嬉しかった。)


   

      私がジョギングをした姿は、「アシモフ君」(この時には、まだ開発さ

      れていなかったが、ソニーが開発した)の動きに似ていたと思う。

      この年(1997年)の2月の診断で、骨化は10年くらい前から少しずつ始まっていた、

      と言われたので、それじゃあ、ここから10年かけて治してやるぞ。

      と本気で思っていた頃である。


      現実は、これ以降いろいろな事があったが、結局、この時期から9年後に手術をしなければ

      ならなくなり、手術をしたわけだが、今も、絶対治してやるぞ。

      という気持ちは持ち続けている。

      
      学習能力がないと言われようが、この信念と情熱だけは譲れない。


      そして、今2009年、また、スキップができるように努力している。

      脊髄損傷などによる痛み、運動機能の低下、筋肉などの硬直・萎縮・・・

      かなり厳しい条件だが。


     『出来るように努力する』ではなくて『努力して出来るようにする』



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    【1997年5月28日】
    股関節の可動域がかなり狭くなってきたことが、今更のように心配になる。

    学生の時、サッカーをやっていた時、そう身体を動かし続けていた23歳くらいまでは、

   股関節が柔らかかった。足を前後に、地面についた。足を左右にもかなり深く曲げられた。

    社会人になり、25歳頃、股関節と腰が連動して痛くなることに気づいた。


    この頃から股関節は徐々に硬くなっていった。

   特に左右に開く角度が年々狭くなっていき、股関節を左右に開くと腰に痛みが走った。

   でも、まだ標準以上にはサッカーができていた。

   少しくらい痛くたって、大丈夫だ。ひどくなったら一日じっとしていれば、痛みは退いてくる。
 
   ・・・自負していたところもあった。


    股関節を前後に開くのも左足が前なら、32歳くらいまでは、ペタンとついたが、右足が前だと

   途中で痛くて止まってしまった。


    この時期頃までは、約半年前から、経験したことのない症状に振り回され、

   難病の脊柱靭帯骨化症になってしまったことが分かり、何とかしなくてはと頭の中が

   混乱していた。

    混乱していた頭も、少し身体の症状が改善されたことにより精神状態もに落ち着きが

   戻ってきた。

  
    自分の意識は、他の身体の異常な部分を気遣えるようになっていた。

    そして、股関節の異常にあらためて気づかされた。

    股関節の可動域がかなり狭くなり、できなくなってしまった事で、重要な事が一つあった。

   それは、大便の時に和式トイレではしゃがむことができなくなり、用を足せなくなってしまった。

   その他にも動かす角度によって、激しい痛みがあり、生活上の行動・動作に制限が加えられた。


    そこで、毎日勝手口に外のテラスの柱に両手でつかまり、少しづつ腰を下ろしていく運動を

   始めた。膝が90度くらい曲がると、そこで一度ロックがかかるように止まってしまう。

    その後は、痛みとの戦い。股関節の前と外、腰が痛み出す。股関節は潰されるような痛みで、

   腰は引きぢぎられるような痛みだった。

    でも、強い意志で毎日続けてみようというと思った。

   

     今から考えると、25歳の時には自分の身体の変調に気づいていた。

     でも、まさか、その約12年後に自分の身体がこんな状態になるなんて、
 
     予想もできなかった。

     そして、37歳のこの時、その約12年後にこうなっていることも(今現在の自分)、

     全く予想できなかった。

     今でも当然のことながら、和式トイレでは用は足せない。
 
     小便でさえも便座に座ってでなければ、用が足せない。

     何て学習能力のない自分なのか。自分自身の危機管理意識が低いことを反省している。

     それでは、今から12年後のことを危機意識をもって予想し行動しようか。

     でも、今は今のことだけで精一杯だ。結局こんな自分である。ハ〜。
     



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    【1997年4月2日】
    ある私立高校で運動部の顧問をしている知り合いに紹介してもらい、F市にあるH治療院に

   行く。そこには、実業団の選手とかが多く通っているということだった。

    Hさんは、オクトパシーと呼ばれる治療方法を行っていた。(初めて聞く名称だった。)

    まず、仰向けになり、両手で頭を軽く指圧する感じで、脳に刺激を加える。約15分程度。

    その後は、動きが悪くなり感覚が遠くなった足に強い刺激を加えた。


    この頃は、腰や股関節の痛みより、へそから下、特に腿や膝から下の足全体の感覚が鈍くなり、

   痛みや熱さがよくわからなくなってしまった感覚機能障害や足が動かなくなってきてしまった運動

   機能障害のことが気になっていた。


    それは、痛みはそれまでの自分にとって、何も珍しくないことだったので、自分の気持ちと

   しては、痛くても以前のように歩いたり走ったりできるようになると思っていたからである。


    自分の症状を感覚が鈍くなっていると伝えると、H氏は鉛筆のような木の棒で、感じにくいと

   ころを引っ掻いていたようだった。


    家に帰ってきて足を自分で見たり、妻に見てもらうと、大腿部・下腿部・くるぶし付近・足の裏

   があざになっていたり、血がにじんでいた。



    結局、6月26日まで月に2回、合計6回通ったが、方向性の違いを感じ、また、脊柱靭帯骨化

   症への知識にも疑問を持ち、通うのをやめてしまった。




      ごく普通のスポーツ障害、怪我の人を対象に治療をしていたことがわかった。
    
      私が、自分の症状をこと細かに伝えても理解してもらえなかった。
      
      経験も浅かったようだ。
    
      Tさんの紹介で、最初にHさんに電話して話した時、何しろ一度見せてくれと言われたが、

      紹介してくれたTさんもH氏も、私が彼らの知らない未知の領域にいたのだった。


      ・・・脊柱靭帯骨化症という難病だと、最初に言ったのに。


      3ケ月たらずで、通うのをやめたとTさんに言った時、
     
      「みんな良くなったって言うんだけどね。」と怪訝そうに言うので、

      私は「誰でもみんな同じような症状じゃないんですよ。治る可能性が殆ど無いから、

      難病なんですよ。ヘルニアとかだったら患部が5ケ所でも、10ケ所でも、その方が

      はるかに軽症ですよ。」と言い返した。
 
      本当だったら、もっとペチャンコになるまで言いたかった。言い負かすだけの自信は

      あった。でも、無意味さに気づき、無駄な力を使うことはしなかった。



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   【1997年3月17日】
   K市にある全国的にも有名なO病院に電話する。

   この病院は西洋医学と東洋医学を取り入れたホリスティック医学を実践している。

   私は、O病院に電話をした。
  
   できれば、ホリスティック医学の治療を受けたいと思っていたからである。


   ちょうど、1ケ月前頃NHK教育テレビの医療関係の番組に院長が出演していたのを見た。

   そして、O院長の執筆した図書をすぐに購入して読んだ。

   私が求めているものが、そこにあると思えたからだ。


  「自然治癒力の驚異」という書名である。


   私は、その本の中ではじめてホリスティック医学という言葉を知った。

   脊柱靭帯骨化症という難病も治るかも知れないと思った。

   そして、その本の中に大きな希望の光を見つけた気がした。



   その本を読み終わると、すぐに私はその病院に電話した。

   自分の病名などを説明し、テレビで見たことや本を読んで感銘を受けたことなども話し、

  是非O病院で治療を受けたいと話した。

   しばらくすると、電話の相手が変り、「東洋医学を取り入れた治療は、癌と成人病の患者の方   
  が対象なので、脊柱靭帯骨化症の患者の方は対象外です。通常の整形外科を受診してください。」

  と言われた。断られたのである。整形外科だけしか受診できないなら、何の魅力も無かった。


   その病院まで、自動車で30分から40分で行けるので、運が巡って来た、と思ったが残念

  だった。



      自然治癒力。この脊柱靱帯骨化症には無縁なのか。同じ身体なのに。

      ・・・。


      その病院でのホリスティック医学の治療は受けられないとしても、東洋医学には未知の

     可能性を感じていたし、人間の治癒力にも大きな希望が持てるという考えはこの後も、

     自分の中で消えることはなかった。



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   【1997年3月3日】
   ここ2、3ケ月は、とても内容の濃い日々だった。

   1、2年くらい時が経った気がしていた。

   病気や神経症状が治ったわけではないが、悪い状態のピーク時より身体は少し楽になっていた。

   何とか頭の整理もつきそうで、気分的にも軽くなっていた。

   仕事はノルマはこなしていたが、日々積み上げてきた懸案事項を整理する時間は無かった。

   「今日は残業していきます。」

   私の言葉に驚いたような顔をして、上司が言う。

   「身体、大丈夫なの。無理しなくていいんだよ。」

   気遣ってくれていた事がとても嬉しかった。

   「でも、今日はやっていきます。年度末も近いから。」

   
   久しぶりの残業だ。

   あっという間の3時間だった。

   一区切りついたところで終わらせた。


   3月とは言え、まだまだ冷たい北風が吹いていた。

   外に出ると、時折強く吹く風にあおられた。普通なら足を止めるほどではない程度の風だが、

  足元が不安定な私はたびたび立ち止まった。

   それでも、駐車場へとゆっくりと歩きながら、何とも言えない充実感を感じていた。


     このまま、ほんの少しずつでいいから、身体が回復してほしい。
    
     そして、不安な日々から解放されたい。
    
     この思い・願いは、決して無理ではないように感じていた。 
  
    
      そして、実際これから約数年、「症状は」ほんの少しずつ回復し、維持していた。


     ただ、これから先もずっと、依然、痛みを感じない日はなかった。

     腰・股関節・膝・足首・・・。
    
     膝から下の痺れ、締付けられるような感覚異常。
    
     足の裏は無数の腫れ物ができている感覚。
    
     でも、これが普通だと思えば耐えられないと考えていた。
    
     身体を使う仕事や用事はあまり出来ず、今までの自分とは正反対の身体になっていた。
    
    
     油断すると、つまずいて転ぶこともあった。

     歩く時は、「自分は今歩いているんだ。」と常に意識をしてつま先を上げるようにしていた。

     また、時間がかかっても急ぐことなく注意して行動をしていた。



   <つづく>


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