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■優や私の事を心配してこまめに訪問してくださったり、温かいメッセージを残してくださったみなさん、本当にありがとうございます。 昨日ブログの更新も訪問もしなかったのでお気づきになられた方もいらっしゃると思いますが、昨日優が息をひきとりました。 17歳と7ヶ月でした。 お世話になっていた獣医さんで焼いていただけるとの事なのでお願いしました。遺灰は後日受け取りにいくので、ろっちーの実家付近の景色の良い場所か、近くのGlacier国立公園の綺麗な所を選んで埋めてあげようかと思います。 あと、少しだけ日本にも持って行って埋めようかとも。 昨日たくさん泣いたので、今日はかなり落ち着きました。 驚いたのはろっちーが声をあげて一緒に泣いてくれた事。 『本当はペットを飼いたくない。いつか来る別れが辛いから。』と以前言っていたのですが、あんな風に泣くろっちーをはじめてみて、たった数年一緒にいただけでもこんなに優を大事にしてくれていたんだというありがたい気持ちと、こんな辛い想いをさせてしまったことへの申し訳なさで、また涙が止まりませんでした。 まだ確かに悲しいけれど、あまりくよくよと落ち込んでいても17年以上も頑張ってくれた優に失礼なので、頑張って気持ちを切り替えようと思います。 ここからは私が書きたくて書くだけなので、読み飛ばして大丈夫です。 ■優は元々私の弟の犬です。 優が私の日本の家族の元へやってきたのは私が子供の頃でした。 私の弟がペットショップで一目ぼれして父に頼み込んで我が家の一員になった小さな子犬が、まさか17年以上も頑張って一緒にいてくれるとはその時は夢にも思いませんでした。 その後私も弟も成人し、弟は東京で就職する事になった為優の世話を続けることも一緒に連れて行くこと出来ず、その頃学校を卒業して実家に戻ってきた私が入れ替わりで世話をすることになったのですが、何年かして私もろっちーとの結婚が決まり、実家でもいろいろ事情が変わってそのまま優を置いておくことができなくなってしまい、結局一旦私とろっちーが日本での住まいで預かる事になりました。 1年間私とろっちーと優の2人と1匹の生活が続いたのですが、私たちはアメリカに移住する事になっていたので優をどうするべきか悩みました。 高齢犬なので私たちの代わりに引き取って面倒を見てくれるような人も見つけられないまま、引っ越す日がどんどん近づいてきました。 するとろっちーは自分の実家に連絡を入れて、優を連れて行く事を許してくれるようにお願いしてくれたのです。 移住後しばらくはろっちーの実家にお世話になることになっていたので、私とろっちーの判断だけでは優を連れて行くことができなかったのですが、ろっちーの両親は快く了承してくれました。 当時お世話になっていた獣医さんには『高齢犬なので、飛行機と車での遠距離移動はすごく体の負担になる。連れて行っても向こうに着いた時には死んでしまっているかもしれないよ。』と言われましたが、他に選択肢が無かったので優には頑張ってもらう事になりました。 その後はご存知の通り、無事モンタナまでの遠距離移動を耐えてくれて2年半のほとんどを元気に過ごしていました。 英語が上手くなく周りにろっちー家族以外の知り合いもいなかった私は、移住当初は正直寂しいと思うこともありました。でも優と二人で散歩に出かけたりできてかなり気がまぎれました。優の存在に救われた事が何度もあります。 優はほとんどを元気に過ごしたと言いましたが、移住1年を過ぎる頃に一度睾丸が肥大した為摘出の手術をしています。その時にすでに『手術が成功しても高齢だから麻酔から目が覚めないまま死んでしまうかも。』と言われました。(その時はケロッと目を覚まして獣医さんを驚かせました。笑) そしてその後は皮膚疾患を患いました。酷かった時期は私が2日に1回体を洗い、それを数ヶ月続けて症状が改善されたら食事療法をし・・・と正直お勤めに出ていたら世話がしきれなかったな〜と思うような状態がずーっと続いていました。 去年くらいからは痴呆の気も出てきて、高齢であるため心臓も弱くなり何度か心臓が止まりかけて慌てて獣医さんに駆け込んだこともありました。 そして先日優の様子がおかしくて獣医さんに連れて行った時には『多分脳の血管が切れている。』と言われました。 『多分』というのは検査をしなかったからです。左方向にグルグルと回るようになっていたので、片方の脳がもう一方の脳を圧迫している為だと獣医さんには説明をうけました。 今回優は痴呆と痛みの為に夜鳴きをしていましたが、どこが痛むのかとかも詳しく原因は調べていません。なぜなら原因を特定しても高齢な為何もできなかったからです。 原因がわかったところで手術しようにも麻酔をかけた時点で眠りから覚めなくて死んでしまうし、手術に耐えられるほどの体力も無いし、薬による治療も強すぎる作用が元で死んでしまいます。 痛み止めは与えていましたが、それも『もう痛くなくなった。頑張らなくていいんだ。』と思って死んでしまう可能性がありました。 最期の数日はもう水も飲まない・エサも口にしない、もがく事もままならない程体力が落ちていたので、床ずれをしないように夜も2・3時間置きに起きて体の向きを変えてあげていました。 何をしても高齢の為死に繋がってしまう状態で、何をしてあげる事が最善なのかわからないままでした。 今も一番心残りなのは、優が一番大好きだった人、私の弟に最期に会わせてあげられなかったことです。 先週のうちに日本に電話して、弟の声を聞かせましたが耳が遠くなっていた優に届いたかどうかわかりません。優の寝床の側に弟の写真も置いておきましたが見えていなかったと思います。 弟も、あんなにかわいがっていた優の側にいてあげられなくて辛かったと思います。 優の選択では無くうちのコになって、優の選択では無くモンタナに来る事になり、優は本当に幸せだったのか私にはわかりません。 でも私は優がうちのコになってくれて嬉しかったし、優が一緒にモンタナに来てくれて心強かったし、優と会えて良かったです。 ごめんね優、そしてたくさんありがとう。 |

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