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追伸。 P.S(PostScript=ポスト・スクリプト) 7月17日の話でしたが、とてもいい天気で、 日向にいたのは1時間程度でしたけど、まだ日焼けの跡が残っています。 (日焼け、吸収しやすいんです。) そしてこの日のことはずっと私の心の中に残るでしょう。 疲れたけど、楽しくて嬉しくて、良かった。本当にいい後輩、いや友達を持ったな。 俺ってば、やっぱり、トータルで幸せでーす。 そうそう。 ずっと忘れないよ。みんなのことは大切に思っているから。 ありがとう。 K田、H野、U木、O木、Y田。 そうそう、昨日のことですが、H野が来年は陽気のいい5月に行きましょう。 そんなことを言いに来てくれました。 とりあえず、来年の5月まで、頑張らんとね。 |
映画・アニメ・音楽・馬・本
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いろいろな好きなもの・好きなこと、特に映画、アニメ、音楽、競馬、本、スポーツ全般の事について書いていきます。
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新潟競馬場とオグリキヤップの献花台 また、ブログの更新の間隔が空いてしまいました。 8月も終わりました。でも、まだまだ暑い日が続いています。 個人的にはもっともっと暑い日が続いてほしいです。 こんなことを言うと大概の人に怒られそうですね。 この夏、ワールドカップ南アフリカ大会が始まり、約1ケ月間、家では息子と職場では サッカー仲間とサッカー話に花を咲かせっぱなしでした。 今は、欧州の各国でリーグ戦が始まり、また、UCLもグループステージが始まろうと していて楽しい気持ちでいっぱいです。 勿論、仕事に行けていることも楽しさを倍にしてくれています。 でも、身体は1日1日がいっぱいいっぱいです。クタクタです。痛いです。痺れが強いです。感覚、 知覚、触角が遠いです。それから・・・ ヤバイ、トーンが下がってしまうわ。陽気のパワーを増やさんといかんいかん。 仕事と 地元の医者と 新宿の大学病院と 物凄く痛い治療院と ハーモニックという技術を使うカイロプラクティックと 気功治療をしてくれるような人の所と そば屋と マクドナルドのドライブスルーくらいしか行かない(行けない)私が、なんと。 この夏、日帰りですが新潟まで遊びに行ってきました。朝5時30分に家を出て夜11時頃 帰ってきました。 実は、競馬好きの後輩たち5人と自分を入れて6人で新潟競馬場に行ってきました。 ほぼ強引に誘われて、と言うより誘ってくれて連れて行ってくれました。 「気分転換させてやりたかった」という気持ちがものすごく嬉しかったです。 競馬場はとてもきれいで車椅子でも不自由なく楽しい1日を過ごせました。 (そうそう、私、歩くことはできるんです。でも、痛みが通常の何倍にもなるし、不安定だし、 遅いし、場所を選ばないと危険なんです。 危ないことなどは極力避けなければならないので、車椅子に乗ることが多いんです。 医者の方たちにも安全第一、歩くことは大切だけど痛みを無理してこらえないように、 急に振り向くな、転ぶな、など、 いろいろ指示をいただいてます。) オグリキャップの献花台と思い出のコーナーがメインスタンド(NiLS21スタンド)の 2階にあったので連れて行ってもらい手をあわせてきました。 「オグリキャップ、ありがとう。これからもっと幸せなときをずーとすごしてね。」 競馬の結果は?って。1レースから12レースまでやってきました。2、4、6レース的中、 この時点でプラス6万円、8レースに一度決めた馬券を変えてしまい、結局変えなければ 当たっていて、しかも配当も大きかったのに。 というのをきっかけにその後は外しまくりでした。結果は少しプラスでした。 内田博幸騎手が好きなので、殆ど内田騎乗の馬を絡めて買いました。 一番好きな騎手は福永祐一です。お父さんの福永洋一氏は私より一回り年上で現役時代は 「天才」と呼ばれていました。 1979年、落馬事故で重度の脳挫傷を負い騎手生命を断たれてしまいました。 私も若かったので、あまり多くの記憶はありませんが、尊敬している人の一人です。 その人の長男の祐一にはもっともっと活躍してほしいです。 競馬もそろそろ秋のG1で賑わってきます。バンバン稼ぐぞ!! なんて、好きな馬、騎手を応援するだけですが。それと穴を開けるのが楽しみの一つです。 |
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ハー、ここのところ、ずーと、神経症状が強い。 ヒー、トランポリンの上を歩いているように不安定でバランスがとりづらい。 フー、辛いから横になると腕・手・指が浮腫んで腫れて痛みが増す。 ヘー、首が動かなくて、首が痛くて、うがいができない。 ホー、重い空気、気分を変えなければいかん。 こんな時は、いろいろな作戦があるが、今日は作戦M。別名ミュージック作戦。 今日のミュージックは「ドナ・サマー」、君に決めた。 風呂から出て、オイルマッサージしてもらい、ミュージック・スタート。 懐かしいな。 いい曲がいっぱいあるな。 元気が湧いてくるナンバーは、 「ヘヴン・ノウズ」 「ノー・モア・ティアーズ」 「オン・ザ・レイディオ」 「シー・ワークス・ハード・フォー・ザ・マネー」 「マッカーサー・パーク」 「ホット・スタッフ」 「ディム・オール・ザ・ライツ」 「サンセット・ピープル」 などなど。 ウォー、元気がでてきたぞー!! ドナ・サマーは、かつて70年代、80年代ディスコサウンズというカテゴリーでの ヒットメーカーだった。 ディスコには彼女の力強い歌声が響いていた。 このアルバムは2005年にでた「ドナ・サマー・ゴールド」という2枚組みのベスト。 レコード世代だから、レコードは沢山あるのに、今は機械がなくて聴けません。 |
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「みんなが幸せになるホ・オポノポノ」 イハレアカラ・ヒューレン著 徳間書店 「ホ・オポノポノ」とは、ハワイに伝わる問題解決の方法のことです。 長い付き合いのカイロプラクティックの治療師に、 「こんな本がでてるけど、もし、時間があったら読んでみたら。」と言われたのは12月の中旬。 ものすごく大雑把な内容は、 「自分自身の中にある潜在意識を消去・クリーニングすること。 クリーニングすることにより悩みが消えていくようになること。」 潜在意識をクリーニングする、そのために必要な言葉が、 「ありがとう。ごめんなさい。許してください。愛しています。」 という、4つの言葉です。 「愛しています。」は「大切です。」でも、いいらしい。 自分に対して、自分の潜在意識に対して語りかける言葉が、 「ありがとう。ごめんなさい。許してください。愛しています。」なのです。 自分でできる方法なので、 セルフアイデンティティ・ホ・オポノポノと呼んでいます。 読み終わっての感想は、(1週間ほど前に読み終わった。) 神秘的な内容であった。 半信半疑だな。 でも、実際自分に、「ありがとう。ごめんなさい。許してください。愛しています。」と 言ってみると、妙に落ち着く気がする。 人間って、自分って、いったい何なんだろう。 結局、好奇心を持ちながら、「痛い」、「辛い」、「頭にきた」という時や気がついた時には、 「ありがとう。ごめんなさい。許してください。愛しています。」 と語りかけている今日この頃です。 読書は、本を持ったり、ページをめくる作業があるので、苦手になってしまたけど、 これもリハビリと思い、疲れない程度にしています。 そして、「ホ・オポノポノ」に関する2冊目の本を読み始めました。 もし、興味のある方は、読んでみてください。 この類の本は、絶対にオススメということは言えませんが。 「ホ・オポノポノ」、「ありがとう。ごめんなさい。許してください。愛しています。」は、 結構有名らしい。 病気の治療、身体の回復にも、プラスになれば・・・。 そして皆さんも病気が良くなったり、幸せになったり・・・。 |
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映画『チェ 28歳の革命』は2009年1月10日より全国公開された。 また、続編の映画『チェ 39歳 別れの手紙』は2009年1月31日より全国公開される。 偉大な革命家として有名なチェ・ゲバラの半生を2部作で描いた映画だ。 今までにもオマー・シャリフが主演した『ゲバラ』など多くの映画が製作されていた。 また、『チェ』に関する文献は沢山出版されている。 今回の映画『チェ 28歳の革命』は、フィデル・カストロと出会ったチェ・ゲバラが、 ゲリラ指導者としてキューバ革命への道を進んでいく。 また、『チェ 39歳 別れの手紙』は、キューバ革命の後、ラテンアメリカでの革命を目指し、 ボリビアを次の革命の地と選ぶ。ボリビアでのゲリラ戦は苦戦を強いられ、捕らえられ 射殺される。 本名はエルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ。 1928年、アルゼンチン出身。1967年、ボリビアで死亡。 没後41年が経った今もなお正義のシンボルとして世界中で愛され続けているチェ・ゲバラ。 何故、映画が今なのか。 それは、1959年バティスタ将軍がドミニカ共和国へ亡命し、1月8日カストロがハバナに入り 「キューバ革命」が達成された。 2009年はキューバ革命50周年だからだろう。 チェ・ゲバラは革命達成の功績によりキューバの市民権を与えられ、キューバ新政府の閣僚と なった。理想家のチェ・ゲバラは徐々にキューバ首脳陣から孤立し、ソビエト連邦を批判したこと から居場所をなくしたチェ・ゲバラはカストロに手紙を残しキューバを去っていく・・・ チェ・ゲバラの生涯と思想はアルゼンチン、南米はもちろんヨーロッパの若者や革命を目指す者 たちに熱狂的に支持され続けており、その写真は1960年代の後半頃からTシャツやポスターに印刷 されるシンボルとなった。誰でも一度は目にしたことがあるに違いない。 何故、私がブログで書くのか。 それは、サッカーの世界とも無縁ではないからである。 浦和レッズサポーターのフラッグの中にもチェ・ゲバラの肖像画がある。 南米やヨーロッパのサッカー場では、それよりもっともっと以前から『チェ』のフラッグが あった。 中南米では『チェ』と呼びチェ・ゲバラと呼ぶことは、あまりないという。 ここで話は、ディエゴ・マラドーナのことになる。 アルゼンチンの英雄、神の子である。『伝説の5人抜き』、『神の手ゴール』は有名。 1960年生まれの天才レフティー。ブエノスアイレス南部のラヌース地方の貧しい家庭に 生まれる。幼い時からサッカーをはじめ、もじゃもじゃ頭の天才サッカー少年と呼ばれた。 現アルゼンチン代表監督のディエゴ・アルマンド・マラドーナも『チェ』を崇拝しており、 右肩・腕に『チェ』の刺青をいれている。 1979年、日本でワールドユースが開催されたが、マラドーナはキャプテンとして来日した。 ラモン・ディアスもFWで華麗な得点を決めていた。 1979年、大宮サッカー場(現NACK5スタジアム大宮)で、ボールボーイや会場整理の アルバイトを大学のサッカー部全員でやっていた時、生マラドーナと握手・サインの思い出が 蘇る。背が小さかったな〜、ディエゴ! その頃は、彫り物は無かったな、確かに。 |







