世界見聞録

5年間暮らした中国+旅した国々での出来事です。今はホンジュラスに住んでいます。

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太ったシンゴ。Σ( ̄◇ ̄;)
・・・彼は、痩せればシンゴになるのだろうか。

初めて北京にいったのは97年2月のことです。
中央戯劇学院で1ヶ月間の中国語クラスに入りました。

ちょうど冬休みのその時期、ほとんどの長期留学生が帰国する中、
残っていたのはイエメン共和国人の留学生一人だけでした。
彼は、祖国イエメンではテレビのプロデューサーをしているらしい。
当時36歳。

そんな彼と、ひょんなことから一緒に大学の近くの北海公園に行くこととあいなりました。
当時ハタチの私。イエメン人は36歳という年より更におっちゃんにみえます。

はじめての中国で私の中国語は、かなり使えない。
それでもそのイエメン人との共通語は中国語しかありません。

北海公園の大きな池のほとりを歩きながら会話を楽しもうにも、なかなかそうはいかず、
中国語の難しさを痛感していました。

ふと、気がつくと
通り過ぎていく中国人の視線はまず、イエメン人に注がれます。そして、
私の下手な中国語を聞いて、「こいつも外国人だったのか」という視線が今度は私にも注がれます。
カタコトの中国語で交流しながら公園を歩く中東系のおっちゃんと
中国人みたいな私(←でも中国語は話せない)。
なかなかおかしな組み合わせです。中国人たちがギョっとして視線を注ぐのもわかります。

普段はおしゃべりな私も中国語が話せないとあっては自分からいろいろ話しかけることもできません。
長期留学で中国語には問題のないイエメン人に、会話をリードしてもらいたいところです。

なのに、そのイエメン人は無口ときた。相当な無口ぶりです。
(しゃべれるならしゃべれよ!!)
ちょっとイラつきつつ無言で公園を歩く私たち。
ごくまれに、ポツリポツリと何か言う以外は完全に沈黙の状態。
なんとも楽しくない2人組みです。
ただシーーーーンと沈黙していることに耐えかね、
すくなすぎる中国語のボキャブラながらも、なんとか会話を切り出したい私。

そうだ、家族について話してみよう。
これなら確か簡単なはず。

「兄弟は何人ですか?」まず、そう聞いてみようと思ったけど、
「兄弟」って中国語でなんていうんだっけ・・・?早速、暗雲が立ち込めます。
しかたなく、つかえる単語「兄」「姉」「弟」「妹」この4つを駆使して
なんとか彼の家族構成を探ってみることにしました。

「お姉さんは何人いるの?(有幾個姐姐?)」
なんとかひとつめの質問ができました。

ほっと一安心もつかの間、次の瞬間、衝撃が走りました。

「13人」

(あれ?私、何の数聞いてたんだっけ?聞き間違えた?)

「!!!!!!!!」
聞き間違えではありませんでした。
なんと、そのイエメン人は姉だけで13人もいたのです。驚きの大家族。

同じ調子で「兄」「弟」「妹」を聞くと、
それぞれ姉の13人ほどではなかったのですが、
結局全部で30人近く兄弟がいることが判明。

多すぎます。子だくさんにも程があります。

最初の姉の数ですでに頭がクラクラしていた私は、
そんな家族構成を理解して消化するのに暫く時間を要しました。

何とか持ち直して、
彼の一族は全部同じ敷地内に住んでいる、
というイエメン式家族のつながりを理解できたところで、大分日も沈み始めています。

そろそろ帰る時間です。

歩き疲れた私たちは、池のほとりのベンチにちょっと腰掛けました。

大きな夕日が今まさに池の向こう側に沈んでいこうとしている、ちょうどそのとき、
初めてイエメン人が自分から発言したのです。

「我喜歓太陽。(太陽が好きです。)」

「!!!」
たしかに、夕日はきれいです。しかし、
なんと答えればいいのか分からない、既に完結している発言です。
「太陽が好きです。」と言われても。。。
苦し紛れに答えた私。
「我也喜歓太陽。(私も太陽がです。)」
同じ完結型発言で、結局これが会話の広がりをもたらすことはありませんでした。

なんとも不完全燃焼のまま、
こうしてイエメン人との国際交流(北京デート)は、
お互い「太陽好き」ということを確認しあい、幕を閉じました。


97年2月北京でのことです。

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2004年11月 エクアドル オタバロ校外のクイコチャ
Cuicocha Otavalo Ecuador Nov.'04

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キトの旧市街―
そこにひろがる中世ヨーロッパの面影を残す美しい街並み。
ユネスコの世界遺産にも登録されている街並みは、
夜ともなるとライトアップされ、その様は更に美しくそしてロマンティック。

その夜、私はエクアドル紳士と旧市街の街並みでデートを楽しんでいました。

ラテンアメリカの男性(ラティーノ)といえば、ロマンティックな演出家。
と、勝手に想像する私は、終始ドキドキ。
どんな素敵な夜になるのかしら、と期待も高まります。

カタコトながらも彼と会話を楽しみつつ、夜の旧市街を散歩した後、
旧市街の中心にあるちょっとおしゃれなレストランで食事。

雰囲気のいい音楽の流れる中、軽く食事をとる私たち。
とにかくよすぎる雰囲気にうっとり。
何を食べたか、というより、その雰囲気が素敵。
素敵な予感に食事もろくにのどを通りません。

リラックスしてこなれた様子の彼が
ホットチョコレートにチーズキューブを入れて飲んでる姿に
「あれ?なにそれ?まずそー。」とちょっと気になりつつも、
雰囲気のいい中で素敵な音楽をバックに語り合う私たち2人・・・
それだけでドキドキも最高潮です。
「ホットチョコレート+チーズ??」どころではないのです。

「これからどんな展開になるんだろう」と更にロマンティックな展開を
予想させるかのような彼との素敵な会話に終始緊張しつつも、
食事もそろそろ終盤―
「この後どこへ行くのかしら・・・」
ドキドキする私に
「ひとつ質問があるんだ。きいてもいい?」と問いかけてくる彼。
「!!!!!!!」(ついに!)
心拍数が急激に上がるのが自分でも分かりました。

(え!何?何かしら?まだ今日が初めてののデートじゃない!)
ものすごい勢いの心拍数をおさえつつ、平静を装って答える私。
「質問って、何?」

「・・・・・・」
しばしの沈黙。
きっと彼も緊張してるんだわ。


「・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・」



「らんまとかドラえもんののび太って、日本人だろ?」

(へ? らんま? そして のび太??)あまりの展開に動揺しつつも
「そうよ。らんまもドラえもんののび太も日本人よ。」
なんとか落ち着いて答える私。
ここエクアドルでも日本のアニメがかなり浸透しているのです。

「らんまものび太も日本人なのに、どうしてあんなに目が大きいの?」
更に追及してくる彼。

「は?」

「だから、日本人は目がちっちゃいだろ。
 なのに、どうして日本人のはずのらんまやのび太の目があんなに大きいのか、わからないんだ。」



らんま?のび太?日本人?目、ちっちゃい?・・・・???
私たち・・・デート・・・ロマンティック・・・漫画・・・目、ちっちゃい・・・

何が何だかさっぱりわかりません。一体何がおきたのでしょう?

ロマンティックなデート・・・のはずが・・・。

なにがどうなって突然その質問なのか、
さっぱりわからないながらも、何とか答える私。
「た、確かに日本人は目がちっちゃいけど、漫画だけ目が大きいのは・・・
 私たちの願望・・・ということかしら。」
「私たちだって、あなたたちエクアドル人みたいに目が大きかったらな・・・って
 思うから、漫画だけはせめて、ああいうふうになってるんじゃない?」

「そっかー、なるほどね。」どうやら彼は納得したご様子。
ニコニコする彼。( ^-^ )
一方、さえない私。(-_-;



確かに、エクアドルにきてから、
街で通りすがりのエクアドル人に「おーいチノ(中国人)、目はどこだ?」と
言われたことが何度かありました。(←ほんとに。)

アジア人=中国人=目が小さい
というのが、エクアドル人のなかのアジア人に対する印象らしい。
ここでは日本人も中国人も韓国人もみんないっしょ。
「ジャパンの首都は、コリア?」とか、そんなレベル。
目はどこだ、まで言及しないにしても、
すれ違いざまに「チニータ(中国人)」といわれることもしばしばです。
アジア人はとりあえず全部中国人。そしてその中国人は、目が小さい。。。

衝撃だったのは、
耳の聞こえないエクアドル人と知り合ったときのこと。
ちょっと日本式手話を披露して仲良くなった私を、
他の耳の聞こえないお友達に紹介するときに使っていた彼の手話。
それを私は見逃しませんでした。
・・・というより、あれほどのオーバーアクション、絶対見逃すわけがありません。
たぶんアジア人とか日本人とか説明しているのであろう、その彼の両手は、
なんと、
指で両目を両側に引っ張って、細ーーーくしたヘンな顔だったのです(!)。
それで「新しくできたアジア人のお友達」の私を説明していた衝撃・・・。想像できますか?

そのときの衝撃よ再び・・・というくらい衝撃の
ラティーノとのデート。
ロマンティックなはずの雰囲気が一転、
わたしのドキドキの内容も一転。

何が何だかわからないまま
いろんな意味でドキドキしたデートは、その後エクアドル人の定番コース
ディスコテカへ場所を移すも、
どうも歯切れの悪い会話に、盛り上がりに欠け、不完全燃焼のまま幕を閉じたのでした。



エクアドルから帰国した今年2月。
新しくなった日本のお札を見て、また衝撃です。
5,000円札。
初の女性肖像画。
・・・しかし、
そこに描かれた樋口一葉の目は・・・・・・ちっちゃすぎます!!!
これでは、ますます日本人=目が小さい!となってしまうではありませんか!
夏目漱石みたいなカッコいい英国紳士風のほうがいい!
いや、まてよ。そしたらまた
「あれは日本人でしょ。じゃ、どうしてあんなに目が大きいの?」って聞かれちゃう。

樋口一葉はすばらしい人物です。そんな樋口一葉がお札に載るのはすばらしいことです。
彼女を通して、日本文学のすばらしさを世界につたえようではありませんか!

が、しかし、
外国の人がお札の上に見る樋口一葉は、ある日本女性の「姿」のみ。
その背景にある日本が誇る文学までは、お札から分かりません。

人は見た目じゃありません。
それは、よくわかっています。

とはいえ、エクアドルの衝撃も冷めやらぬそのときの私には、
なんとも受け入れがたい新札の登場だった、というのも事実です。

あの日のデートのトラウマが帰国してからもこんなかたちで続くとは、
その時には予想もしていませんでした。

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2004年9月 エクアドル・キト郊外の動物園にて
Quito Ecuador, Sep.'04

この動物園では、ガラパゴス・ゾウガメをはじめとする珍しい動物が見られます。
動物園の一角は、馬やウサギを直接触れられるようになっています。
動物とのふれあいや親子のふれあい、様々なふれあいが、そこにはありました。

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2004年10月 エクアドル・オタバロにて
Otavalo Ecuador, Oct.'04

土曜日になると、オタバロの町には大きなメルカド(市場)が出ます。
その日は、近隣の集落からたくさんのインディヘナ(原住民)が集まります。

お母さんの背中の女の子は、お母さんの買い物中じっとおとなしくしていましたが、
時々周囲を見回す興味津々の目は、とても印象的でした。


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2004年1月 インド・カルカッタにて
Kolkata India, Jan.'04

カメラをもって道を歩いていると、後ろから学校帰りの男の子たちが声をかけてきました。
多分「写真撮って!」と言っていたのでしょう。キラキラした素敵な笑顔でした。

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2003年の大晦日、仕事を終えた私はその足でバンコクへ直行。
一足先に出発した友達と合流しました。

年が明けて2004年最初の日の夕方。
私たちは、ホテル向かいの伊勢丹でぶらぶらしていました。
ただのんびりしたかったのです。

とその時、どこからともなく焦げくさいにおいがしてくるではありませんか。
なんだろう・・・。
そのまま買い物をつづける私たち。

みるとすぐ上の7階から煙がモクモクでているではありませんか!!
ひぃーーー!!何だこりゃーーー!!
上の階がにわかにあわただしくなっているのが聞こえます。
が、しかし、そのすぐ下の階は誰も何も気がついていないのか、静かなままです。
あわてているのは私たちだけ。
あわてているのに、
まだ大丈夫か・・・と、尚もあまり買おうとも思っていないものをながめ続ける・・・。

あわてているのに落ち着いている、なんだかおかしな話ですが。

しばらくすると職員が客を避難させ始めました。
火事に気づきつつもそのときまでそこにいた・・・、今思えば危なすぎです。

下の階に下り始めたころから、あっという間に煙に包まれ始めました。
煙って速いんですね。なめちゃぁいけません。気がついたら早く逃げないと。

正月早々火事に遭遇した私たちも災難でしたけど、
店舗が焼けちゃった伊勢丹も、サイアクの新年のすべりだったことでしょう。
だけど、焼けたのが一部でよかったですね。

そんな2004年の始まりでした。

足が長くなった瞬間♪

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カナダの夏は日が長いです。
夜の9時でもまだ明るいので、なんだかウキウキします。

これは午後8時ごろ。
足の長さもピークに近づきました。
普段は3頭身の漫画体型が、ここぞとばかりに20頭身のモデル体型です♪
人間離れ、まさに神業。
ありがとう自然。ありがとう地球。ありがとう太陽。
いろんなことに感謝した瞬間でした。

2004年6月、カナダ・バンクーバーにて。

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エクアドルのインディヘナの家を訪問したとき、
「せっかく来たからクイ(モルモット)食べよう!」といわれたけれど、
そのあまりのかわいらしさに抵抗を感じた私は、丁重に断ってしまいました・・・。

それなら、とインディヘナの友人は
「チキンは好きか?」と聞くので、そちらをいただくことにしました。

てっきり近くのメルカド(市場)で買ってきた切り身を調理するのかと思ったら、
隣の家に買いに行くと言うではありませんか。
一緒に行こう、と言われるままについていくと、そこには大きな鶏小屋が。
中には元気な鶏がいっぱいいます。広い小屋でのびのびと暮らしているようです。

その家の婦人に「小さめの」と伝える友人。
「あれがいいんじゃない?」と懐中電灯で照らすその先には、ちょっと小さめのまだ若い鶏がいました。
それに決めた友人は、さっそく捕まえようと鶏小屋に入っていったのですが、
危険を感じた、今まさに狙われているその鶏は、突然すごい勢いで小屋の外に逃げ出しました。
本当にあっという間のできごとでした。

追いかける友人。
「たまみはそっちから追いかけてくれ!」
なにがなんだか分からないまま走る私。
あたりはすっかり日が暮れて真っ暗な中で、鶏の悲痛な叫び声を頼りに追いかける友人と私。
挟み撃ちで鶏を捕まえようというつもりが、なかなか捕まりません。
鶏は尚も悲痛な叫びをあげながら逃げ続けます。
そのあまりにも悲痛な叫びに、
本来人間が持っているであろう狩猟本能も急速に低下していくのが、自分でも分かりました・・・。
しかし、なんとしてでも捕まえなければ!
家では(友人の)妻と子どもがお腹をすかして待っています。

鶏と格闘すること十数分。

やっとの思いで捕まえた若い鶏は、まるで観念したかのようにおとなしくなっていました。
これから調理されるとは思っていないようにもみえます。
そう思って奥さんに抱かれている鶏を見ると、なんだかかわいそうになってきました・・・。

でも、これも生きるため。
「ありがたい」と感謝していただけばいいんです、とあのダライ・ラマも言っているではありませんか。

鶏を調理している様子を見たとき、
「・・こりゃぁ、暫く鶏は食べられなくなりそうだなぁ」
と思ったのもつかの間、
みんなで調理して食べたその鶏は、新鮮だったからか、よく運動していたからか、
いつも食べているスーパーの鶏肉よりおいしく感じました。

勧められるままにおかわりしている自分は、これからも強く生きていけそうだ、と思いました。

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