ここから本文です
ブログ始めました!

竹内浩三……望郷

   望郷

あの街 あの道 あの角で
おれや おまえや あいつらと
あんなことして ああいうて
あんな風して あんなこと
あんなにあんなに くらしたに

あの部屋 あの丘 あの雲を
おれや おまえや あいつらと
あんな絵をかき あんな詩を
あんなに歌って あんなにも
あんなにあんなに くらしたに

あの駅 あのとき あの電車
おれや おまえや あいつらと
あああ あんなにあの街を
おれはこんなに こいしがる
赤いりんごを みていても

イメージ 1


この詩の中で、浩三さんが懐かしがっているのは、故郷の伊勢の山田ではありません。東京です。すでに出征して、演習に明け暮れる毎日。そこで思い出すのは、青春を謳歌していた東京のことでした。

詩の初めに、このような言葉が添えられています。

『東京がむしょうに恋しい。カスバのペペル・モコみたいに 東京を望郷しておる。』

もう帰ってこない のんびりと愉快に暮らした日々への惜別であると同時に、先行きへの不安も感じられます。

『望郷』というのは、当時ジャン・ギャバン主演でヒットした映画で、アルジァリアのカスバが舞台。パリから逃れてきた ペペ・ル・モコが、ある女性に夢中になり、彼女恋しさのあまり、自らの危険も省みず波止場に駆けつけ、最後に警察に取り囲まれる事態となり、自殺するという物語です。この女性に夢中になった動機が、彼女が漂わせるパリの雰囲気でした。
つまり浩三さんも、東京という街の魅力が恋しくて、そこで友人達と過ごした帰らぬ日々が恋しくて、ペペ・ル・モコに自分の姿を重ね、映画と同じタイトルの詩にしたわけです。悲劇の結末が、なおさら彼の心情に訴えるものがあったのでしょう。

今日はこれまで……





この記事に

   筑波日記二  6月8日の日記より

ぼくのねがいは
戦争へ行くこと
ぼくのねがいは
戦争をかくこと
戦争をえがくこと
ぼくが見て、ぼくの手で
戦争を書きたい
そのためなら、銃身の重みが、ケイ骨をくだくまで歩みもしようし、
死ぬることすらさえ、
いといはせぬ。
一片の紙とエンピツをあたえ(よ)。
ぼくは、ぼくの手で、
戦争を、ぽくの戦争がかきたい。

イメージ 1

浩三さん22才の時、久居の中部第38部隊から、茨城県西筑波飛行場に新たに編成された滑空部隊に転属。
『筑波日記』とは、その兵舍の中で、小さな手帖に、びっしり書き込まれた日記です。昭和19年元旦から7月27日まで、一日も欠かさず、書き留められています。
日本は、すでにサイパン島玉砕、東条内閣崩壊と、破滅への道を辿り始めていました。もちろん、一兵卒の浩三さんたちに、本当の戦況は知らされていなかったでしょうが、いずれ最前線に送られ、戦死した友人と同じ運命をたどるかもしれないという不安に襲われていたことでしょう。

しかし、その中でも、彼は、毎日書き続けたのです。夜間の猛訓練の最中、また、トイレの中でさえ……この詩の通り、「ぼくの戦争を書きとめる」ために。

その大切な手帖は、宮沢賢治の本をくりぬいてその中に入れ込むなど、苦心の末、姉のこうさんのもとに届けられました。

今日は、浩三さん自身の言葉で終わろうと思います。一冊目の日記の締めくくりの文章です。

 読ミナオシテミルト、ナンダト思ウヨウナツマラナイコトヲ書イテイル。シカシ、ソレヲ消シタリショウトハ思ワナイ。ソノトキ、ソノヨウニ考エ、ソノヨウニ感ジタノデアッタ。マズシイモノダト思ウ。シカシ、ソレダケノモノデシカナイ。
 一中略一 ヨイ日ガ来テ、ヨイコトヲシテ、ヨイ日記ヲ書ケルヨウニト。
筑波日記 冬カラ春ヘ 終リ。




この記事に

   五月のように

なんのために
ともかく 生きている
ともかく

どう生きるべきか
それは どえらい問題だ
それを一生考え 考えぬいてもはじまらん
考えれば 考えるほど理屈が多くなりこまる

こまる前に 次のことばを知ると得だ
歓喜して生きよ ヴィヴェ.ジョアイユウ
理屈を言う前に ヴィヴェ.ジョアイユウ
信ずることは めでたい
真を知りたければ信ぜよ
そこに真はいつでもある

弱い人よ
ボクも人一倍弱い
信を忘れ
そしてかなしくなる

信を忘れると
自分が空中にうき上がって
きわめてかなしい
信じよう
わけなしに信じよう
わるいことをすると
自分が一番かなしくなる

だから
誰でもいいことをしたがっている
でも 弱いので
ああ 弱いので
ついつい わるいことをしてしまう
すると たまらない
まったくたまらない

自分がかわいそうになって
えんえんと泣いてみるが
それもうそのような気がして
ああ 神さん
ひとを信じよう
ひとを愛しよう
そしていいことをうんとしよう

青空のように
五月のように
みんなが
みんなで
愉快に生きよう

イメージ 1

浩三さんが、東京で青春を謳歌していたころのを詩です。末尾に「ボクの20回目の誕生の日、これを、ボクのために、そして、ボクのいい友だちのためにつくる」どいう添え書きがあったそうです。
ここには、現実世界の戦争の影はありません。若者らしく『いかに生きるべきか』という自分への問いかけです。

五月生まれの浩三さんは、五月の青空のような人だったようです。死後、お姉さまに請われ、浩三さんの作品をまとめあげた友人の中井利亮氏をはじめ、彼のために、一肌脱ごうという友人たちに恵まれていました。

中井氏は、後に、浩三さんのことを次のように評しています。「人間の美しさは、ある抵抗にむかって、火花を散らすことだと云えよう。ところが、浩三にはそうした火花を持たぬ美しさがあった。彼は、生まれながらにして円光をもっているような善人であり、生まれながらの数少ない詩人の一人であった。呼吸をするように、詩が生まれ、画ができた。そして、彼の目は、常識的などんな醜いものや、悪の中からでも、美や善や真実をみわけることができた。 一中略一 阿保めとはがゆい思いをさせられそうな、また、神とでも呼びたいような、底なしに、人を信じ、女にも惚れた彼。こんな人間が生きていたこと自体が珍現象であった。」

中井氏のこの言葉を裏付けるのが、この『五月のように』という詩ではないかと思います。浩三さんらしい人間讃歌だと思います。

今日はこれまで……





この記事に

   よく生きてきたと思う

よく生きてきたと思う
よく生かしてくれたと思う
ボクのような人間を
よく生かしてくれたと思う

きびしい世の中で
あまえさしてくれない世の中で
よわむしのボクが
とにかく生きてきた

とほうもなくさびしくなり
とほうもなくかなしくなり
自分がいやになり
なにかにあまえたい

ボクという人間は
大きなケッカンをもっている
かくすことのできない
人間としてのケッカン

その大きな弱点をつかまえて
ボクをいじめるな
ボクだって その弱点は
よく知っているんだ

とほうもなくおろかな行いをする
とほうもなくハレンチなこともする
このボクの神経が
そんな風にする

みんながみんなで
めに見えない針で
いじめあっている
世の中だ

おかしいことには
それぞれ自分をえらいと思っている
ボクが今まで会ったやつは
ことごとく自分の中にアグラかいている
 
そしておだやかな顔をして
人をいじめる
これが人間だ
でも ボクは人間がきらいにはなれない

もっとみんな自分自身をいじめてはどうだ
よくかんがえてみろ
お前たちの生活
なんにも考えていないような生活だ

もっと自分を考えるんだ
もっと弱点を知るんだ

ボクはバケモノだと人が言う
人間としてなっていないと言う
ひどいことを言いやがる
でも本当らしい

どうしよう
ひるねでもして
タバコをすって
たわいもなく
詩をかいていて

アホじゃキチガイじゃと言われ
一向くにもせず
詩をかいていようか
それでいいではないか

イメージ 1

浩三さんのため息が聞こえてくるような詩です。
文章や絵で表現すること、幾何の問題を解くことには優れていても、体力的に弱い彼は、教練の時間には落ちこぼれでした。軍国主義の真っ只中、彼のような存在は弱者でしかありません。
自分の弱点を知るからこそ、他人の弱点にも敏感で、かつ寛容でありえたのかもしれません。人間の醜い面を語りながらも「ボクは人間がきらいにはなれない」という一文が、いつも賑やかに友人達と騒いでいたという 彼の人となりを表しているような気がします。

淋しがり屋の甘えん坊さん。おそらく友人の前でも、それを隠さずにいるので、周囲の者も気楽に付き合えたのでしょう。妙なプライドとは無縁に、ありのままの姿で生きようとする秘めた覚悟を感じてしまいます。

今日は、ここまで……


この記事に

竹内浩三……Ρ

   雨

さいげんなく
ざんござんごと
雨がふる
まっくらな空から
ざんござんごと
おしよせてくる

ぼくは
傘もないし
お金もない
雨にまけまいとして
がちんがちんと
あるいた

お金をつかうことは
にぎやかだからすきだ
ものをたべることは
にぎやかだからすきだ
ぼくは にぎやかなことがすきだ

さいげんなく ざんござんごと
雨がふる
ぼくは 傘もないし お金もない

きものはぬれて
さぶいけれど
誰もかまってくれない

ぼくは一人で
がちんがちんとあるいた
あるいた

イメージ 1

浩三さんが、日大芸術学部時代に作った詩です。
「ざんござんご」「がちんがちん」という表現が、雨の日の冷気を上手く表現し、リズミカルな詩となっています。大好きな詩の一つです。

姉のこうさんから生活費を送ってもらいながらの下宿生活。金があると派手に使い、映画館と喫茶店と古本屋へ通い詰め、束の間の青春を思う存分楽しんでいたようです。
元々が、金の心配などしたことのないぼんぼんですから、三連目の 「お金をつかうことは にぎやかだからすきだ  ものをたべることは にぎやかだからすきだ  ぼくは、にぎやかなことが すきだ」という無邪気な表現は、彼の日常を物語っています。
あまりにも頻繁に金の無心、送金の催促をするので、さすがに優しいお姉さまも、だんだん苦言を呈するようになってきます。
ところが、浩三さんは、ここまで肉親に自分の気持ちを素直に語れるものかと驚くほど、悪びれることなく堂々と近況を報告しています。お姉さまへの甘えや信頼の深さを感じます。
彼の自由奔放な生活ぶりの裏には、自分に迫ってくる入隊や戦死への恐怖を一時でも忘れたい、残されている自由な時間を、好きなことをして過ごしたいという切実な思いも隠されていたのでしょう。

24年に満たない短い生涯の中で、創作活動に専念しえたのは、このわずか2年半の学生時代だったのです。短いけれど、こんな時間を持てたということが、せめてもの救いです。

今日はここまで……

この記事に

[ すべて表示 ]

本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事